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2011-12-31

広家は広正が大好き

広家から広正への手紙が好きなので、今年の最後にそのうちの一つをのっけておこう。

●吉川広家自筆書状 宛先:広正

「度々の書状ありがとう。私は熱は下がった。でもまだ食べ物の味などは全く感じない。
 全身にでき物ができたが、それもようやく治まってきたようだ。
 足がむくんで足が重く、筋がひきつれて、歩くのも楽じゃない。
 最近そちらに呼んでもらったが、出かけていける感じじゃない。
 痔も毎夜痛むから、これが困りものだ。
 両殿様(輝元・秀就)の御前で申し上げてくれ。よろしく頼んだよ。

 また、おまえが万事物事をうまく処しているとのこと、こちらでは下々の者たちにまで伝えて、喜んでいる。
 それというのもおまえの分別がいいからだ。私も安堵、満足している。
 家中下々までも、最近はおまえが万事公私ともに分別がいいと言って、
 こちらに帰ってきた者たちが言っている。
 いよいよ万事に心がけをしっかりして、油断しないことが肝要だ。両殿様の御前でしっかりやりなさい。
 またこちらで何か用事があれば承るよ。

 私の病状は五郎左衛門尉が伝えるだろうから詳しくは書かなくていいね。
 また志摩殿(毛利元景)のところへ時々たずねるようにしなさい。
 河内殿の暮らし向きがよくないと聞いているが、本当だろうか。これもまた聞かせておくれ。
 恐々謹言

  十月二十八日        蔵人 広家(花押)
  左介殿(広正)」


以上、テキトー訳。

年は明記されてないけど、広正がだいぶ成長して、萩に出仕してるときの手紙だと思う。
広家はきっと岩国にいるんだね。

それにしても、ひぃ様、痔なのね。
しかも他の書状を見ると「下血」とあるから切れる方なのかも。
かわいそうに。冬はつらいんだってね。十月も末じゃもう寒かろう。
円座をプレゼントしたい。「わろうだ」じゃなくてムートンの方。

で、「病状は詳しく書かない」って、書いてますがな。これ以上書きたかったの?
全身のでき物、足の腫れ、筋のひきつれ……何の病気だろう。帯状疱疹とかかな。
足が腫れるっていうと循環器系の病気っぽい気もするんだが。合併症?

いずれにしても広正はすごく良くできた子みたいで、父親の言うことは聞くし
萩のために尽くすし、子供はポコポコ作るし、ホント若いころの広家に見せてやりたいわw
広家も広正をとても大事にしてるのが伝わってくるんだよな。
次男の彦次郎もあちこち(主に寺)連れまわしたりしてたみたいだけど。
おおよそ、ここの家は家族をすごく大事にするよね。元就・元春から変わらん。

けっこう前から不思議だったんだが、広家はなんで継室を迎えなかったんだろうと。
正室の宇喜多氏(秀吉養女)は結婚後数年で他界して子供もいない。
朝鮮出兵やらでそんな暇なかったのはしょうがないにしても、
関ヶ原前後というか主に関ヶ原の後に、徳川の有力者から継室を迎えていれば
その後は違う展開もあったんじゃないかな~なんて思ったわけだ。
関ヶ原時点で広家も40歳くらいなんだから、まだまだ男として現役だもんな。
正室は亡くなってるしその実家は没落してるから気を使う必要もないしね。

で、嫡男広正の生年を見てみたら、慶長6年2月17日なわけさ。
関ヶ原の前に母親のおなかの中にいたんだな。戦後処理のころには懐妊の知らせが広家に届いてたろう。
身ごもった側室は若林藤兵衛の娘ってことだけど、これは家臣の娘だから身分は低いよね。
生まれてみたら初めての男の子で、きっと広家はこの子を跡継ぎにしたかったんだろうな。
それで継室を持とうとしなかったんじゃないかと思うんだ。
継室持ったら、側室の子の立場がものすごく微妙なことになるもんな。

まあただのド素人の妄想だけどね。
でももしそうだったとしたら、広家は甘いな、と思う。
でも、そういう俗な人間くさいところが好きなんだよね。広家。

さて、来年も広家にトチ狂う年になりそうだけど、
少しずつ知識を広げて、世界も広げていけたらいいなと思う。

本年、当ブログにお越しいただいた皆様、ありがとうございました。
また来年もよろしければのぞきに来てやってください。
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