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2012-01-11

肥後一揆と佐々成政

九州一揆征伐、絶賛穴埋め期間中。
ほとんど一揆の方は鎮圧済みの状態で、しばらく九州情勢の説明が続くと思う。
といっても、今回を含めてあと3回くらいか。


佐々陸奥守、肥後の国を賜ること

佐々陸奥守(成政)は、以前柴田修理亮に味方していたので、
関白秀吉公は大いに憤って、能登の国を没収してしまった。
しばらくは流浪の身となっていたが、さすがに旧友が手厚く世話を焼いていた。
また奇計良略の世に傑出した良将だったので、
「九州の蛮族を抑えるには猛将でなくてはならない。
今の世の中には佐々がその任に一番適しているだろう」と、
罪を許されただけでなく、肥後の国を与えられたのだった。

佐々は衣食住も満足に整えられない状態からいきなり一国の主となり、
その栄耀は身に余っていたようだ。
国に入ったのなら仁徳をもって人民を愛せば国も穏やかに、また自身も安全でいられるというのに、
佐々は攻め取ったり戦いに勝つ才能は人より上ではあっても、
士を愛し民を慰撫する徳は夢にも知らぬ血気盛んな勇将である。
刑罰を厳しくし、愛和の道を疎かにしたので、
国人たちは表面上は佐々の武威に従っていても、心の内には恨みが山のように積もっていた。

よってたちまち国中で示し合わされ、一揆が勃発したのだった。
佐々は大いに怒り、すぐに自分の城を出て一揆の城郭を取り囲んで攻め始めたが、
あちらこちらの一揆勢が群れとなって後詰として攻めかかってくる。
佐々は自分の軍勢はすべて城の攻め口に差し向けていたので、
旗本だけのわずか二、三百の手勢で敵の大群に立ち向かった。
十死一生の戦を遂げ、たちまち大敵を平らげて前代未聞の大勝利を得た。

その後すぐに、一揆勢数万騎が熊本の城を攻め取ったと、櫛の歯を引くように次々と知らせてくる。
佐々は馳せ帰ってどこかを打ち破り城中へ入ろうとしたものの、
自分が念を入れて構えた堀が邪魔をして渡りようがない。
長柄の槍数十本を束ね、橋として堀に渡し、次々と打ち渡って城中へと入ると、士卒の勇気を励ました。
そして湯漬けを食い終わると同時に突いて出て、千変万化して敵を翻弄する。
前にいるかと思うと忽然と後ろに現れる。その速さといえば迅雷の如しだ。
耳を覆うこともできないような有様で、敵陣はあっという間に破られて退却していった。
佐々はその後城中に籠り、翌朝には寄せ手が引き退いていく後を追って、
数千人を切り捨てたということだ。

ここまでは聞き及んでいるが、遠国のことなので委細は知らず、調べてから追記する。


以上、テキトー訳。

>調べてから追記
香川さん(著者)、私のブログみたいなことやってんのなw

そりゃそうと、ほとんど武将の名前を知らない私だけど、佐々成政だけは知ってた。
高校の同級生にその家の末裔だという人がいた。庶流だそうだけどね。元気にしてるかなぁ。
なかなか濃いクラスで、先祖が南北朝の時代に南朝の重臣だったとかいう人もいた。
そのときに歴史に目覚めてれば、おいしい状況だったんだろうなぁ。
まあ例によって佐々さんが何をした武将かなんて知らなかったので、ここで知れてよかったw
ほとんど無双状態じゃないか。かっこいいなぁ。

次回はそんな佐々さんの末路。
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戦国江戸のころだと九州の情勢はこの程度のことしか伝わってなかったんですね……。
実際には佐々さんは随分苦戦してます。手に負えなくなって九州各地の諸将(黒田・加藤・立花・小早川・その他)に応援を頼んでます。

佐々さんは富山では民政に力を入れてたみたいでそちらのほうでは好意的に評価されてるみたいですね。
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