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2011-09-13

「思い定めよ」「疾く退けよ」

前回のあらすじ:
大元浦で形勢を立て直そうとした陶入道は、
それも叶わず、側近に手を引かれて浜づたいに逃げ落ちていく。
陶の大軍は散り散りになり、溺れ死んだり崖から滑落するなどして、次第に数を減らしていった。
船で逃げ延びた者たちも、守るべき大将の行方も知らず、
情けなさに打ちひしがれるばかり。


毛利右馬頭元就、厳島へ攻め渡り同所で合戦のこと(8)

陶入道は大元浦を過ぎ、落ち行く船に乗ろうとすれども、
あたりには船影一つなく、水鳥が陸で迷ったような気持ちになって、茫然と立ち尽くしていた。
鎧は重く、ことさら大きく逞しく肥えた人である。
知らぬ浜辺を歩いて疲れているのを、兵たちが手を引き、腰を押して落ちていった。
伊香賀民部少輔は入道の手をとって肩に引き担いで歩いていたが、
大元の山に着こうというとき、入道を振り返った。

「どうしましょうか、全薑(ぜんきょう)様。ここにも船は一艘もありません。
 ここが運の尽きかと存じます。先に進んでも、船があるわけがありません。
 これでは落ち延びさせることなどできはしません。
 皆散り散りになって頼みにならず、敵の手で討たれるのは無念のきわみでございます。

 日ごろ臆病者と言われていても、最期さえ立派であれば、
 従前の臆病はかえって思慮深さゆえということになり、つわものだと賞賛されるものです。
 またいかに何度も勇姿を見せた者であっても、最期が悪ければ、
 これまでの武勇はすべて軽薄だとそしられ、臆病者の名を後世に残すものです。
 木曽義仲は北国で平家を追い落としたあと、いくつもの合戦で活躍して、
 血気盛んな勇将の名を得ましたけれども、
 死ぬべきときに逃れて、結局は流れ矢に当たって亡くなったので、
 義仲の勇名は完全ではなくなったのだと思います。
 また新田義貞は逃げるべきときに逃げず、いたずらに戦死なさいました。
 こうした上代の名将すら死ぬべき場所を知らないのです。
 どうして現代の将がそれを知りましょうか。

 ただ一筋、思い切ってくだされ。
 御旗を打ち立てて落ち損じている軍勢を召集されれば、
 まだ二、三千はいることでしょう。
 船がないので逃げられぬということを皆がわきまえ、死狂いに狂えば、
 窮鼠猫を噛むと言うように、必ず勝利できましょう。
 もし皆が散り散りなっていて一箇所に集まることができずとも、
 五百か三百は集まるでしょう。
 この手勢で何とか最期の一戦、華を散らそうではありませんか。
 さあ、いざ引き返しましょう。お供して討ち死にいたしましょうぞ」

この進言に、入道、
「私もそのように思って、先ほどから所々で踏みとどまっていたのだ。よく申した」
と立ち止まろうとしたとき、五番目に従っていた三浦越中守が、声を張り上げた。

「民部が申すこと、確かに勇ましいが、短慮に過ぎる。
 たとえ警固の船がなくとも、この先に兵糧船の一つもないということはあるまい。
 探し出して入道殿をお乗せするべきだ。
 全薑一人さえ無事に渡らせ申せば、再び戦の本懐を遂げられるだろう。
 入道殿、この越中守、五度しんがりを務めましょうぞ。
 なに、三度までは討ち死にいたしません。
 その隙になにとぞ防州の地、装束浜・室木あたりまでお退きください」

との言に、陶入道は
「いいや、越中、今は逃げおおせているが、敵が逃さないだろう。
 私もここで一所に戦死しよう」と答えた。

そのとき、また民部少輔が口を開いた。

「三浦殿のおっしゃることももっともですが、王仁鑑渕谷猛虎の例えがあります。
『渕谷を飛び越えるか、猛虎に倒されるのをただ待つか。
 猛虎に倒されるのを待つ先にあるのは死であり、
 渕谷を飛び越えようとする先にもまた死がある。
 猛虎に襲われるのを待てば、必ず死ぬ。
 渕谷を飛び越えようとすれば、万に一つは助かることもある。
 必ず死ぬのを待つよりは、もしほんの少しでも生きる道があるとしよう。
 戦場で屍のように立ち尽くせば必ず死ぬ。
 敵に対峙して、万死のうちの一生を切り開くべきである。
 三軍の突進にためらいが生じれば、兵を用いてこの害を大きく滞らせる』
 といいます。

