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2011-09-09

死ぬか、勝つか

前回のあらすじ:
これから渡海しようってときに吹き荒れてきた雨風。
すっかりビビりまくる兵士たちに渇をいれ、
「昔の人だって暴風雨の中出陣して勝ってるから無問題。
 むしろ敵の油断を衝くチャンス」と、渡海を強行するリアリスト元就。

これを真似して行方不明になるバカが毎年出るんでやめてください。
という戯言はさておき、続き。


毛利右馬頭元就、厳島へ攻め渡り同所で合戦のこと(3)

こうして元就様は包ヶ浦に到着し、小高い博打尾に登って篝火を焚かせた。
児玉周防守就方がそばから傘を差し掛けると、
元就様が握り拳で傘の柄をしたたかに打ちつけたので、
傘はどこかへ飛んでいってしまった。
冬にあって防寒具をつけず、夏には扇を持たず、
雨のときにも傘をささない将を礼将というが、まさにこのことだ。

冶部少輔元春の船は少し遅れて到着したが、
向こうの山上に火の明かりが見えるので、そばにいた二宮俊実に、
「あれは敵か味方か見て来い」とおっしゃった。
二宮は「かしこまりました」と急いで船から上がり、行ってみれば元就様だった。
隆元様はこれより先に尾崎にいた。
馳せ帰ってそのように申し伝えると、元春も急いで同所に馳せ集った。

そのとき父子三人で詮議を開き、かねてから心に決めたことなのだからと、
「厳島近辺に兵船を一艘も残してはならぬ。皆廿日市目指して漕ぎ戻せ」
と堅く命令した。
船頭たちは「承ってございます」とそれぞれ船を出し、帰っていった。
このようにして、ひたすらに、命を限りに挑み、
戦に臨むのだという姿勢を示したのだった。

もとより、強い大将の下に弱兵がいるはずもない。
吉田勢は皆、城を攻めるときは我先にと登っていき、
野戦の場合は我先にと向かっていく。
陣鐘が響けば士気を上げ、戦鼓が鳴れば喜色を顕す勇士たちだ。
大将がこれほど十死一生の合戦を決意したのを見て、
ますます奮い立ち、心を一つにした。
陶入道に挑みかかって戦死し、世間に忠死の誉れを顕し、
末代には功名を残そうと思わない者はなかった。

その昔、楚の項羽は、自軍の船を沈め釜や瓶を壊し兵舎を焼き払い、
三日分の食料を持たせて出陣した。
兵士たちは後顧の憂いなく死地に立ち、
秦の軍を大破して王離を捕らえ、蘇角を討ち取ることができた。
まるでこの故事を再現しているかのようである。

そうしていると、小さな牡鹿が一匹、林の中から出てきて元就様父子の前に現れた。
これを見た元就様は、
「いまここに来た小男鹿は、きっと明神が我らの迎えに差し向けてくださったのだろう。
 明神の加護があるのは間違いない。
 今度の合戦、必ず勝利は我らの手の内にあるぞ」とおっしゃった。
隆元様、元春様も
「まこと、この島の明神が我らの旗上にいらして
 神助を垂れてくださる瑞相、明らかですな。
 こちらの勝利は暗に知れております」
と大いに喜んだ。


以上、テキトー訳。まだまだ続くよ!

ふーん。天候悪化でビビってたのに「弱兵」じゃないんだ。
「べ、べつに雷とかが怖いわけじゃないんだからね!
 戦で死ぬなら文句はないけど、
 水死なんてかっこ悪いから、嫌がってただけなんだからね!」
みたいなフォロー入ってたから、筋は通ってんのか。

不思議と雨の中で煌々と燃え続ける篝火。
そして差し出された傘を打ち払って、あえて雨に打たれる漢、毛利元就。
もう還暦近いんだから自愛なさってください。
父上大スキーな隆元が泣いちゃうよ。
そうそう、雨に濡れた隆元はぜひとも私にくださ(ry

てゆーか。
乗ってきた船みんな帰しちゃうとか、バカカッコイイな!
こうなったら、陶を打ち滅ぼしたうえで船を奪って帰るしかない。
他には、死んで厳島の土になるくらいしか選択肢がない。
まさに背水の陣、デッドオアビクトリー。
にしては余裕ブチかましてるんでなんかムカつくけれども。

しかし九月末だから秋真っ盛りか。紅葉がキレイなんだろうなー。
宮島の鹿の大軍に熱烈キッスをしに行きたくなった。

ところで隆景はドコ行ったの?てぇのは、近く明らかになる。ハズ。
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