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2012-01-22

輝元お誕生日おめー!!!

生まれてきてくれてありがとう! そしてありがとう!!!
今度はちゃんと確認したぜ、吉川家譜(そっちかよ)。
1月22日は我らがTERU様のご生誕の日である! もうホント大好き。

そんなわけで陰徳記はちょっと置いといて、輝元の書状を読みます。
元春宛の心細げなアレでござんす。

●毛利輝元自筆書状 宛先:元春
(上書き)「元春 参人々 申給え      少輔太郎 輝元」

「この二通は、時間のあるときにでも読んでください」

「 私が心底で考えていることを、すぐに言うべきだったのですが、
  とにかく取り乱していてこんなに遅くなってしまいました。ごめんなさい。

一、今度は不思議にお心遣いによって、皆何事もなく上国しました。
  当家のことは言うに及ばず、他家の者たちも非常に安堵しています。

一、こうなれば、当家もしばらくは存続できます。本当によかった。
  これからは、私の心持ちが重要になる戸思いますので、
  それについて、私が常々思っていることをお話します。

一、私は実に無器量・無才覚に生まれつき、そのうえ常栄(隆元)とは十一のときに別れてしまい、
  ついに親から教えを受けることもなく、指南をしてくれる人が誰もいませんでした。
  こうして時が過ぎるまま、西も東も知らぬ私に、
  あれこれと気を回したり、尽くしたり、「何はともあれよくやった」などと
  一言でも言ってくれる人はいません。
  どうかご推察ください。
  本当に私などは、兄弟の一人もおらず、手も力もないようなものです。
  どうすることもできません。
  必要のないことばかりを目にして過ごしてきました。
  あなた様のことを、親とも兄弟とも思って心から頼りにしたく思います。
  ご理解いただければ、本当に一生恩に着ます。

一、私は仁者の次の代に生まれてしまいましたが、これは私の不運です。
  親・祖父のことは言うに及ばず、先祖に対しても残念に思います。
  毛利の家は私の代で傷をつけてしまうでしょう。実に無念に思いうばかりです。
  もっと物のわかった重臣にでも一旦当家を相続させるよう、
  手を打ってくれればよかったのにと、どれほど思ったことでしょう。
  戦は次第しだいに手広くなり、終わることもなくこうして続いています。
  その上、家中にはできる者もおらず、欲をかく者ばかりいて、
  私を自分のことのように思ってくれる者は一人もいません。これは一大事です。
  遠い海へ小舟で乗り出したような気持ちです。

一、今後は、気を引き締めて覚悟を決めなくては!
  この城はあまりに広すぎて、なかなか滑稽なものですね。
  もしものときは頼みになるように、ぜひ他に一城こしらえたいと考えています。
  次にいらっしゃるときは、話のついでのようにして、
  上(元就)のお考えを聞いてみてもらえないでしょうか。

一、今後、これからの当家のあれこれについて、また心の様など、
  気が付いたことを一書にてお聞かせいただければ嬉しく思います。相談させてください。

一、言うまでもないことですが、もし今後、何か遠慮などなさるようなら、
  実に残念に思ってしまいます。

  近頃はいろいろと忙しくなさっているのに、長文になってしまって申し訳ないけれども、
  私の心の内を隠さず申し上げようと思いました。
  時間に余裕があるときにご覧ください。恐々謹言

   十二月十三日      輝元
   元春へ」

「  元春へ     少 輝元
  また申し上げます。
  次の出雲表への出陣ですが、ぜひ今度は、私も参加したいと思っています。
  あまりにも戦に出ないでいると、人も侮るようになるでしょうから、
  ぜひともお頼みいたします。
  せめてこんなことだけでも頑張ってみたいと思うのです。
  これまでは、何度望んでも許されなかったので悔しかったのです。
  ご理解いただければ、海ほどにも山ほどにも、本当に喜ばしく思います。
  まずは申し入れておきます」


以上、テキトー訳。

(´・ω・`)「指南してくれる人が一人もいないお」
元  就 「えっ」
隆  景 「えっ」
(´・ω・`)「よくやったって誉めてくれる人もいないお」
元  就 「そうだっけ」
隆  景 「よくやったことってありましたっけ」

↑という情景が脳内で再生されました。本当にあり(ry
隆景が調教もとい、教育に当たった前なのか後なのか教育中なのか、それによってニヤニヤ具合が変わるよな。
年が書いてないんだけどいつのことだろう。
永禄8年2月に元服して「輝元」名乗ってるからそれ以降なのは確実として、
「戦に出る」ってのも別に初陣てわけでもないだろうしな。
初陣は同年4月だから間に12月挟むのは無理ってモンで。
大日本史料綱文で検索する限りでは、初陣から元亀元年1月まで出陣の記録がないんだよな。
てことは永禄12年の12月なんだろうか。よくわからんがまあいいか。
そのうち吉川家譜などで判明したら追記しますです。

(`・ω・´)「でも頑張るお! 城造りたいお! 戦に出たいおっおっお!!!」

↑それにしてもコレだぜ、TERUちゃん。なかなかいい根性してんじゃないの。
この子は心細い心細い言うわりに悲壮感が漂わないからいいよね。
広家への手紙でも、気持ちの切り替えして前を向いてる感じがするので好印象。

でもまあよくこんな可愛い子が生まれてくれたもんだと感心する。
元就の孫、隆元の子ならさもあらん。
そういや「自分の代で毛利の家に傷をつける」ってのは予言だね。
安国寺の信長・秀吉評(信長は数年で駄目になる、秀吉はさりとてはの人)も真っ青だね。

今日も残り少なくなったけど、本当に輝元、お誕生日おめでとう。
旧暦? そんなもん知らん。日付が大事なんじゃ。アニバーサリーじゃ。
そんなわけで私は酒を飲む。飲むぞー! 明日仕事だからほどほどにするけどね!



【追記 2012/1/30】
この書状は永禄12年12月でいいみたい。吉川家譜で確認。まあこっちも推量で書かれてるけど。
そして翌元亀元年正月、TERUは出雲に向けて出陣するのでした。
ちなみに広家の初の従軍もこのとき(10歳)で、そのまま陣中にいて、
翌元亀2年6月に初陣を果たした(11歳)んではないか、とのこと。
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