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2012-03-13

広家先輩まじパネェっす!!!

粕汁も食べきっちゃったし「毛利公」も飲みきっちゃった。
これから何を支えに暮らしていこう……てまあ、普通に「陰徳記」が心の支えなんだけどね。

さて前回のあらすじ:
普請途中の蔚山が明・朝鮮連合軍に取り巻かれ、
小勢ではあったが、朝鮮に渡っていた諸将たちが救援に駆けつけた。
決戦は明日と決まり、送れて駆けつけた広家も、明日の陣立てに同意した。


蔚山の城の後詰、並びに大明勢敗軍のこと(下)

さて黒田・蜂須賀などの先陣の兵たちは、唐勢は弓馬の達人なので無二に駆け入ってくることもあるだろうと、
馬の足をつまずかせるために、若松の裏を三尺・四尺ほどに切り、左右に枝をつけ、
足軽たちの手に手に持たせようと支度をしていた。

広家様は渡し口の方にある山の上に登り、「ここに陣取ろう」と馬から下りて、
しばらく敵陣の様子を見渡していた。手の者に身かって、
「なんだか敵陣は騒がしくしているようだ。もしかしたらここの陣を引き払うつもりなのかもしれない。
大軍の引き際は、必ず裏崩れするものだ。敵の後陣によく目をつけてみろ」と命じた。

そして敵の後ろの陣山を見ていると、小荷駄隊に物を背負わせて人々が帰ろうとしている。
広家様はこれをいち早く見つけて、二宮兵介・二宮勘太夫らに、
「敵が退却していくぞ」と言うと、二人は「確かに」と答える。
いざ一番に追い打ちをかけようと、馬を引き寄せて背にまたがり、さて出発しようというときに、
安国寺瓊西堂が広家様に会うためにやってきた。

安国寺は広家様の様子を見て、
「広家殿にはもののけでも憑いて狂ったのか。戦は明日と決まっている。軍法違反は許されないぞ。
そのうえ百万以上の大軍に、たった二十騎や三十騎で駆け入り、犬死すれば、
敵に利をつけるどころか永代の瑕疵ともなろうぞ!」と荒々しく制した。
広家様は「安国寺、軍法にはくちばしを突っ込むな。
あなたは施餓鬼のやり方や仏法修行のことだけを考えていればよい。
戦のことは武士に任せておれ」としたたかに罵倒して、馬に鞭をくれ、全速力で駆け出した。

諸軍が「あれはなんだ」「どういうつもりだ」と言っているうちに、河水へと打ち入っていく。
人は皆これを見て、「見ろ、吉川が川を渡っていくぞ」と言うやいなや、
我先に負けじと河水に入って渡りだした。

吉川侍従は一番に川を渡った。
小山の尾を駆け回って見渡すと、すでに敵は一人残らず退却を始めていたので、
逃がすものかと、馬をせかして追いかける。
黄印の河南勢の後陣らしきしんがりの部隊の中に駆け入れば、
鉾を持ち直して懸かってくる兵を馬上から突き落とし、とどめに首を押し切る。
続いて今田玄蕃允・森脇作右衛門もそれぞれ敵を討ったが、その隙に敵は足早に逃げていった。

ここに垣見和泉守が駆けつけてきたので、広家様は「垣見、見たか」と声をかける。
垣見は「ひときわ見事でございました」と感嘆してから、馬を進めて敵にかかっていった。
二番に早川主馬が駆けつけ、広家様が「主馬殿」と声をかけると、
早川は「一番駆け・一番高名、比類なきことでございます。
しっかりとこの目で見届けましたので、太閤にご報告申し上げましょう」と言った。

その後、毛利伊勢守(高政)が出てくると、広家様は先日出し抜かれて船で蔚山に先行されたのを憎々しく思い、
「伊勢守よ、もう敵は一人もいないぞ。
無駄に馬の足を疲れさせるより、これからお帰りになられるがいい」と言った。
伊勢守は「広家は早いご到着だったな。高名お見事」と答えて駆け過ぎていった。

ここへ黒田甲斐守が騎馬兵六十ばかりで、右の方の山から駆け下りてくる。
広家はそれを見て、「甲斐守殿」と声をかけると、
黒田は「広家は何を見切って、こうして一番に駆け入ったのか。
もう敵は退却したけれども、もう少し追いかけてみる」と、馬足を速めて追いかけだした。
敵はすばやく退却したので、その日の首級は四、五百にも届かなかった。

諸将はやがて一同に会し、
「それにしても広家は、何を考えて一番に懸かっていったのか。
この働きで蔚山の城を保全できただけでなく、我が勢が大勝利を得られたのは、
実に広家の武功のおかげだ」という話になった。
広家様が「こういうわけでとっさに切りかかったのだ」と答えると、
皆「よくぞそこに気が付かれた」と大いに感心した。

