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2012-03-24

大友家、おわりのはじまり

どこを読もうか決めかねているので、
今回は穴埋め的に、毛利が織田にてこずっていたときの九州の話を読む。
とりあえずこの直前の章がコチラコチラの2日間で読んだ分。

大友義統好きなんだよな。なんかあのダメダメっぷりが。
小突き回したくなるというか、S心を刺激されるんだよねwww


大友義統家督のこと

豊後の国の住人、大友左兵衛督義統は、左近将監能直の末裔である。
父の左衛門督義鎮入道宗麟は、若く勢いのあるときは文武全備の良将だったので、
九州のうち七ヶ国を斬り従え、武威文徳を日々知らしめていた。
しかし歳をとるにしたがって、色を好み情に耽る傾向が強くなっていくと、
政治でも正しくないことが多くあった。けれども武勇はまだまだ衰えなかったので、
人々は恐れて従って、ついには九州のつわものたちは、ことごとく大友の手に属した。

こうなると栄華はその身に余るほどで、何をするにも心のままにならないことはない。
しかし五十を過ぎるまで男子が一人も生まれず、このとことだけはいつも悩みの種だった。
そろそろ六十にもなろうかというころ、男子が一人生まれたので、
宗麟は、「これはきっと大友家の武威がこれからもっと盛んになって、
天下の権勢をも掌の内にできるという瑞兆だろう。
私が若い盛りだったときでさえ男子ができなかったのに、
こんなに歳をとってからこうして息子が生まれたのは偶然ではない。
この子はきっと古今無双の良将となるだろう。

我が子孫が日本六十余州を掌握する征夷大将軍の宣旨を賜ることになったとしてもおかしくはない。
それというのも、先祖の左近将監は源二位の頼朝の御子である。
頼朝の側妾が一人懐妊したときに、これが御台所の耳にでも入れば差し障りがあると思われたのか、
頼朝はその妾を因幡守広元に下げ渡された。
さてようやく臨月になって、安産で生まれてきた子を見れば男子だったので、
広元が養育し、成人した後は『市法師』と名乗って頼朝卿の側近くに仕えていた。
ある事情があって大友と名乗った。

だから私も大友と名乗ってはいるが、平家に与した菊池・原田・大友などという兵の末裔ではない。
まさしく頼朝卿の落胤である。
だから再び天下の武将に返り咲いて、源二位のように人々から仰がれても、
少しもおかしくないではないか」と大いに喜んだ。

そして年月が経ち、義統が十六歳になると、宗麟は、
「では家を譲り、私は世の交わりを避けて、ひたすら後生の菩提の営みをしよう」と言い出した。
天正九年に隠居すると、朝晩の勤行に身を捧げ、
青陽の春の朝には花の枝を手にとって拈華微笑の奥意を悟り、
玄冬の夜には雪の裏に立って切なる求道の決意を示し心を澄ましていた。
八十余歳で金河の流れを汲んで涅槃の跡を追っていったという。

大友の一族郎党は多くいるが、そのなかでも戸次道雪・臼杵新介などが義統の後見に当たったので、
武威は先代に少しも劣らず、九州の大名・小名は、皆昔の通り大友の幕下に属していた。

こうしたころ、肥前の国の平戸へと、船が一艘着岸した。
その船長は賢長・雲南弥と名乗っていた。
その二人の者たちは交易船に数々の宝物を積み込んで臼杵や府内に入港していたが、
能島・久留島の海賊たちがこれを見て、天が与えたものだと大いに喜んで、
ヒタヒタと攻め寄せると、数艘を奪っていってしまった。
このせいで賢長・雲南弥は恐れおののき、すぐに大友義統に訴えたのだった。

