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2012-02-07

諸将が朝鮮に着岸したようです

秀吉が挑戦征伐決めーの、諸将が船造りーの、名護屋城築きーの、
まず小西が渡りーの、釜山海城攻めーの、落としーの。
嫁がないよ(゚∀゚)アヒャ

お笑い知識が古いのはどうでもいいとして、
引き続き朝鮮出兵。小西以外の諸将も対馬からどんぶらこっこと辿り着いたようです。


日本勢、朝鮮の都入りのこと(上)

日本勢がすべて釜山海に着岸すると、ここで加藤主計頭と小西摂津守が都入りの先陣を争った。

主計頭は、「小西殿は船が早く着いたから、釜山海などの敵城を乗り崩された。
だから都への先陣はこの主計が仕りましょう」と言う。
小西摂津守も、「船が早く着いて釜山海以下の城を切り取った私だからこそ、
都の先陣もつとめるべきでしょう。肝心なのは都入りです。
それを心にかけてきたからこそ、ほかの舟を引き離して釜山海へと急いだのです。
先に着いた者が先陣をつとめないのなら、誰が先陣を切ろうというのか。
昔から先陣・後陣の争いはたくさんありましたが、先に行った者に対して、
第二陣につけなどと命じられた例えなどありません。今回の都入りはこの小西が仕ります」と譲らない。

「それは小西殿、あまりにわがままな振る舞いでしょう。
釜山海などの敵城にも先陣を切って切り崩し、今度は都にも一番に入ろうなどとは、理不尽すぎます」
と主計が言うと、小西もまた口を開いた。
「先陣を望むなら一番に渡海なさっていればよかったではないですか。
それもせずに、先に着岸している者を待たせ、自分が先陣になどと仰るほうが傍若無人というものです。

都入りの先陣を望むならば、一日でも一刻でも急いで舟を渡されるべきだった。
なのに、今日は風が強そうだ、明日は雨が降りそうだ、などと空しく天候を気にしてばかりで、
対馬で無駄に日数を送っていたのは誰ですか。
朝鮮の地へ遅れて着きながら、自分が一番に帝都に入るだなどと、わがままの極みではありませんか。
あなたの家人どもなら下知に従うのでしょうが、この行長は絶対に耳を貸すつもりなどない。

これほど思うがままの振る舞い、太閤はいかが仰りましょうや。
日本国中を見ても、ほかには者を言える者はありますまい。
殿下の御下知ならば残念ですが諦めましょう。
しかしそうではないのですから、道理に従って、私が先陣を務めます」
これに加藤は大いに腹を立て、一触即発の事態となった。

日本から渡ってきた諸将は「理非はともかく、小西殿は敵城を三ヶ所まで切り崩しなされた。
ですから今回は道理には合わなくとも加藤殿に都入りの先陣をお譲りなされ」と宥めようとする。
小西もさすがに諸将の意見をまったく無視するのもどうかと思ったのか、
「では清正に先陣を譲ろう」と了承したのだった。

こうして加藤清正は釜山海を右に見て、ヤグザン(梁山)海道へと攻め入った。
これは都への近道だった。
そのまま十三里も行ったところの州の旧都を攻め破り、敵を数多く切り捨て、
急ぎ都へ入ろうと意気揚々と進んだ。

小西行長は釜山海を左に見て、トクネギ(東?)海道を経て都へ入る。
これは山道をめぐるので道程は遠かったが、宗対馬守の手勢に高麗の道に詳しい者が多くいて、
道の険難や山川の位置も熟知していた。

小西は梁山道には大河が多くあると知ると、高麗人を数人生け捕りにして人質を残し置き、
「おまえたち、梁山海道の大河にあるすべての舟を打ち壊すか、焼き捨ててこい。
それができなければ、渡し口から五里か三里ほど川下に流し捨てよ」と命じた。
高麗人は命惜しさに、皆「かしこまりました」と、川のあるところへと駆けつけて、
舟を焼き捨て、あるいは流し捨てるなどしたのだった。

加藤はこれを夢にも知らず、小西に先を越されるまいと急いで攻め上る。
しかし川に行き合うと船がないので一日半も足止めされ、
渡し場に行っては船がないかと訪ね歩いて空しく数日を過ごしてしまったので、
ここでもまた小西が先立って都に入ってしまった。

朝鮮の帝王は、日本から海賊船が数千艘もやってきて宝を求めていると聞いて、
数々の宝さえ与えれば、人を殺され宮殿を壊されることもあるまいと、
「金銀珠玉をあるだけ与えよう。戦をやめてくれ」と使者を送って言い送ったが、
小西は耳も貸さずに攻め入った。
これに上は帝王から下は貴族や高位高官、士農工商に至るまで、
「これはいったいどうしたことか」と慌てふためいて、急いで鏡安道に落ちていった。

小西は都に残った者たちを切り捨て、鬨の声をどっと上げる。
そして東に向かい、まずは天照大神を拝み、その後は肥後の宇佐八幡を拝んで、
「私は釜山海の城を落とし、今また異国の帝都を陥落させた。
これは天照大神が日本の軍勢をお守りくださり、また秀吉公へと加護の眼差しを向けてくださったからである。
また私の本国の宇佐八幡宮が私を憐れんでくださり、加藤清正に先立って都に入れてくださったからである」
と、頭を地につけて礼拝した。

その後、小西は「こうして金を塗り、玉を敷いた立派な宮殿を焼き尽くすのは
情けのないやり方のようではあるが、加藤の鼻を明かした証拠に放火しておけ。
そうでもなければ、清正は口さがなく、後日また前後の争いを吹っかけてくるだろう」と、火を放った。
するとたちまちの内に燃え上がり、さすがの金殿紫閣も一刻の間に焦土となり果てた。
はかないものである。
これは項王が函谷に入って始皇帝が心を尽くして造営した漢陽宮を焼き滅ぼしたというのも
このような情景かと思えて、目で見たこともない古い昔の有様を今目の前にしているようで、
心ある者たちは皆涙を流したものだ。


以上、テキトー訳。続く。

ちょっと長めなので分割する。
これは……加藤age小西sageってことなのかな。

なんにしろここで描かれてるコニタンの底意地の悪さと言うか悪運の強さと言うか、
清正公いじめたくて燃えてるコニタンは嫌いじゃない。もっとやれ。
「はん。遅れてきたくせにYOU何言っちゃってんの~?」と花輪君ばりに前髪をなびかせてほしいw
清正もコニタンもよく知らんのですが、朝鮮では敵(と書いてライバルと読め)意むき出しで
ガッツンガッツンやってたのは聞きかじってるよ。
てゆーかおまえら、仲間割れしてる場合なのか。

一丸となって当たらなきゃならないほどの厳しい敵じゃなかったのかもしれないけど、
だからといって身内でいがみ合いしててOKってもんじゃなかろうに。
きちんと睨みを利かせて統括できる人がいなかったってことなのね。
それを考えると、秀吉ってのはやっぱりすごい人なのかも。
この喧嘩上等な諸将を、国内とはいえちゃんと治めてたんだから。

毛利だって身内のいざこざはたくさん抱えてるんだよね。
元康と広家、秀元と益田なんかも不仲になってるけど、
そのたびに輝元が奔走して宥めたり叱ったりして収束させてる。
関ヶ原の後では広家と秀元、あと益田と熊谷かな。
熊谷の場合は一族粛清って運びになったんだけどね。
そこまでやってもたいして反乱にならないんだから、輝元ってすごいなと思うよ。

さて次回も引き続き章の続きを読む。
清正はいったいどうやって川を攻略するのかな。
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