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2011-12-21

元長、愚痴る

前回のあらすじ:
元春が死んでしまったので、経言は死骸に付き添って芸州に帰り、
元長はしばらく小倉に滞在していた。
賀春の嶽に向かった隆景は、残し置かれた吉川勢に、賀春の嶽に続く要所を攻め落としてこいと言う。
月もない夜に難所へと向かった吉川勢は、どうにか三の嶽にたどり着くも、
待ち受けていた敵と丁々発止の交戦状態となった。


三の嶽を切り取ること(下)

こうして敵味方ともに引くものかと勇気を振り絞って進んでいくと、
互いの距離が十間ほどになるかと思うほどに詰め寄った。
撃ち合う鉄砲の筒口から出る火花が顔にかかるようにも思えた。
佐伯源左衛門・三宅源允の二人は、天狗の頭がついた兜をつけ、
味方の槍部隊の脇で飛び跳ねながら名乗りを上げていたが、
三宅がのど輪を撃たれ、「少々傷を負ったようだ」と言う。
それと同時に、香川・粟屋・二宮・森脇・古志などが「エイヤ」と声を上げて槍を打ち振るい、
無二に切ってかかる。
すると敵はとてもかなわないと思ったのか、たちまち蜘蛛の子を散らすように逃げ散ってしまった。
これを追いかけようとするも、敵はこの地に慣れ親しんだ者たちで、
岩の迫を伝ってどこへともなく引いていったので、討ち取ることはできなかった。

ここで、後ろから多くの味方が駆けつけてきた。ようやく三の嶽を制覇したのだ。
しかしこのままでは守りきることはできないと、芝土手を三尺ほど上がり、
隆景様から回された柵の木を運んで、峰を横一文字に結び切る。
突いて出るための城戸口を二ヶ所もうけて開き、高萱を刈り取って柵の木に結わえ付け、
あっという間に向城を構えて、三吉新兵衛尉を据え置いた。

すると翌日の早朝、治部少輔元長が小倉から下着して、すぐに三の嶽へと上ってきた。
元長が床几に腰を据えると、益田・吉見・三吉・宍道・佐波・古志、
そのほか北表の国侍たちが一様に居並んだ。
元長は皆に一礼して、
「昨晩三の嶽を切り取ったとのこと、実にひとかたならぬ粉骨砕身の働きであった」と、大いに感称した。
またこうも言った。

「それにしても、隆景は情のないことをなさる。
この城は、高橋秋種が千寿重種を騙して乗っ取ってからというもの、何年もかけて手を入れて構えた城だ。
その秋種は武勇一途で九州に並ぶ者のない将だった。だからこそ、随所にいる兵たちにも弱兵はいない。
秋種は死んでいなくなったとは言っても、家之子郎党が残っている。
奴らは養子の九郎を守り立てて、この城を枕に死んでやろうと牙を剥いている。
そうして勇み立ち立て籠もる兵は、だいたい五千ほどもいると聞いている。

こちらはと言えば、経言は芸州に帰っていて、私はまず孝養のために僧たちを集めて法要をしようと、
しばらく小倉にとどまっていたから、この辺りには兵だけを残しおいていた。
その兵たちも主君との別れを悲しみ、絶望の底にいるうえに、大将もいない。
もちろんこの辺りの地理にも不案内だ。
その兵たちに向かって、敵の精鋭が死を一途に思い定めて籠もっているところを攻め取れと言うなど、
言語道断の次第だ。

宍戸だって、近年は三沢などを手勢につけて、南北の中筋の軍事を取り仕切っているのだから、
隆家か、さもなくば幸いにも隆景がこの陣にいらっしゃるのだから、
南側の国侍に手勢の家之子郎党たちを差し添え、
敵城を攻め取ってくるように言い含めて差し向ければよかったのに。
元春が生きていたときも、敵が手ごわい場所を譲ってくれていたが、
元春は言うに及ばず、私や経言がいたからこそ何度も敵を破ってこれたのだ。
今は大将が一人もいない兵に向かって、城を落とせ、敵を攻めよとおっしゃるなんて、返す返すも恨めしい。
私の兵にことごとく討ち死にせよとでも言うような振る舞いではないか。

たとえ私の家之子郎党たちが三の嶽を切り取ってきますと申し出たとしても、
『今はそちらには大将がいない。幸いにして隆景がここにいるので、我が手の者に切り取らせよう。
吉川の者たちは無用の振る舞いだ』と制してくれるのが道理ではないか。
こんな邪な仰せを、恨まずにいられるものか」