 あてもなく船を探していれば必ず死にます。
 しかし引き返して一戦に及べば、万一には生き残る道もあります。
 さあ、引き返して万一の生を得ましょう。
 一戦つかまつりましょう。
 引き返して戦われれば、万一の生か、
 そうでなくとも武名を後世に残されるか、二つに一つです。

 空しく船を求められれば、必ず死ぬ上に、弱将の汚名を末世まで着せられましょう。
 これをよくよくお考えくだされ。
 敵が勝ち誇り油断して、気勢も十分発散し尽くしたところに、
 三百程度でも思い切って戦えば、必勝は間違いありません。
 新田義貞が少数の兵で足利尊氏を京から追い落とし、すっかり油断して休息していたとき、
 細川律師定禅は三百の手勢で引き返して新田の大軍に打ち勝った先例もあるではありませんか。
 ぜひ引き返しましょう」

この進言に、入道は「確かにもっともである」と同意して立ち止まった。
すると三浦越中守、

「いえいえ、そうではありません。
 民部が先ほど、逃げるべきときを知らないで、と申したのはこのことです。
 項羽が鳥江で戦死したのは、今の世でも評価されておりません。
 だから杜牧も『戦の勝敗はどんな兵法家にも期すことはできない。
 羞を包み恥を忍ぶのが男子の大事である』との詞を作っているのです。
 漢王朝の高祖は、紀信の謀で衛陽の包囲を抜けられ、項王を滅ぼして天下を手に入れました。

 民部は愚かにもこのように申しておりますが、
 入道殿はこれほどまで理に迷うべきではありません。
 命を惜しむのは良将の習いであります。
 源頼朝も、何の甲斐もない命を永らえたからこそ、
 父の復習を果たされただけでなく、日本六十余州を掌の内にされたではありませんか。
 その弟、義経は、吉野山で佐藤忠信をあとに残し、落ち行かれたではありませんか。
 浅慮にして将の道を考えずに、これほど大変なことを思い立たれたのでは、情けのうございます。
 今討ち死にされるのは、義貞の無駄死にに等しいかと。
 早く逃げましょう」

と大きく目を見開いて入道を睨んだ。
声を震わせて言葉も荒々しく言うので、陶入道ももっともだと思ったのか、
「では三浦の意見に従おう。もう少し逃げてみて、
 事の成り行きを見定めようではないか。
 私が無事に落ち延びたら、すぐに挙兵してたちどころに敵を討ち滅ぼし、
 おまえの孝養にするとともに、私も溜飲を下げよう。
 もし運命が尽き果てて討たれるのであれば、
 死出の山、三途の川辺でおまえに追いつき、ともに修羅の世界へ旅立とうぞ」
と言った。

二人は互いに涙をこらえて立ち別れ、どこともわからぬ山道に分け入るが、
とにかく暗く、敵の鬨の声は前後から覆いかぶさってくるようだった。
山彦が響いて峰にも谷にも敵があふれかえっているように感じられ、
魂が抜けそうになり、しどろもどろに辿っていった。
入道は一丈(約3.33メートル)ほどもある山道を踏み外して真っ逆さまに落ち、
顔を打って怪我をした。それでもようやく青海苔浦までたどり着いた。
しかしやはり味方の船は一艘もなかった。

人の世のの栄枯盛衰は手を裏返すよりも早い。それが世の常だ。
数年前には主君の大内義隆様を追い落とし、
悪逆ではあっても武威を逞しく振るい、防長豊筑の支配権を手に入れた。
それに引替えて、今日は、数万の軍勢をすべて失って、わずか百数人を残すのみとなった。
山道の露に袖を濡らし、浦辺の波に裳裾を絞り、
歩き疲れた様は、傍目に見ても哀れなものだろう。
さしもの大強将の名をほしいままにした人が、わずかな敵に情けなくも戦い負けて、
このようにとぼとぼと逃げてゆく。
謀略がまずいわけでもなく、将兵ともども臆したわけでもない。
これはひとえに、主君を殺した悪逆によって、天の裁きを受けたためにこうなったのだろう。


以上、テキトー訳。あと何回続くのか。

切りどころがわからなかったのと、漢籍の引用部分でワケワカメ状態。
いつもよりかなり不安な訳だな。いつも適当だけど。

伊香賀さんは、恥や悔いを残すような最期を迎えさせたくない一心で、
取って返して思う存分戦いましょうと言う。
三浦さんは、命さえあれば捲土重来を期せるんだから、恥を忍んで生き延びてくれ、
自分はここで時間を稼ぐから、あんたは生きて本願を果たしてくれと言う。
どちらを選ぶか。
難しいけれども、私個人としては三浦さんを推したい。
決して伊香賀さんを否定するわけじゃないけど。
なんたって、陶さんは大将だもんな。
諦めたら、そこで試合どころかすべてが終了ですよ。
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