FC2ブログ
2012-02-17

清正の切なる願い

いつも閲覧してくださる方は、ご訪問・拍手等ありがとうございます。
真面目に調べ物しててこんなサイトにうっかりたどり着いてしまった方はくじけないでください。
おかげさまで訪問者数が1,000カウント超えました。
絵や文は練習不足なので特に企画などはやるつもりないんですが、
もし万が一何かご要望などありましたらお聞かせ願えれば嬉しいです。
ご連絡は風の便りか虫の知らせで!(嘘)

さて今回は清正さん。

だいたいの流れ:
日本勢が入った朝鮮の都に押し寄せる明の大軍勢をキッチリ締めました。←昨日と一緒かよ
けど釜山海制圧・都入りでは小西行長が一番乗りを果たして戦功を独り占めしてるので、
いろいろと思うところがある将もいるようです。


加藤主計頭清正、朝鮮の帝王を虜にすること

さて加藤主計頭清正は、釜山海や都入りで図らずも小西に先を越されてしまったことを口惜しく思い、
どうにかして朝鮮の帝王を生け捕って面目を保ちたいと腹の底から思っていた。
しかし朝鮮王はどこに落ち延びたのか、まったく行方知れずだ。
「今は凡夫の力が及ぶものではない。神助にすがればもしかしたらこの祈念が通じるかもしれない」と、
清らかな水を取り寄せて七度も水垢離をし、東に向かって天照大神と八幡大菩薩を拝んだ。

「私は今、太閤秀吉公の命を受けて異国征伐の先鋒を務めています。
天照大神よ、どうか我が国と異国との戦争で、味方が勝利を得られるように眼差しを向けたまえ。
どうかお頼みいたします。
なかでも八幡大菩薩は、ご父君の仲哀天皇や神功皇后を思い出されて、
きっとご加護をくだされるでしょう。

今、この清正のたっての願いは、朝鮮の帝王をこの手に生け捕ることです。
私は小西行長とともに追手搦め手の先鋒の将として選び出され、
秀吉公の軍命を受けて異国に渡ってまいりましたが、
釜山海・帝都の先陣は行長に出し抜かれて、無念にも二番手になってしまいました。
ですからこの先、清正が異国や我が国の軍士の目を驚かすような勇を顕さなければ、
これまでの戦功が無駄になって、弱将の名を着せられるのは目に見えています。
なので、先に申したように、朝鮮王を捕虜にして、諸将を超える高名を上げたいと強く願っています。
この願いを聞き届け、神力を添えて、私の願いを成就させてください。

もしこの願いを受けてくださらないのなら、清正の二つとない命を今すぐに奪ってください。
このままでは面目が立たずに、本国に帰って人に見せる顔がありません。
もし三日の内にこの命が失われなければ、私の願掛けが成就する奇瑞だと信じます。
頼みをかけるだにかたじけない神の力だと、暗に神のご意思を察することにいたします」と祈願した。

清正は都に入って十八日後に帝都を出発し、七月五日にアンヘンというところに着いた。
小西は平安道から本唐境へと進み、咸鏡道へは加藤・龍造寺・相良などが攻め進む。
そのほかの諸将は皆、加藤・小西の後陣を詰めた。

さて清正は鍋島加賀守を待って、同十七日にアンヘンを出発し、同十九日に長橋というところに着陣した。
ここでは町中に高札が立ててあり、何が書いてあるのかと立ち寄ってみてみれば、
「高麗の帝王はここより奥へ退却なさった」と書いてあった。

加藤清正はこれを見て、
「世はすでに澆季(道徳が薄れ人情が希薄になった末世)に至ったといえども、
まだ神力は生きているのだなぁ。
この私の命を懸けて大願を立てたのを神が受け取ってくださり、
私に帝王を生け捕らせてやろうとなさっているのだろう。
天照大神、八幡大菩薩が感応してくださったのだ」と大いに喜んだ。
「急いで奥へ向かうぞ。少しも待ってなるものか」と進もうとする。

鍋島加賀守はしばし思案して、
「清正の仰せは至極もっともではありますが、一歩引いて愚案をめぐらすに、
高麗の者たちは帝王兄弟が落ち延びた方角を深く隠すでしょうから、
このように高札を立てて諸人に知らしめるようなやり方はいかにも不審だと思います。
きっとこれは謀略でしょう。帝王は別の道を行って、違う場所に落ち延びていると思います。
もし我らが敵の謀略に乗せられてウカウカと追っていけば、敵は思いのまま難所に引き入れ、
前後を塞いで易々と討ち取ろうとしているはずです。
これはさしずめ、我らをひきつける餌でしょう。
もう少しこの場所に控えて、ことの実否を確かめてから、あれこれと進めた方がよろしい」と進言した。
鍋島加賀守は龍造寺家の重臣であり、才知に優れて熟慮を重ねる人だと評判だが、
実にその通りだと、皆一同に感心した。