「あなたの国に我が国の宝物を入れようとしたのですが、本船は大きな船なので思うように入港できず、
また小さな船で漕ぎ送ろうとすると、伊予の住人の能島・久留島などという海賊が
たちまち攻め懸けてきて奪い取ってしまいます。
我らの力では防ぎきることができませんので、ひとえにこちらの屋形をお頼み申します。
能島・久留島に狼藉をやめるようにと下知を加えてください。
そうすれば臼杵・府内へと、毎年船を漕ぎ渡すことができます」

大友家の奉行頭人たちは寄り集まって、この訴えをどうしようかと話し合った。
皆口々に言うには、「これこそ天が大友家に与えた福徳だろう。
もちろんこれまでも平戸へ交易船が来着しているが、
九州の内で大友の支配が及ぶのだから領国の中と同じだとはいっても、
龍造寺や松浦などが我が物顔で買い漁ってしまう。
その残りを得ただけでも大友家の富の元になるというのに、臼杵・府内へ交易船が来れば、
豊後一国がますます栄え、さながら日本第二の都のようになるだろう。
能島・久留島へは使者を遣わして断りを入れ、その船を臼杵・府内へ入れようではないか。
ほかにいい案があるとも思えない」と言い立てた。

ここで臼杵新介が口を開いた。
「皆の言うことも一理あるが、私の思うところとはまったく違っている。
昔の人も、唐の物は薬以外はなくても問題ないと言ったと聞いている。
今交易船を臼杵・府内へ入れたとしても、何の用があるというのか。

当代の皆の様子は、先代の宗麟の時代の様子とは天地ほども懸け離れていると思う。
宗麟はあらゆる手を使って九州を切り従え、防長にまで渡って毛利と一戦し、
弟君義長が無念にも討ち果たされてしまった遺恨を晴らし、国々を多く攻め取り、
当世に武名をあげ、後代に名を残そうと、四六時中このことばかりを思案なさっていた。
今はそれに引き替えて、九州が統一されて味方になっているからといって、
武ということを忘れ去っているようだ。

それに文をもって国の政治を正しくするわけでもなく、文武の道が廃れ果ててしまっている。
ただ美食珍膳を求め、茶の厚薄を論じ、そのうえきらびやかな衣服で身を飾り、
朝晩見栄を張ることだけを考え、ちょっとした話をするにも
茶入れ・茶碗・墨蹟の真偽の論争ばかりに熱をいれ、武のことなどほんの少しも口に出さない。
とりわけ今こうして異国の宝物を集めようと躍起になるとはどういう了見か。
ただ見栄ばかりにとらわれて国の金銀を浪費すれば、土地は貧しくなり、民は飢えに苦しみ、
自分から国を滅ぼそうとしているのと変わらない。

金銀は天から降るものでもなく地から湧いてくるものでもない。
ただ自分の所領の米を売って銀にしているだけだ。その銀はなんの役に立つかといえば、
侍の武勇の軽重を糺して、その功によって褒美を与えるために使う。
また他国に進軍するときに兵糧を買い求めるときのため、あるいは武具兵具を調達するときのためだろう。
また所領は何のために運営するのか。
自分の衣食のためだというのは言うに及ばず、賢哲勇猛の士を招いて雇用するためだろう。
千里の馬のたとえを引いてくるまでもない。

所領の米を売りつくして、本来の用途には用いずに、ただ無駄に綾羅を買い求めては身に纏い、
茶器を求めては家宝だの何だのといって、得意顔でいるのは、金銀を泥土のように投げ捨てているのを同じだ。
取ることは緇素(僧俗)を尽くし、という言葉もこうしたことではないのか。
前代のときは、南蛮西戎の船にあらゆる珍宝を集めていらっしゃらなかったが、
何か事欠くものがあるわけでもなかった。
今人々がこぞって求めているような絹布や茶器の類は、どれひとつとっても戦具になるわけがない。
ただ町人や白拍子にとっての宝であって、武家には無用の長物だ。