元長は、両の目からはらはらと涙を流した。
益田などの諸国の侍たち、そのほか吉川の諸侍はなんとも声のかけようがなかった。
「元長様は父の喪にあって、悲嘆が胸を責め憂いの涙が袂を湿らせている上に、
隆景がこうしてこちらの手の兵に十死一生の働きをせよとおっしゃったのだ。
情がないと思うのももっともだ。
また元春様のことがこれにつけても思い出されて、悲しみや懐かしさが胸を襲い、
あれこれと言って涙を流すのももっともなことだ」と、
皆鎧の袖を絞り、顔も覆わずに泣いた。

高橋は、家人の小御門左馬允をはじめとして、
「吉川父子はこの陣には来ていない。ただ小早川一人だけで来たようだ。
隆景は智・仁の二つが最も優れ、武勇もこのごろの諸侍より勝っているとは言っても、
吉川に比べればどうということはない。夜討ちをかけてやろう」と策を練っていた。
しかし、元長様が藤の丸に三引領の旗を押し立て、三の嶽へと上がっていくのを見て、
「なんと、吉川がこの陣に着いたようだ」と慌てた。
「いやいや、夜討ちは控えた方がいい。城を落とされないようにしなくては」と、
自分たちの持ち口を固めて、夜討ちの計画は頓挫してしまった。

以下に、元春様が逝去したことを殿下(秀吉)が耳にしたときの
御内書(吉川家文書之一-一〇四・六五七)を載せる。

  「父元春死去とのこと、言葉もないことである。
   本国にいれば養生なども自由にできたのに、陣中にあり、
   しかもことさら寒い時分にこんなことになったとは。
   併せて秀吉に対しての忠節は立派であった。

    (天正十四年)十二月三日     秀吉
    吉川治部少輔(元長)殿
    吉川蔵人(経言)殿」

  「今度吉川駿河守が亡くなったと聞いた。
   本国にいれば養生なども自由にできただろうに、陣中で、
   寒い時分に病気にかかってこんなことになってしまった。
   秀吉に対する忠節は立派であった。
   まったく残念なことではあるが、人の生死については是非に及ばず。
   治部少輔・蔵人の二人に、そう心得るように言ってやってほしい

    (天正十四年)十二月四日     秀吉
    小早川左衛門佐(隆景)殿」

また三の嶽を攻め取ったことを、黒田・小早川から報告すると、
次のような御内書(吉川家文書之一-一〇〇)が届いた。

  「筑前の賀春の嶽に三つの丸があるうち、手を砕いて一つの丸を攻め取ったと、
   小早川左衛門佐・安国寺・黒田の三人から聞いた。
   実に実によく励んでくれたとうれしく思っている。
   これ以後も落ち度のないように気を引き締めて働いてほしい。
   また吉報を待っている。

    (天正十四年)十二月四日     秀吉
    吉川治部少輔殿
    吉川蔵人殿」


以上、テキトー訳。

元長、そんな子供みたいに泣かないの! もうすぐ不惑でしょ!!!
ていうかな、前々から思ってはいたんだけれども、「鎧の袖を絞った」って、絞れるもんなの?

隆景・黒官が三の嶽攻略を焦った背景がどうもワカラン。
別に元長を待ってからでもいいじゃん。
想像するに、元春の死が敵方に伝わる前に決着をつけようとしたのかな?

それでまた、吉川勢だけを向かわせた理由がワカランのだけれども。
 ①四国は小早川が頑張ったんだから九州は吉川がやれよ
 ②元春が功のないまま死んじゃったから、秀吉の手前、吉川が手柄を上げないとまずい
 ③実は吉川勢の方から「ウチがやる。弔い合戦じゃー!」って言って止めても聞かなかった
まあ順当に②か、血の気が多い吉川さんだから③だろうな。
もしくは、本当は全軍で攻め取ったけど、物語の都合上、吉川の手柄にしているか。
難所だと人数が多くいても意味がないし、というか逆にヤバイし、少数で向かったのは理解できる。

まあなんだ、元長のメンタルが弱くて口惜しい。
元春の後のことは経言に任せてとっとと陣に向かえと言いたい。
死に目に会えただけでも幸せじゃないか。
自分がすぐに供養とかしたいんだったら、経言を陣に向かわせろよ。あんた当主だろ。
んでもって「恨めしい」とか言いながらピーピー泣くし。武将に向いてない気がする。

元長は、どっちかというと学者向きっぽい。書状とかを読んでるとね。
いい人だと思うし好きなんだけどね。武将ならもっとガツンと戦えと言いたくなるなぁ。

次は……と、この人の最期も近いので、このまましばらく読み進めるとしますか。
明日は夜中まで帰れないので更新しないと思う。
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