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2012-01-30

元春=孔明、隆景=泥中の蓮華←new!

引き続きおっさんどものダベリ場@厳島宝前。
白髪の老人が語り終わり、坂東なまりの武者修行者が元春について話してる途中から。


厳島宝前物語のこと(5)

「さて秀吉公が九州征伐を行ったとき、薩隅の二国は山深く道も険しいところで、
そのうえ島津兄弟は当世では群を抜いた大勇将ときていて、智計謀略では太刀打ちできない。
また軍事に携わる家臣たちは言うに及ばず、里や村の農夫・きこりに至るまで、
死ぬことを常日頃飯を食ったり茶を飲んだりするのと同じように考えているそうだ。
それがどうやら本当らしいと聞いて、秀吉公がこれは一大事だと思っていると、
長曽我部・仙石・大友たちがことごとく一戦の内に打ち負かされてしまった。
数千の兵を討たれ、命からがら逃げ上ってきたので、
これはますます島津の武勇は侮りがたいと秀吉公は感じていらした。

しかし元春の武勇は播磨の上月・伯耆の馬野山・備中高松の三ヶ所で
ご自分が対陣しているのでよく知っている。
吉川を先陣として島津を攻めれば、たちどころに征伐できるはずだとお考えになった。
それで安国寺にその旨を伝えて、元春に出兵するように促したが、
元春は隠居の身でもあり、年老いて常に病に苦しめられていると言って出馬しなかった。

秀吉は次に黒田勘解由を通じて、輝元・隆景にこう伝えた。
『近年は元春と所々において対陣してきた。だからその戦についてでも語り合いたい。
この秀吉が天下の権勢を握れたのは、ひとえに元春・隆景のおかげだ。
備中での和睦のときに、信長が惟任(明智光秀)に殺されたという知らせを再三受けながら、
士卒は秀吉の後を追って攻め上るべきだとしきりに訴えただろうに、
元春・隆景が会盟の旨を決して破らなかったからこそ今がある。
その恩は忘れたこともない。元春に対してわしは毛の一本ほども疎意はない。
一聞は一見にしかずという言葉もあるし、とにかく一度対面して、
元春と水魚のように親交を深めたいというわしの心の底もすべて語り、また九州征伐の計策も評定したい。
だから元春にぜひとも九州へ出馬してほしい』
これは二度伝えて、合計三度も使者を送っていることになる。

そして輝元・隆景は新庄に行って、
『関白殿がこうして理を尽くし言葉を和らげて、九州の軍事についてひたすら元春を頼っているのに、
出馬しなければ無礼のきわみになってしまう。
また吉川家のことは言うに及ばず、毛利家の危機にもつながる。
輝元のためとも思って、元長・元氏・経言の身の上をも思えば、どうか九州へ出馬してほしい』
と重ねて説得した。

元春は『私が身命を惜しまず強敵・大敵を挫き、戦場の霜雪にこの身を削られるのを厭わなかったのは、
ただ毛利家の危機を助けようとしてのことだ。
今秀吉がこうして言ってくるのに頑なに背くと、輝元のためによくないと言われれば、
承知しないわけにはいかない。では秀吉の仰せに従うとするか』と、すぐに九州に向かった。
しかし豊前を制圧する途上で亡くなってしまった。

これを考えると、諸葛孔明に臥龍の徳があると聞いて、魏を滅ぼすために、
蜀の劉備が三度も孔明の草庵に足を運んだ故事に通じる。
孔明はついに劉備に応えて蜀に仕え、赤壁の戦いで魏の軍を大破したが、
軍営の中で病に冒されて死んでしまった。
草庵への三顧の恩といい、智謀勇武といい、軍営での死に方といい、
元春が秀吉から三度の要請を受け、再び表舞台に立って九州の陣中で病死したことと、
一つとして孔明と異なるところはない。
これを思えば、元春は諸葛亮の生まれ変わりとでも言えるのではないだろうか。

また、小早川隆景は文武両道の才能があるが、なかでも治世撫民の器に秀でている。
愛和の情が人より強いので、士卒も世間以上に隆景を慕っている。
その行いは柳下恵(中国周代の賢者)のようだ。
最近では石田治部少輔・長塚大蔵ごときのつまらない者たちと親交を結んでいるが、
本人はまったく堕落していない。
これは蓮の花が泥の中から現れてもその濁りに染まらないのと同じだ。
昔の聖人は物事にこだわらず、世とともに移り変わるというが、それに相当する。

今輝元の国政を助け、八国の民を愛し育んでいる様子は、あたかも成王を補佐した周公のようではないか。
時代は違えど、周公の徳を学べる良将は隆景だ。
また、小松の内府(平重盛)の行いにもよく似ている。
だからこそ秀吉公もその賢才を愛して筑前と肥後の木の郡・養父郡を与えたのだ。
これが賢さで抜きん出ていると言わずに何と言えようか。

元就の八人の息子のうち、隆元・元春・元秋は亡くなってしまった。
今残っているのは隆景のほかには元清・元政・元康・秀包だ。いずれも劣らぬ勇将だ。
なかでも元清は隆景とよく似ているそうだ。
吉川広家は父の元春の勇も智も仁も受け継いでいる。
だってそうだろう。豆の種から麻や麦は生えてこないものだ。
祖父といい父といい、またこの人の母は熊谷伊豆守信直の息女だ。
信直の祖先の直実にも劣らない勇士だぞ。

もし隆景が老死してしまっても、広家・元清がいる限りは、
毛利家の政道に不正はなく、軍事力も昔に劣ることはないだろう。
輝元はまだ若いといっても、秀吉公が特に大事にしている信将だとのことだ。
こうして子孫が繁栄して、文武の徳を両方得ることができるのは、
すべて元就の武勇が古今に傑出していただけでなく、上は仏神を敬い、
下は庶民を慈しんだためであって、その徳が今になって輝きを放っているのだ」


以上、テキトー訳。どこまで続くのか。

ついに元春、「諸葛孔明の生まれ変わり」とまで言われちゃったね。
ヒャッホゥ! うちの殿様世界一~~~!
三国志もよく知らないけど、孔明死すったらアレか、五丈原だったかな。昔習い事で歌った覚えが……
「キ山悲秋の風更けて 陣雲暗し五丈原 零露の文(あや)は繁くして 草枯れ馬は肥ゆれども
 蜀軍の旗光なく 鼓角の音も今静か 丞相病篤かりき 丞相病篤かりき」
だったかな。うろ覚え。ああ、また筝やりたいな。もう指が昔のように動かなくなってるけど。

そして隆景。なんか「愛」とか「和」のイメージないんですけど。
だいたい正矩のせい。これまでの描写がドSすぎる。
でも泥中より生ず蓮華になぞらえるのは美的でイイよね。ドSのイメージとも競合しないし。
決めた。うちの隆景のイメージカラーは「白」だ。
どんな色にも染まらない、すべてを反射し拒絶する白。
柔和なフリして絶対に他者を受け容れない白蓮。
肖像画も柔和な美老人て感じだし、ぴったりな気がしてきた。

あと広家、待ってました! 母ちゃんの血統も褒めちぎられてるし、満足満足。
熊谷直実にも劣らない勇士だってよ、どうするオイ。

さて次は毛利家じゃない武将について坂東なまりのおっさんがいろいろ語ってるようだよ。
武田信玄とか北条早雲とかそのへん。
ここらで有名武将総括入れとこうって腹か。そうなのか正矩。
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