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2012-01-21

秀吉の道草

ツイッターで広家botを作ってみようかと思い立って、挑戦中。
けっこう難しい。システムが、じゃなくていい台詞が思い浮かばんのよ。
なるべく書状とかを元ネタにしたいんだけどなぁ。
あと、痔ネタは出して大丈夫かしら。顰蹙買わないかしら。
とりあえずなんとなく形になったら、右のツイッターリンクを広家botに挿げ替える予定。

前回までのあらすじ:
小田原が無事開場して関東八国はすべて家康に与えられた。
諸将に力を与えすぎて、わざわざ自分の子孫の敵作るなんて秀吉乙。
広家は家康の居城、岡崎でお留守番中です。


小田原の城没落のこと(下)

やがて秀吉公が岡崎に着くと、羽柴侍従広家様は、珍玩嘉肴を山ほど用意して饗膳でもてなした。
秀吉公のご機嫌は非常によく、自ら拍子をとって謡を披露する。
秀吉公は広家様に向かって、
「わしが秘蔵している馬の中から、どれなりとも一頭くれてやろう。
広家は武術に優れているらしいが、中でも馬術を得意にしていると聞く。
ならば目利きのほども試してやろう。わしの馬の中から目利きをして良い馬を取れ」と言う。
広家様が「かしこまりましてございます」と答えると、
秀吉公はではこれから一緒に行こうと、広家を連れて厩へと出向いた。

数百頭も並べられた馬たちは、どれも劣らぬ名馬だったので、
あれこれと目移りして、これがいいと断定するのは難しそうだ。
その中に、月毛の馬で高さが五尺ほどあり、目つき顔つきが、穆王の八頭の天駒、
項羽の千里の葦毛、頼朝卿の生月・摺墨などといった名馬もかくやという様子の馬がいたので、
広家様は「この馬をくださいませ」と言上した。
秀吉公はニコニコと笑って、
「今回は多くの駿馬を買い求めたが、この馬に並べて見るとまるで花のそばの深山木だ。
たくさんいる中でも特に優れた馬だから、この秀吉、
とりわけ秘蔵していてなかなか人に見せたりもしなかったわけだが、
広家が欲しいと言うならくれてやろう」と言って、すぐに与えた。

それから家康卿の飼っている孔雀を見るといって、そぞろ歩いて見に行く。
孔雀を飼育している中間と思しき者に飼い方などを尋ねて、やがて中へと入っていった。

翌日、秀吉公は岡崎を出発したので、広家様から送馬を三百五十頭ほどつけさせた。
その中から良馬を選び出して秀吉公をお乗せしようと、蠅原次郎左衛門が一頭一頭見て回り、
香川又左衛門が出した馬を秀吉公の御召馬に定めた。
香川は栗栖十兵衛という者を舎人に出した。

秀吉公はその馬に乗るとすぐに
「なあ舎人、これは広家の馬か、それとも家中の者の誰かが送馬に出したものか」と尋ねるので、
栗栖は「もちろん広家の馬でございます」と答える。
秀吉公は「そうであろう、そうであろう。乗り心地のいい馬だ」と感心し、
その後は舎人に向かって「あそこに山の峰がそびえておる」「この谷の木は曲がっておる」などと、
あれこれと話しかけていた。
尾張の中村に差し掛かると、秀吉公は栗栖に「おまえはわしについてってこれるか」と訊くので、
十兵衛は「もちろんどこまでもお供いたします」と答える。
「ならば後について参れ」と、秀吉公は栗栖一人を召し連れて、
ただ馬一頭だけで駆け出すと、中村に入っていった。

秀吉公はある街で栗栖に向かい、「おまえはここでしばらく待て」と言うと、
たった一人で中村の在郷を駆け巡ってから帰ってくると、
「ここはわしの故郷なのでな、懐かしく思ってきてみたのだ。
昔に引き換えて、皆の住居もなかなか賑わしく、なかなかいい暮らしぶっりと見える」と言った。

天下を統べる武将の身でありながら、送馬に乗ったと聞いてもピンとこないし、
厩に自分で数百頭の馬を抱えているのに、こんなことをするなど考えられない。
その上、その日初めて会った素性のわからない者を馬の口添として、
譜代恩顧の者のようにたった一人召し連れるとは。
こうした乱世には山賊なども巷に溢れている。また主人を殺され家を失った者たちも星の数ほどいる。
そうした者たちが忍んで恨みを報ずる機会を狙っているというのに、
何の用心もなく、このような軽々しい振る舞い、是と言うべきか非と言うべきか。

やがて秀吉はそこの老翁を呼び出し、禄を与えるなどしたが、
「昔はおまえと何とかいう山へ行って、木を切ったものだ。
帰るときには薪が重くて、すっかりくたびれ果てたものだが、おまえが麦飯を少しばかりくれた。
あの情けは今でも忘れておらんぞ。まだ草を刈っておったのか。嬉しいものだな」などと語って、
袂を湿すと、その翁たちも皆涙を流して退出した。

秀吉はやがてそこを出発したが、紅染のいかにも華やかな広袖の小袖を着て、
長い鬚を左右の頬や顎につけて、九尺ほどある大熨斗付きの太刀を帯びたいでたちだった。
この太刀は、中は二尺三寸の刀だったが、長大な空鞘を仕立てさせてそれに刺している。
馬上で背中を大いに怒らせ、目をカッと見開き、口をへの字に結んで作り鬚を掻き撫で、
道の脇で見物していた貴賤僧俗の前を通るにも、
「さあおまえたち、よく見るがよい。我はこれ、従一位関白、豊臣の秀吉であるぞ」と、
左を向き右へ振り返り、大げさに声を作って声高に叫ぶ。

その有様は、踊の場の流れ者の白拍子がやる座の狂言、あるいは狂人などという者とでも言うべきか。
またこの殿下の行状は、常人の思考では理解できないもので、
不可思議な活境界の良将であるので、愚の骨頂の身では是非を論評するなどできることではない。
博学な者が和漢両朝の聖人賢将のたとえを引けば、あれこれと違ったものが出てくるだろう。
後の世の将が真似できるものではない。

秀吉公は、やがて京に帰り着いて聚楽第へ入った。
天下統一の御代となり、たいへんめでたいことであった。


以上、テキトー訳。この章はここまで。

秀吉がけっこうオモロイことやってるのに、広家がいい子ちゃんで霞むな。
ちゃっかり一番いい馬もらってるのは遠慮を知らない末っ子だから? 違うか。
「月毛」ってのがよくわからなかったからググッてみたら、茶系の淡い毛色みたいだね。
ベージュというかクリーム色というか。それに乗ってる広家……きっと可愛い。

元春が陶隆房に真っ黒な馬もらって「すっごい黒いよ!」って強調されてたから、
黒い馬が好まれるんだと思ってたわ。
なんで黒がいいんだろうと疑問だったけど、このころは単純に黒=強そう!って認識だったようだ。
具足を真っ黒にしてる人は、強く見せたいってこったな。夏だと暑そうだね。
あと、紐まで黒く染めると、染料の関係なのか強度が弱くなるそうだ。
なんかの本に書いてあった。なんだったっけ。
基本的にこの時代の発想は中二的だと思っとけばいいのかなw

次は広家が領地替えになるときの話っぽい。
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