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2012-01-05

島津、陥落

昨日の続き。
って言っても、昨日の章は秀吉がおじいちゃんと話してるだけだったが。


島津和を請うこと

島津修理大夫(義久)は一族郎党を集め、「殿下秀吉はすでに川内川に着陣している。
こうなると数日中には薩摩の国へ攻め込んでくるだろう。
城に籠もっていてはなかなか勇気も擦り切れて果々しい防戦も難しいだろうから、
端城を守らせている軍兵を一手に集め、敵陣に逆に攻め込んで
十死一生の合戦をいたそうではないか」と持ちかけた。
しかし皆は「薩隅二国、そして日向を今までどおり保てるのであれば、
和睦をなさったほうがよろしいと思います」と口々に諫めるので、
修理大夫・兵庫頭(義弘)もこれに同意した。

こうして日向の高城口へは伊集院勘解由から使いを出し、
声高に「伊集院からの使者である。間違ったことをしてくれるな」と呼ばわった。
寄せ手から「あれを聞いて来い」と人を出すと、その使いは「陣中に参って申そう」と言う。
よって同道して大納言殿(羽柴秀長)の陣へ行くと、使者が話し始めた。
「薩摩・大隅並びに日向三郡を安堵していただければ、降伏をいたしましょう」と言うので、
このことを大納言殿に伝えた。

秀長卿はこれを聞き、「私だけで判断できることではない」と、
その使者に人を添えて、秀吉公のいる川内川の陣へと遣わした。
殿下秀吉公は、「薩摩へと攻め入って今津の一族を責め滅ぼすのは何よりも簡単だが、
そちらの望みに応じて和平を結べば、天下泰平のなる日も近くなる」と、和睦に応じた。

これで島津修理大夫は川内川の陣へと和睦の一礼として出て行った(天正十五年五月八日)が、
「もし秀吉が偽りの和睦を結んで私を殺したなら、家之子郎党は心を一つにして
恨みを奉ずる一戦を遂げるように」と言い置いて、
自身は肥後の国に赴いて秀吉公に謁見し、和睦の旨を伝えることを了承した。
「ありがたく思います」と謝辞を送られた。

日向口へは伊集院勘解由が一礼として赴き、大納言秀長卿へと太刀一腰・馬一頭を進上した。
そのほか輝元様・秀家様・吉川・小早川などの人々へも、馬一頭ずつを進上した。
これで秀吉公も五月下旬には川内川を引き払って、六月朔日(五月二十九日)に肥後の国の八ツ城へと入った。


以上、テキトー訳。

まあちょっと十万、二十万の軍勢は相手にしてられないよね、いくら薩摩隼人が強くても。
義久がかなりヤル気出しててすごいなぁ。
ていうか島津に関してまだ全然把握してないんだが。
BSRの義弘がけっこう好みかも、という印象。それだけか。
あと、たまに昼飯食いに行く薩摩料理屋はおいしいです。丸に十字の暖簾がかけてあってちょっとときめく。
島津も調べてくときっとすんごく面白いんだろうから、ちょっと今は手を出さないようにしよう。
愛しのひぃ様さえ把握しきれてないのにムリ><

ああもうホント引きこもりたいっていうか一日中趣味に浸りたい。
国会図書館に通いつめたり史跡に行ったりしたい。
何をするにも金はかかるわけで稼がなきゃ好きなこともできんわな。
まあ仕事も好きだし一丁今年もがんばりますか。

次回は元長死去の章。でも明日は深夜まで帰れないので更新できない可能性大。
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