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2011-09-08

進め、ものども

前回のあらすじ:
陶の大軍をまんまと厳島におびき寄せた元就は、
いよいよ厳島へ進軍するというとき、
「半日でケリつけよう。でも一応三日分の食料は持っていってね」と
ツアーガイドよろしく自らマネキンのように糧食袋を腰に下げて見せたのだった。

昨夜書き忘れてたけど、合印や合言葉って、なんかかわいいな。


毛利右馬頭元就、厳島へ攻め渡り同所で合戦のこと(2)

その日の夕方六時ごろに兵士が皆船に乗って準備していたところに、
俄かに黒雲が空を覆って、北東の方向からしきりに風が吹いてきた。
木を折り、屋根を鳴らし、小石を巻き上げた。
盆をひっくり返したように雨が降り、稲妻が天地を轟かせ、
波の花が雪のように舞っているので、船頭ですら
「こんな風の強いときに舟を出すなんてとんでもない。
 風が少しでも収まるのを今しばらく待たせてください」と言い出した。
また兵たちは
「さっきまで静かだった天候がこうも急に荒れだしたのは、
 きっとただごとではない。天から戦の凶兆を示されたのだろう。
 今回の合戦、味方は勝利すまいぞ」
などと、仲間同士で耳打ちし合っていた。

元就様は船頭たちの申し入れを聞いて、
「逆風ならばもっと穏やかなな風でも舟を出せないだろうが、これは追い風だぞ。
 矢のように船が進むはずだ。
 この雨こそが大勝利を得る瑞相なのだ。
 陶は、我が軍がこの悪天候の中をよもや渡ってくるはずもないと油断して、
 枕を高くしてすっかり眠ってしまっているに違いない。
 敵の裏をかいて押し渡り、決死の覚悟で戦に臨めば、
 我々が少数だろうと、必ず敵の大軍を破ることができる。
 大風甚雨は、前を打ち後ろを開くものだという。
 いい例えがある。
 周の武王が騎兵したとき、牧の野に差し掛かって、
 雷神に遭遇して旗鼓が壊れてしまった。それでもついには紂王を滅ぼした。
 また源義経が渡辺神崎から四国へ押し渡ろうとしたとき、
 大風がしきりに吹いたけれども、これを気にせず舟を押し出し、
 しまいには平家を滅ぼしてしまった。
 これを思えば今の風雨は昔の例えにもまして吉兆だと言えよう。
 向こうが備えのないうちに攻め、不意をつくにはこういうときしかないぞ。

 進め、ものども。

 まず我の本船の艫綱を解いて押し出すのだ」
と命令すると、誰一人残ることなく、皆我先にと舟を押し出していった。
兵というものは、敵に対峙して死んでこそ生前の思い出となり、死後の面目も立つものだ。
今海中に沈んで魚の腹の中に葬られては悔しくてたまらない、と思わないものはなかった。

これは九月末日のこと。
左右もわからず眼を刺されてもわからないほどの闇夜であり、
雨風は甚だしく、海面は衾を張ったように光が満ち、
雷がひらめき落ちてきそうな気配がして、
陶軍は、まさかこんな宵に敵が渡ってくるとは思いも寄らないでいた。
一体どうしたことか、夥しい数の水くらげが光を放つので、
陶入道(晴賢)や陣から出てきた外回りの者たちは
「これはただごとではない、海にいらっしゃる神の祟りか、
 それとも弥山にいるという三鬼坊、追張鬼・時媚鬼・摩羅鬼という名の
 大天狗が暴れていらっしゃるのか」
と恐れおののき、皆陣に帰ってしまったので、
敵船が一度に漕ぎ渡ってくる櫓拍子、舵音、水夫たちの大声も、
雷にまぎれて聞こえていなかった。

これはきっと厳島大明神が陶の暴悪を罰し、
元就の仁政に感じ入ってくださっているからこそ、
元就の計画を助けたのだと、後に誰もが思い知った。


以上、テキトー訳。まだ続く。

なんか戦国って神秘主義なんだか現実主義なんだかわからんな。
それらの混在したカオスっぷりが魅力の一つなのかしらん。
現代人から見ると元就はデータに基づいた分析をするリアリストで
対して陶は迷信に惑わされる時代遅れの愚者のように映るけど、
この物語の成立当時はどんな風に読んでたんだろう。
幽霊や妖怪との対決話が信じられてた時代だから、
陶に共感する人が多かったんじゃないだろうか。
さすが元就様、人智の及ばないものをも恐れない!
そこに痺れる憧れるゥ!的な感じなんだろうか。

そして、怖気づく兵たちに発破かけて
いちばんに船に乗り込むのは隆元様だと思っていた私、涙目w
逸話サイトとかで拾い読みした情報だと、
その役目は隆元なんだが。まあいいか。
ともあれ。

盛 り 上 が っ て ま い り ま し た 。
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