その後、熊谷内蔵丞が「唐勢はまだ遠くまでは退いていないだろうから、
これからあとを追って皆殺しにしてしまおう」と言と、垣見・早川が「もっとも」と同意する。
蜂須賀阿波守は、「こうした大軍が退却したことこそ味方の勝利だ。
このうえ、わずかな勢で跡を追ってもしようがあるまい」と言ったが、皆強く追撃を主張する。
阿波守は、「我らは日本では小身で、
石にたとえれば石垣を築くときに大石の間に詰める五郎太石のようなものだ。
しかし今、この地では三千の手勢を持っている者はそういまい。多く人数を持っている方だ。
実に鳥なき島の蝙蝠というやつだろう。皆、五郎太衆の言うことは、膝より上には上げないものだ」と言う。
熊谷は大いに腹を立て、「そんなことはどうでもいい。我らは丸腰でも追いかけるぞ」と、
物騒な目つきになって、文句があれば出てこいとばかりに挑発した。

黒田甲斐守は押し鎮めようと、
「阿波守、そう構うな。この甲斐あたりが行かなければ、追いかける者はあるまい。
五十騎や百騎で行ったところで何になる。勝って兜の緒を締めよとは、まさにこのときだろう。
そうではないか、広家。こんな役にも立たないことを口任せに言っても、何の益もあるまい」と言う。

広家が「甲州の言うとおりだ。さあ、皆も、阿波守・甲斐守の意見に従おう。
この広家に免じて、ここは鎮まってくれ」と言うと、
熊谷・早川・垣見も「今日の合戦での軍功は広家が一番だ。では広家の言うとおりにしよう」と、
皆それぞれの陣に帰っていった。


以上、テキトー訳。おしまい。

はっはっは。たった二、三十騎で切りかかられて大崩れする大明軍てどんだけ。
いやしかし。いやしかしかっこいいぞ、広家。惚れそう。いやもうとっくに惚れている。
安国寺とのギズギス対立、楽しいです!
ngmsとの息の合った仕切りっぷりもお見事です!
もうね、「俺に免じてここは皆鉾を収めてくれ(ドヤァ」とかね、偉そう! 何様!!!(褒めてます)

森脇作右衛門の名前も出てきたねー^^ 広家に唯一殉死を許された家臣。
二世・三世を誓い合った主従って、ホント滾るよね!
聞くところによると(現地の学芸員さんの話を聞いた人からの又聞き)、
作右衛門は隆景と同じくらいの歳じゃないかと見られてるそうだ。
吉川家文書の功臣記録では、作右衛門の名前が初めて出てくるのが朝鮮出兵だから、
もっと若い家臣だと思ってたよ……でもいつも広家のすぐそばにいたと考えれば、
高名の機会がなかなかめぐってこなかったのは理解できるかも。
大将が前線にさらされるって、なかなかあるものじゃないしなぁ(黒田家は除く)。

ああしかし、朝鮮編だけでも「マンガで読む陰徳記」みたいに大衆化してくれないかしら。
きっとものすごく面白いと思うんだけどなぁ。
とか言う前に私は小説とか今の戦国マンガとか、もっと積極的に読むべきだよね。
「へうげもの」すら未読……だ、と?
まあ陰徳記も当時の小説には違いないか。うん。

次回は清正の馬印の話だよ! ちょっぴり有名なエピソードktkr!
ていうかね! ちょっと先行して読んだらね! 清正が超絶かわいかった!!!!!!
広家が可愛いのは常識です(キリッ
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広家かっこいいなあ。
「俺に免じて静まってくれ」って周りから信頼されてないと言えない言葉ですよ。
たしか広家は市松君とも仲良しで、関ヶ原後に力になってもらったんですよね。
こういう所が武断派にも信頼されたんでしょうか。

陰徳記は朝鮮引き上げで終わりなんですか。
残念。
ところで、このサイトは陰徳記が終わったらどうされるんですか。

広家かっこいいですよ(ドヤ顔)!

市松とも仲いいですよね! きっとそれなりに好かれてたと思います、他家の人たちに。
武功がある方が好かれやすいんでしょうね。
もしかしたら石田三成を奸臣として対比させるために、こういう描き方をしているのかもしれませんが。

なおこのブログでは、今朝鮮編を読んでてクライマックスなわけですけど、
序盤・中盤をかなりすっ飛ばして拾い読みしてるので、実際はまだ半分も読んでいません。
また面白そうな章を拾い読みしたり、書状などを漁ったりするつもりです。
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