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2012-01-10

美貌の叔父様VS肥後国人一揆

なんか拍手が増えてる……! ありがとうございます!
ですが残念なお知らせです。また別の資料に浮気心がうずいてしまいました。
ていうか吉川家譜ゲットだぜで踊りだしたい気分~~~~!!!
ますます朝鮮出兵に手をつける勇気がしぼんで違う方面に走り出しそうです!

まあ陰徳記もちょっとずつやるけどね。

陰徳記、とりあえずここここの間を埋めていこうと思う。
目次作らなきゃなぁ。あれ、なかなか面倒なんだよなw

とりあえず今回の章までの流れとしては、
秀吉の九州征伐→平定→一揆勃発→黒田が鎮圧失敗→毛利に平定命令→吉川勢が賀来・福島を落とした
という感じだな、きっと(オイ)。


肥後の国和仁・辺春落城のこと

小早川左衛門佐隆景は肥後の国へ赴き、辺春(ヘバル)の城へは粟屋四郎兵衛尉・朝枝右京亮に
安国寺瓊西堂を指し添え、総勢四千騎でその城を取り巻いた。
城中の兵には弓や鉄砲の名手が多く、隙間なく撃ち出し、射出してくる。
朝枝右京はたちまち正面を射られて死んでしまった。
粟屋四郎兵衛尉も肩を射られたが、傷が浅かったので少しも気にせず、
「少しずつ詰め寄せていけ」と下知をなし、塀の手から四、五間に攻め寄せる。

いよいよ乗り込もうとすると、辺春の何某(親行)は、もうかなわないと思ったのか、
「私一人が腹を切りますので、残りの者たちの命をお助けください」と懇願しだした。
粟屋四郎兵衛尉・安国寺たちは、自分たちで決められることではないと、隆景様へと伺いを立てた。
隆景様は「よろしい。辺春の言うとおりにしよう」と言い、
すぐにその城を明け渡し、辺春は切腹するようにと言い渡した。

辺春は「私の望みを隆景がご了承くださったのは、ひとえにお二人様のお取り成しゆえです。
ご芳志に感謝いたします。
私には幼少の男子が一人おりますので、安国寺に差し上げます。
成人したならば法師にして、私の無跡を弔うようにご指南を加えてください」と、
十二、三ほどになる子を安国寺に引き渡した。

安国寺はすぐにその子を受け取ると、
「ご安心ください。よきように取り計らいます」と答える。
辺春は手を合わせて喜んだ。
その後、辺春は腹を十文字に切って倒れ伏した。
その子は北村五郎左衛門といって、安国寺に付き従っていたが、
成人した後は名誉の勇士に成長したそうだ。
和仁(親実)は武器を投げ捨てて一命ごいをし、どことも知れず退散していった。

この報告が秀吉公に届くと、すぐに御内書が送られてきた
(小早川家文書一-文四九八、吉川家文書一-一一二)。

「今度肥後の国は和仁・辺春の両城を攻め取ったこと、粉骨の至りで、もっとも神妙に思う。
 なお、小西摂津守から申し伝える。
  (天正十六年)正月十九日      秀吉
  小早川左衛門佐殿」

「豊前の国において賀来・福島を討ち果たし首を送ってくれて嬉しく思う。
 特別に骨を折ってくれたと聞いている。神妙の至りである。
 なお黒田勘解由・森壱岐守(吉成?)から申し伝える。
  (天承十六年)正月十九日      秀吉
  吉川蔵人頭殿」


以上、テキトー訳。

短いけれどこの辺で。
吉川勢が活躍した一方で小早川勢もちゃんとやってましたよ、ということで。
粟屋一族カッコイイなぁ。惚れそう。

辺春さんは息子をそんな、モノみたいにくれちゃっていいのかしらと思わんでもないが、
この時代は普通に人質にやったりしてるから当たり前の感覚なんだろうな。
でも安国寺にあげるとセクハラされそう(ひどい偏見)w
まあ武士になって勇名を馳せたようなんでヨシとするか。

次も続きの九州情勢。
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