加藤清正は武勇一筋で、また並ぶ人もないような将ではあったが、
性格は無頼漢のような人だったため、他人の諫言を聞き入れることは稀なうえ、
これはひとえに天照大神・八幡大菩薩の神託だと思い込んでいたので、
鍋島加賀守の意見などどこ吹く風だった。
「敵の謀略とも何とでも言うがいい。この清正、帝王の落ち延びたという方角を耳にしながら、
敵の嘘かもしれないと追いかけないなどということはできない。
ただ帝王に会うまでは、南蛮・天竺までであろうと、馬の蹄が及ぶ限り、また我が命がある限りは、
訪ね行ってやろう。
後をまったく打ち捨てていくのはさすがにどうかと思うので、加賀守殿はここに留まっていてくれ」と、
加藤は鍋島に別れを告げて進んだ。

都を出て六十八日、鍋島と別れて五十二日が経ち、同(文禄二年)八月末日に、
オランカイとの境にある鏡の城というところに着いた。朝鮮人はトグセンと呼んでいた。
ここから四里先のホイレグという城に帝王はいた。
ここはまだ朝鮮の内ではあるが、重罪人を流刑にするような場所だという。
ホイレグから三、四里ほど手前に広野がある。
その中に山があり、その山に石垣を高く築いて城のように構え、流刑にされた者たちを置いていたのだが、
その左遷された者たちが、こんなところに流されたのを恨んで、帝王兄弟を生け捕ったのだった。
兄の方はイモハイクンシン(臨海君津)といい、弟はコウハイクンコン(光海君琿)という。
左大臣はホウクン、右大臣はハンジンゾウと名乗った。
そのほか公卿など二百人余りを生け捕って、その旨を清正へと伝えてきた。

清正はこれを聞き、「これは清正の念力は岩をも通したのだ。
だからこそこんなことがあるのだろう」と大いに喜んで、「急げ者ども」と、手勢の八千騎を率い、
その場所に赴いて陣を構える。
通訳を通してことの首尾を尋ねると、左遷された者たちは、
「帝王兄弟、そのほか公卿二百人はまだ生け捕ったままでいる。城外に出して引渡そう」と答えた。
清正は家之子郎党を集めて、「関係のない者を帝王だと名乗らせて渡されても困る。
できれば城中に入って直に帝王の様子を見たいものだ」と話し合った。

まずはカマをかけてみようということになり、宮田平七に大将と名乗らせ、
小田原半介という祐筆と、通訳の仙斉という者を門の近くに遣わして、
「大将がお食事をされる。門の内を少しの間お貸しいただきたい」と伝えた。
左遷された者たちが「数人なら問題ない。どうぞ内へお入りください」と返答したので、
食器や箸などを一人に一つづつ持たせて、強引に四十人余り内へ入れてみると、
長さは七、八町、広さは一町ほどもある大きな馬場があった。
その脇に瓦葺の家があって、帝王兄弟はそこに捕らわれていた。

確認ができたので「こちらへ渡してほしい」と言うと、
左遷された者たちはすぐに帝王兄弟を渡してきた。
清正は大いに喜んで、田寺久太夫・前野助兵衛尉に一千騎ほどを差し添えて鏡の城へ遣わし、
堅固に帝王兄弟を護送させた。


以上、テキトー訳。

どうでもいいけど章タイトル、「帝王を虜にした」って、清正、色仕掛けでもしたの!?
などと真っ先に考えてしまった私はいろいろと汚れている。

毛利勢がチラリとも出てこないわ。不満てわけでもないけど。
清正かわいいしな。水垢離の現場を●RECしたい。
たぶん水かぶったとたんに清正の体から湯気が立ち上るんだぜ。瞬間湯沸かし器清正。
冬はアンカ代わりにすると吉。
猫科(虎)だから放っておいても布団にもぐりこんできてくれるはず。
こんな風に思考が乱れるのは現在とても寒いからです。でも暖房はキライなの……!

この先もしばらく清正の話が続きそう。
広家も清正の馬印の意匠を譲られてるし、けっこう吉川家中では清正人気あったようだね。
てか清正は熊本では神だし全国的にも人気あるもんね。是非もナス。

そしてなんだかフラグ立てっぱなしで放置されているナベシマンが少し不憫。
清正「謀略だと思うんならここでお別れですな(スパッ」みたいな。
あんまり鍋島さんのこと知らないけど、評価低かったんだろうか。
とりあえず広家が秀元をdisるのに「龍造寺の鍋島みたいなことしようとしてる」とか
書いてた(広正宛書状)はずだから、広家的には覚えはよくなかったのかも。
この先に活躍どころがあるといいね、ナベシマン!
スポンサーサイト



コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

検索フォーム
カレンダー
06 | 2020/07 | 08
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -
訪問者数