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2012-03-22

秀吉に「お疲れさま」と言いたい

夜会議→飲み会の流れで、また日付変わる前に更新できなかったさ。

さて今回の陰徳記は太閤の身に大変なことが。
直前までの冷泉さんの話とかすりもしない構成だけどいいんだろうか。


太閤公ご他界のこと

さて、太閤は去る六月から病床に臥していたが、次第に重篤になり、
今にも命が消え果てしまいそうになった。
諸仏諸神に祈祷をし、医療の術を尽くしたけれども、ついにその甲斐なく、
慶長三年八月十八日に、伏見の城で亡くなった。
石田治部少輔・大谷刑部少輔・増田右衛門たちは話し合って、このことをしばらく隠しておいたので、
人々はまったく知らなかった。

しかし広家様はそのことを聞きつけて、ひそかに輝元卿にもにも知らせながら、そ知らぬ顔をしていた。
広家様の執事である香川又左衛門尉が、
「太閤の体調が次第に悪くなっていっているということは間違いない。
近日お亡くなりになるかもしれない。
まだ世の中も十分に安定していないから、三奉行などという者たちは、
もし本当に亡くなってもきっと公表しないだろう」と考えて、先に手を打っていたのだった。

香川が何かあったら人より先に知る方策を探していたところ、
太閤の妾に召し置かれている山名豊国入道禅高の息女を思い出した。
これに因幡の国の住人、吉岡質休の次男右近の娘が、昔からのよしみで侍女となってついていた。
右近は中国では無二の味方として、広家様の家来のように出入りしていたので、
香川はその娘をそれとなく里へ呼び出し、
「もし太閤がお亡くなりになったら、ただ一筆
『かねがねお約束のもの、ただいま整いましたので進上します』と書いて薬を一服添え、
親の右近に宛てて寄越すようにしなさい」と言い含める。

女は「かしこまりました」と言って立ち帰り、八月十八日に、
「兼々御約束ノ物唯今調候」と書いた書状を小者に持たせて送り出した。
門は厳重に閉ざされていたけれども、これが策略とは夢にも知らず、
「これなら問題ない」と小者を通したので、知らせが又左衛門のところへともたらされた。
約束どおりの文言に、「では太閤が亡くなったのだな」と理解して、広家様にもこのことを報告した。

さて、太閤が寝付いたのはどんな病かと訊ね聞くと、こんな話がある。
去る六月、遊撃将軍が来朝して太閤に対面したとき、遊撃将軍が懐から丸薬を取り出して服用した。
太閤が「それは何の薬だ」と訊ねると、遊撃将軍は「これは老人が若返る良薬です」と答える。
太閤が「再び若さを取り戻せる薬とは、老いたこの身にとっては、日本に替えても手に入れたいものだ。
わしに少し分けてくれ」と言うと、遊撃将軍はすぐに献上した。

そのとき、御前には松平家康卿・毛利輝元卿・前田利家卿・宮部善乗坊なども伺候していたので、
太閤はこの薬を皆にも分け与えた。
家康卿と輝元卿は、老人が若返る薬など、古来から例がないので怪しいものだと思い、
飲むようなふりをしてすぐに懐へと隠した。
善乗坊はすぐに飲んだが、この人も太閤と同じ年に死去してしまった(慶長四年三月二十五日)。

遊撃将軍は、太閤が長生きすればしまいには大明も責め滅ぼしてしまうと危惧し、
自分の身を捨てて大明四百余州の人々を救おうとして、こうして毒を良薬と偽り、
自分が服用することで太閤を安心させて献上したのだという。
遊撃などの謀略のなかに落とされて亡くなってしまうとは、口惜しいことである。

たとえ昔から老人が若返るなどという良薬があったとしても、
大敵というか、他所の国の者というべきか、
怪しげな者が献上した薬を軽々しく考えて飲むべきではなかった。
とりわけ、このような薬効のある良薬など、今に至るまで聞いたことすらない。
もしそんな薬があれば、どうして秦の皇帝が徐福を蓬莱島に派遣したり、
漢武が暁の露をなめたりしただろうか。
これほどにまで知恵の浅い人ではなかったのだが、これは宿世の因果の結果だったのかもしれない。
残念なことである。


以上、テキトー訳。

香川春継大活躍。うんまぁ陰徳記も香川氏の著したものだしね。
マユツバでもかまわないさ! 春継さん大好きさ!!!
春継は幼少期から日野山城で元長と一緒に育ったらしいけど、
近臣候補として見込まれてたのか、あるいは武田から寝返った後だから人質要員だったのか。
どちらにしても、元長に近侍して、広家の家督の際にも積極的に動き、
広家の家老になって働いた人なんだね。如水さんの覚えもいい。
いろいろ気が利いた人だったんだろうと思う。
陰徳記では鑓働きも比類なく描かれてきてる。
史実でも、安濃津城攻めのときに、本人が大怪我負うほど突出して働いてるしな。

さて秀吉の死因が、ここでは遊撃将軍の献上した若返りの薬ってことになってるのな。
このとき献上された薬については諸説あるみたいだけど、本当のところはどうなんだろう。
まあどのみち秀吉も、長くはなかったんだろうなー、なんて思う。
濃い人生だったね。よくおやすみと言いたい。
結局秀吉嫌いから大好きに矯正されてしまった。陰徳記おそるべし。
この本でも秀吉は傲慢で鼻持ちならないやなやつだけど、なかなかどうして、いいキャラだったじゃないの。
いなくなると寂しい。

このまま読み進めると陰徳記はあと少しで最終章なわけだけど、
前半・中盤すっ飛ばして読んでるので、
最後までいったら、まだ読んでない章を読んでいくよ。
とりあえず次回は、撤退前の最後の一花かな。
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私は管理人様にお疲れ様と言いたいですw
仕事明けの夜中に毎日更新されて・・・。
余計な事かもしれませんが、無理はなさらないで下さい。
秀吉は残忍な一面が語られる反面功績も大きいですよね。
検地や奉行制、妻子の中央常駐など後の徳川幕府の基礎システムを作ったことは秀吉ですし。
どんな人でも彼の人たらしと軍才は認めざるおえないw
晩年の狂気さえなければ好きになれたのになあ。

お疲れコールありがとうございます!

仕事も陰徳記も楽しいので、心地いい疲れですね。ご心配ありがとうございます。
ブログにでもしなきゃ、いろいろ調べながら読んだりしなかったでしょうし、
こうして感想をいただけることもなかったと思うので、ブログにしてよかったと感じています。
秀吉は不思議な人ですね。絶対に許せないことをしてるんだけど、反面、能力や魅力もある。
人間って複雑だよな、ということを考えさせられるキャラクターでした。
もしかしたら、年をとったときにまた違う見方ができるかもしれませんね。
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