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2012-02-15

吉川衆「広家様ご高名!」「●REC! ●REC!」

これまでのあらすじ:
日本軍が占拠した朝鮮の都に攻め寄せる明の大軍勢に、見回りの宇喜多勢・立花勢・吉川勢などが討たれた。
軍事評定で石田・増田らの奉行衆は「一晩陣を敷いて様子を見るべき」と言うが、
広家・黒田長政らは逆攻めでの一戦を主張する。
会議が紛糾する中、宇喜多秀家の叔父、安心が自軍に出撃の号令をかけた。


江陽合戦(碧蹄館の戦)のこと(下)

宇喜多と吉川とは、先陣を心にかけていたので、他の将よりも先に備えはできていた。
宇喜多は昨日手勢を多く討たれたことを無念に思ってか、日本への面目が立たないと思ったのか、
諸人に先を越されまいと、ひときわ進んで駆け出た。
吉川は道の口に兵を配備しており、一番に攻めかかろうと思案していたところだったので、
本道を押し進んでいく。
宇喜多はこれで道を進むことができず、吉川を追い越そうと田も溝もかまわずにひたすら進んでいく。

総勢八万騎が「エイヤ、エイヤ」と声を上げて、今朝立花勢が控えていた坂の上へと我先にと打ち上る。
高橋・粟屋・井上・桂なども後陣の到着を待ちうけて、声を上げて突きかかっていった。
立花勢も味方を多く討たれていたので、この無念を晴らすためにも、左近はひときわ進んで攻めかかった。

宇喜多・吉川の両勢は、足を休めずに大明勢の真ん中に駆け行っていく。
日本勢の八万六千騎は、大明勢に比べたら、宇宙に放り出された毛筋のように、
あるいは広々とした谷に落とされた一滴の水のようでもあった。
しかし一騎当千の精鋭ぞろいで、大軍の敵を見てますます喜び勇んで懸かってくる様子は、
天帝の四天王が八万四千の魔軍を一瞬のうちに降服させたという威厳にも似ていると感じさせる。

大明と日本との国力を争う戦だ。
月支・震旦・日本はさておき、三千世界のその中に、これほどの大戦があったのかと思えるほどだった。
大明は兵の数こそ多くても、我が日本勢の兵の切っ先にもなかなか太刀打ちできずに、
一戦のうちにたちまち押し立てられて、散り散りになって退いていった。
こうした大戦であれば、敵を幾千も幾万も討ち取れそうなものではあるが、
唐勢は日本の軍勢が無二に懸かってくるのを見て、後陣から器用に退却していく。
険しい隘路を引いていくので、その唐勢を討てた者は少なかった。
特に二番・三番に下がって懸かった将の手勢は、ほとんど敵を討てなかった。

吉川広家は、逃げる敵の真ん中へと駆け入って、最後尾を固める兵たちが切りかかってくるのを、
自ら馬の上より突き落とし、首を掻き切った。
同所で敵を討った者は、香川又左衛門(春継)・今田玄蕃允(春政)・松岡安い右衛門(春佳)・
二宮兵介(春実)・桂左馬助(春房)・前原備前守(春時)・境二郎左衛門(春之)・
長谷川源介(春持)だった。綿貫藤次郎は敵に射殺された。
吉見次郎兵衛尉は敵一人を突き伏せ、首を取って広家に見せると、
「さすがは正頼の孫だな」と賞賛された。

隆景卿の手の者では、梨羽壱岐守をはじめとして数人が分捕り高名した。
熊谷豊前守の手勢では熊谷六郎右衛門、そのほか宇喜多・黒田などの将の手勢も、
首を五つから七つ討ち取った。
河南勢の首は百には満たなかったが、大将自ら敵を討ったのは広家一人だった。

こうして大明の軍が敗北すると、諸将は日が暮れてから都に引き揚げた。
翌日、「もしかしたら敵が攻め寄せてくるかもしれない。
どのあたりに潜んでいるかな」と、二千や三千ずつ大規模な物見を出したけれども、
五里三里ほどは人影も見あたらなかった。

その後、太閤はこの合戦の様子を聞いて、
「小早川・立花の手の者が一番に渡り合ったそうだな。粉骨の至りである」と、両将と高橋に朱印状を出し、
また「大明と日本の初の合戦に、皆は都へ引き揚げようとか一晩陣を構えようと言う中で、
広家・長政・安心たちが是非とも攻めかかろうと勇んだそうだな。勇智は十分なようだ」と大いに感称し、
日本へ帰国したときもこのことを対面の上告げたそうだ。


以上、テキトー訳。この章はおしまい。

うーん、ウィキペディアとかで流し読んだ状況とまったく違うけど、
これはこれとして読んでいこう。広家カッコイイよね!
自分自身で敵の首取るとか、一軍の将として
そこまで前線に出ちゃうのはどうなのと思わんでもないけど、
なんか正矩も自慢げに書き立ててるし、吉川勢は嬉しかったんだろうな、殿様が首取ったの。
まあ仲良しの黒田Jr.も突撃癖のある将で、敵と組み合ったりとか日常茶飯事だったみたいだから、
そういう大将のあり方もいいのかもしれないね。

あと文禄2年というと、確か熊谷信直さんが亡くなってたはずなんだよな。
子の高直はとっくに亡くなってるので、
文中にちょっとだけ登場してるのは孫の元直さん。広家の従兄だね。
元直に対する病床の信直(在日本)の遺言状が熊谷家文書に収録されてるんだが、
「帰国したら直接言おうと思ってたけど、この分じゃ当分帰ってこれそうにないから一筆残しておくね」
なんていう内容で、ちょっと切なくなる。

そのへんの書状をダウンロードしておいたはずなんだけども、
入れておいたUSBメモリが物理的にお陀仏になったので立ち直れない。
接続端子がすっぽ抜けるとか何なのそれ。
再びアレを落とすのは根気と時間が必要なんだぜ。データ復旧に出した方がいいかなぁ。
いろいろ画像データとかも入ってるんだよなぁ。
しかし修理費出すならもう一冊本が欲しいと思ってしまう……

まいっか。
とりあえず次は景様んちの手柄争いみたいなカンジ。
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