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2012-02-03

仏様と日輪と元就

最初に言っとく。
仏教用語わっかんねええええぇぇぇぇぇ!

今回は坊さんが元就について批評するの巻き。


厳島宝前物語のこと(9)

「まず、仏は寂滅道場においてはじめて悟りを開き、悟りを求める人のために釈迦として姿を現して
円満教を説いたが、これが華厳経である。
これは日が昇るとまず高い山を照らすのと同じだという。
さて元就は初陣で武田検非違使元繁を芸陽の有田にて討ち取り、ここで初めて勇将として名を上げた。
仏が初めて悟りを開いたときに大乗の華厳経を説いて、
元就が初陣の武田との合戦で武の大機大用をあらわした。
仏法の陽光が高山を照らすことと、武威が日の上る勢いだということ、これらは本当によく似ている。

仏が最初に説法したのは苦行仲間に対してだった。
二乗の人(声聞乗・縁覚乗、自分一人で悟りの岸に行こうとする苦行者)は、
仏が苦行をやめて堕落したと考えて耳も貸さず目も向けないようにしていたが、
一尺六丈のぼろきれを身にまとった仏の姿は威厳に溢れ、苦行者たちも惹きつけられた。
仏が鹿野苑(ろくやおん)で阿含の小乗経を説くと、二乗の苦行者たちも悟解して、阿羅漢の境地に達した。
これは深い谷を日が照らすかのごとくである。

元就は武田を討って芸陽を打ち従え、大内・尼子・武田と並び称されていたのに替わって
大内・尼子・毛利と言われるようになりたいと思ったが、大内・尼子はそれぞれ数ヶ国の太守である。
安芸一国を従えただけでは、とても肩を並べられない。
『私が他人の幕下に属さずに一旗上げて大将と呼ばれる日はまだ到来していない。
大将を名乗りたいと言う望みはしばらく抑えて尼子に属し、
策謀をめぐらし、愛を結び、徳を施して備芸の国侍を味方に引き入れよう。
それから防長備芸を切り従え、山陰道へ出兵しよう』と考えて、尼子経久のもとに属した。
そこで備芸の国人たちと深く親交を結び、仁徳を第一にしたので、
備後・安芸の国人たちは元就の賢才と武勇とを褒め称えて、自然と元就に属すようになった。

これはさっき言った、仏が珍服を脱いでぼろぼろの衣を身にまとい、
小乗を説いて二乗の苦行者たちを阿羅漢の境地に導いたのと何の遜色があろうか。
また元就が武威を増していったのも、陽光が深い谷を照らすのに似ている。

仏は方等経を説いて小乗の声聞・縁覚をも大乗に帰依させようとした。
これは日が平地を照らすかのようだ。
これはすなわち、備芸の国人たちが元就の軍法の正しさや仁徳の深さに感嘆し、
この人こそ智勇全備の名将というものだろうと惚れこんで、
大勢力こそ強いという戦の道理をしばし忘れて大内・尼子に背き、元就に帰服したのと同じだ。
自分だけ悟りの境地に向かえればいいと考えていた人たちが、
皆が救われるようにしたいと考えるようになったことと遜色はない。
元就の武威がますます強大になっていったのも、日が平地を照らすのと一緒だ。

仏は般若経を説いて、万法はすべて一空に帰すと衆生に示した。
このときには小乗の人々も心の迷いをすでに脱して、大乗の機を発していた。
このまさに日光がさんさんと降り注ぐ巳の刻(午前十時ごろ)とでも言うべき時期に、
万法は皆真空なりと説いたのだ。
元就は厳島で陶隆房を討ち、防州へ攻め込んで大内義良・内藤隆世・陶五郎・陶小次郎をも討った。
大内・陶の子孫を一人残らず討ち果たし、地を払って空となし、
またあの家の邪政をもことごとく払い捨てた。
そうして民の心を和らげ、一点の邪悪もない本空の田地にしたことも、
また元就の武威がさらに増して巳の刻の陽光のようになったことも、これと同じことだ。

第五に仏はその後八年がかりで法華経を説いて、
無二亦無三(むにやくむさん)、仏になる道はただ一つ一条であり、二乗も三乗もないことを示した。
声聞・縁覚など小乗を修行する者たちは言うに及ばず、草木国土まですべて成仏させたのだ。
これは正午になったときの日輪のようである。
これを元就の軍略になぞらえれば、尼子を捕虜にし、宇都宮を攻め従え、
中国を統一して切り従えたことだろう。
もとから忠功を尽くしていた者には恩賞を与え、
旗を巻き兜を脱いで降伏した者には慈愛を注いで本領を安堵し、仁徳を施して全ての民を楽にした。
これは声聞・縁覚たちの成仏に相当する。

また朝廷も、元就が数ヶ国を切り従え天下を泰平に治めようとしていることに感じ入って、四位を叙階した。
公卿・殿上人まで、『ああ、この人にこそ天下の権勢を握ってほしいものだ。
そうすれば王法も昔のようにうまくいくだろうに』とこいねがった。
それだけでなく、公方(足利)義昭卿までもが、
元就が中国の政道に当たって仁徳を第一としていることを感称したのだ。
これは仏が法華経を説いたときに、多宝如来をはじめとして諸仏が歓喜なさったのと同じだ。

もとから元就の幕下に属していた国人や、家来郎党が恩賞を与えられて喜んだのは、
文殊や毘盧遮那仏などの菩薩たちの心境と同じだろう。
そして敵方にあって降服してきた者たちが元就の善政に心服したのは、
デーバダッタが悪心を捨てて心を改め、成仏したことに相当する。
中国の庶民たちはことごとく、あるいは農業に専念し、または商売が盛んになり、
五穀豊穣になったのは、草木国土をすべて成仏させたのと一緒であり、まったく違わない。

仏は法華の後には涅槃経を説き、ついに沙羅双樹の林で涅槃に入った。
元就は七十年以上生きて、余命いくばくもないことを悟ると、
輝元・元春・隆景に毛利家の将来に関する遺書を示し、または遺言を残して、
ついに元亀二年、安芸国の吉田の城で亡くなった。これは仏の入滅と同じだ。


以上、テキトー訳。まだもうちょっと。

あと1回、じゃ終わらないかな。2回くらいでどうにか読み終わるといった分量。ひでえ長い。
ついに仏様と同じってことになってしまった元就。
スケールがだいぶ違うんじゃないの、正矩。
これにはぢいさまもあの世で盛大に苦笑いしてそうwww
人殺しを生業にしている武家の大将と比べちゃっていいクラスの人なんだろうか、仏様。
いいのか。この時代は仏弟子だって長刀振るってるしね。いやしかしw

仏教用語だのに今回だいぶ苦戦したわけだけど、
ちょっと思ったのが、元長って仏教オタクだから、ナチュラルにこういう話してたかもしれないね、ってこと。
二乗がどーのこーの、阿羅漢がどーのこーの、草木国土がどーのこーの……
こりゃ聞かされる人が大変だわ。たぶん恵雍さんとか経家が聞かされ役なイメージ。
恵雍さんはお坊さんだからいいとして、
黙れと言って口をふさいでやりたくなったんじゃないか、経家?

口をふさぐ方法はアレコレ妄想で補うとして、
次回は坊さんが語る元春と隆景!
更新できなかったら用語理解に手間取っているとお察しください><。
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