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2012-02-23

秀吉が夢を見て何か引っかかったらしい石にまつわる話

やばかった。今日は夜会議だったのすっかり忘れてた。

そんなわけで昨日の章の続きだけど、今回は箸休め的小話な気配。


芸陽福王寺の名石のこと(上)

同(文禄二年)三月、太閤は去年安芸の国の福王寺から取り寄せた名石を元のところに送り返した。
その理由はというと、新たな霊夢のお告げがあったからだという。

そもそも、その名石が福王寺にあったわけはというと、
昔、芸州に温科左衛門尉家親という者がいた。
勇名を世にとどろかせただけでなく、力量でも人に優れ、鬼と首引きしたとしても負けるものか、
二王と相撲をとっても地に投げ捨ててやろうと思うような、勇ましい心の持ち主だった。

その家親の父は家親の生まれる前、常々こう考えていた。
「子供はたくさんいるが、どんな道でも世の人に名を知られるような子はまだいない。
末の世までも人に名を知られるような子を一人もうけたいものだが、それは人の力の及ぶものではない。
ただ神仏に祈願するしかないだろう。
となると、諸仏のお力はどれが優れどれが劣っていると言うわけではないが、
なかでも観世音菩薩は三十三身に変身できるだけでなく、大きな願いをかなえてくださるそうだ。
その御経を見ると、もし女人がいて、どうか男児を産めるようにと観世音菩薩に礼拝・供養をすれば、
福徳智勇の男児を授かる、との経文である。
その御仏にお頼みして礼拝・供養をなせば、きっとこの願望が捨て置かれることはあるまい。

昔から文武の誉れある者は、幾千とも幾万とも数知れない。
そのなかでも三歳の幼子までその名を知っているのは、唐土ではハンカイ、
我が国では武蔵坊弁慶・朝比奈の三郎である。
唐土は四百余州もあるから、ハンカイに勝る勇士も、きっと古今にはいくらでもいただろう。
それでも、勇士と聞いてまず諸人が真っ先に思い浮かべるのはハンカイだ。

また我が国は、開闢以来、六十余州に大変なつわものが多くいたが、
指を折って数えてみると、まず親指には弁慶、その次には朝比奈がくる。
これはただ勇が諸人より勝っていただけでなく、力量が古今に傑出していたためだ。
ならば私も大力持ちの子をもうけ、あれこそ温科弾正忠の子だと、現代でも賞賛され、
その子の力強さが語り継がれ、末代でも親まで人に名を知られるようになりたい」

こうして夫婦一緒に百日間も精進潔斎して、
「南無大慈大悲の観世音、我に大力量の男子を授けたまえ。
末の世までもその名を残したまえ」と一心不乱に祈願した。
またあるときは、「南無観世音菩薩」と一日に一万回も唱えたり、
普門品三十三巻を一夜のうちに読誦したりした。
すると百日目の夜、夫婦ともに仏前の柱にすがりフラフラと寝入っていると、
夢なのか現実なのか、観世音菩薩がその尊いお姿を顕して、
門前の二王尊を授けられたところで目が覚めた。
夫婦同士で霊夢のことを話し合って、「きっと祈願が成就したのだ」と
歓喜に満ち溢れた様子で下向していった。

本当に願いがかなったのか、女房はやがて懐妊した。
男でも女でも、子供はたくさんいたが、今回は様子が違った。
胎内にいるときもまったく苦しみはなく、臨月になるとするすると産まれた。
急いで取り上げて見ると、普通の子よりはるかに大きくて、眼光は日月のごとく、
腕にはむくむくと毛が生え、前歯も三本生えていた。
ためしに何か食べさせてみようと、七夜が過ぎてから父が食べ物を赤子の口に入れると、
ムスムスと噛んで飲み込んだのだった。
「これは凡人ではあるまい」と喜んで、夫婦は大事に大事に育てた。
その子は、六、七歳にもなると、十六、七歳の者たちと相撲をとっても簡単に勝つようになった。

成長した家親は、武田判官元信に随伴して上洛した。
これは二人といない大力持ちだと禁中でも評判になり、呼び出された。
家親は洛中の人々に自分の力量を見せようと思い、あるとき祇園へ詣でて畳紙を取り出し、
社壇の東の角の柱を片手で引き上げ、その下へ畳紙を入れて、そろりと柱を置いた。
諸人はこれを見て「こんなことは人間にできるはずがない。これが鬼というものだろう」と恐怖した。

その後、細川右京太夫が自宅で一式式部太輔・赤松備前守・大内左京太夫・畠山修理大夫・
武田判官などを饗応した後、温科の力量の噂をした。
「噂は聞いているが、まだ目にしたことはない。
元信よ、その家親というのをここに呼んでくれ」と言うと、
判官は「お安い御用ですとも」と使者を遣わして家親を呼び寄せる。
「何でもよいから力のほどを見せてくれ」と言うと、
家親は「どんなことでも御所望にお答えしましょう」と答えた。

ちょうどよくそこに囲碁があったので、右京兆が
「その盤に碁石を押し込むというのはどうだ。
そんな技があると聞いたことはあるが、この目で見たことはない」と言うと、
家親は「承りました」と言うや、続けざまに三つ、親指で押し込んだ。
右京太夫はかねがね家親に恥をかかせてやろうと思っていたのか、周径が七、八寸、
長さ七尺ほどもある鉄の棒を、ずいぶんと金と時間をかけてこしらえておいて、それを出してきた。
「この鉄棒はその昔、新田義貞の家来であった篠塚が持っていた棒だと言い伝えられている。
とある力持ちの法師がいて、真ん中から真っ二つに引き裂いたが、篠塚がまた押し直しておいたという。
これで力業を何か見せてはくれないか」と右京太夫が言った。

家親は、「篠塚は世に聞こえた大力だったと聞き及んでおります。
どうして私などが真似できましょうか」と言いながら、鉄棒を取った。
そのまま易々と押し開き、キリキリと縄のように拠り合わせて投げ出し、
「今なら都の辺りには大力の人はいくらでもいるでしょう。
これを解かせて元通りにさせてください」と言う。
これには京兆をはじめとして、皆仰天したようだった。

これは先日、細川殿の内衆の白川何某という力自慢と家親が六条川原で相撲を取ったのだが、
三番連続で家親が片手だけで投げて勝った。
それまでは白川が日本一の大力の相撲の達人と称されていたのに、
家親に片手投げにされたのを、主人の右京太夫が心底悔しく思って、
こんな茶番を用意したのだと、後に噂になった。


以上、テキトー訳。続く。

短めだけどこのへんで。
朝鮮編に一区切りついたところで、今回は日本の話。
秀吉の話かと思ったら石かよ。しかもなんかまた唐突に昔話が始まったよ。

すでに子供がたくさんいるにもかかわらず、「有名になれそうな子がいないから」って
神仏に全力で祈願してまで力持ちの男児を授かろうとする夫婦……アグレッシブだなぁ。
それに「親の七光り」ってのは聞いたことあるが、この夫婦、
「子の七光りで親まで有名になりたい」とはすさまじいな。
我が子の芸能界入りを目論む親だって、そうそう「親まで有名に」とは願わんと思うぞ。

……しかし、石の話はいつ出てくるんだ?
と言うわけで次回も続き。
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