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2011-09-06

父上、いま参りま…あれ?

前回のあらすじ:
大友さんと戦してたところに将軍が「まあ穏便に」とか言ってきやがったから
しょうがなく和睦を結んでやった隆元は、
父・元就が出征している出雲への道を急ぐ。
途中、坊さんに挨拶したり息子を呼んで宴会開いたりするけど、
家に寄って休んだりはしていないので
一人だけ楽したことにはならないはずだ!
今お側に参りますぞ、父上!
ってところに叔母の旦那が「ウチで一杯どう?」
と言ってきたので、「おっ、いいねぇ」ってことになった。


毛利大膳太夫隆元逝去のこと(下)

こうして和智元実(誠春)の宿所に行ったところ、
大勢の人の声がして、後ろの山あたりでどっと笑い声がした。
隆元様からすれば、和智は叔母の婿なので何の用心もしておらず、
心許していたところに、大勢の声がするのでなんとも不審に思ったのか、
「あれはどういうことだ」とおっしゃると、
側に付き従っていた侍たちは、
「いや、ご心配には及びません。
 おもてなしのために元実が鹿狩を申し付けたのですが、
 矢がすぐ近くの鹿を射損じたのをああして笑っているのです」と答えた。

そして元実の館へはいると、元実はご馳走を所狭しと並べ、
金銀珠玉をちりばめ、海のものや陸のもの、珍味を取り揃えてもてなした。
隆元様も機嫌がよくなって御酒も数杯召し上がり、
とっぷりと夜がふけてきたので帰途についた。
しかし途中からいきなり腹痛が襲ってきて、かろうじてお宿に帰着して、
灸をすえたり鍼、薬など試したところ、少しは快復したが、
同四日になる明け方に、たちまち亡くなってしまわれた。
お供の人々は、こんなことになってどうしようと嘆き悲しんだけれども、
すでに事切れていたので、お薬などをお口に入れたところで、
効き目があるはずもない。

享年四十一歳、まだまだこれからという御歳でございます。
ことさら武勇が優れていただけでなく、
万民を撫育され、慈愛も深く、
実に末世の聖人ともいえる良将であったのにと、声をあげて泣き叫んだ。
隆元様がご存命のときは、武勇が世に傑出していらしただけでなく、孝行第一であった。
「父が重病に罹るならば自分の命を代わりに取ってほしい」と自筆で願文を書き、
厳島大明神の宝殿に奉納されたとか。
親不孝者で偏屈な子でさえ慈しむのが人の世の常であるのに、
このような智勇仁の徳を兼ね備えた孝行息子を失ってしまった元就様、
そのご心痛いかばかりかと、みな推量しては涙した。

ご遺体は吉田の大通院に移し葬礼を執り行った。
和智元実は、隆元様が自分の館で饗応したすぐあとに亡くなったので、
人より先にあわてて駆けつけ意気消沈していそうなものなのに、
そうではなくて、何を思ったか、
「隆元など、父・元就の戦功のおかげあってこそ
 中国の大将と人にもてはやされるのも早かったが、
 棺に入れられるのもまた早いものだな」と言った。
この言葉がやがて耳に入って、
元就様は意地悪く感じられたのではないだろうか。


以上、テキトー訳。

あれ?
隆元の命日って、旧暦で九月一日じゃなかったっけ?
というのと、
わざわざ鹿狩の一幕で不穏な空気を演出してる伏線は
いつ回収されるのかと思ってたらまったく野放しだった件。
和智の毒殺とか病死とかよりも、
鍼を打ち薬を処方した医者(?)が怪しいと思ってしまうのは
サスペンスドラマとかに毒されすぎだろうか。
そして隆元が武勇の面で賞賛されている驚き。

なんだかオラ、別の意味でドキドキしてきたぞ!

※本日、酔いもいと深くて、ちとはっちゃけ気味なり
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