そのうえ賢長・雲南弥たちに金銀を取られて、蔵の中には無駄な南蛮天竺の珍物だけを積み上げては、
金銀米銭は一粒一銭も蓄えられまい。
敵国に入るというとき、錦繍綾羅の類が兵具になるのか。
城に籠もるときに、ラシャ・ルスン壺などの珍物が兵の腹を満たしてくれるのか。
戦の役に立たないものは、泥土を蓄えているのと同じだ。

さて、こんな役に立たないものに自分の宝を費やして、目を光らせて肩をいからせて綾羅を身に纏い、
驕り高ぶっていれば、いつかは貧しく困窮してしまうだろう。
ほかに方法がないのだから、所領から一粒でも一銭でも多く取ろうと民を責め立てれば、
民は皆飢えに直面し、子を売って年貢を用意し、妻を売って借金を返すようになる。
皆が困り果てる。他国に身一つで逃亡する者も出るだろうし、また道の脇に行き倒れて死ぬ者も出るだろう。
そうなれば当然、前年は米千俵が用意できたところは五百俵に減り、
五百俵のところは三百俵に減るだろうから、国もすさんで侍も貧しくなる。

それどころか、土民たちは
『こんな邪な大将のもとにいるからこそこんなにつらい目にあって、
妻子や一族をも質に出したり売り払わなければならないほどの貧しさに苦しむのだろう。
ああ、政道を正しくしてくれる武将がこの国に攻め込んでくれればいいのに』と熱望するようになる。
皆敵方に肩入れをし、我が国の大将を忌み嫌って、
ついには一揆を起こして敵を引き入れたりするだろうから、間違いなくこの国は滅んでしまうだろう。

国が滅びるきっかけは何かといえば、異国の船の宝物をほしがったことにある。
だから最初に言ったように、薬などのほかは、異国のものは必要ないのだから、
交易船をこの国に入れるというのは、絶対にやってはいけない。
それでなくても武芸を忘れ果て、驕りを極めた大友家の諸侍の気風はよろしくないのに、
賢長・雲南弥らの船が来着して臼杵や府内に入港させようというのは、
ひとえに当家を滅ぼそうと天魔が変化してやってきたのに違いないと思う。

今は毛利家が信長との和睦が敗れて天下を左右する戦争に及んでいる。
どちらも大敵だから簡単に相手を滅ぼすことができず、何度も合戦を重ねていると聞く。
また互いに和睦をすれば、毛利家は当家とは何年にも及ぶ遺恨があるのだから、
きっと豊前口から攻め入ってきて、たちまち当国を攻め取ってしまうだろう。
もし毛利家にそのつもりがなくても、信長が九州を放っておくはずがないから、
やはり毛利家を先鋒として攻め下ってくるはずだ。
信長の配下に属すといって赤手を擦り合わせて和平を請うても、信長は欲が深くずるい大将だから、
自分の旗本の侍たちに国を与えたいと思うはずだ。
とても今の分国をそのまま安堵されるはずがない。半分は減らされるだろう。

そもそも毛利家は、元就が逝去したとはいっても、元春・隆景という良将がいるのだ。
敵国が強いと感じれば無理には領国を奪おうとはしないだろうが、
当家の軍事の様子をきっと見透かしているだろうから、十中八九、
弱敵だと侮って国を追い出し、自分の譜代相伝の侍たちに所領を与えようとするだろう。

一番いいのは、交易船を当国の港に入れて日本第二の都として栄えるよりも、
異国の宝物を禁じ、我が国の賢哲智勇の侍を召抱えることだ。
燕の昭王が宮殿を築いて郭隗を師と仰いだようにすれば、当家の武臣もいよいよ忠功に励み、
他国よりも智勇全備の侍が集まってくるだろう。
そうすれば当家の武威もたくましくなり、日本に数少ない弓取りだと賞賛されるはずだ」

臼杵新介は言葉を尽くして説得したが、大友家はもうおしまいなのか、
奉行頭人たちは皆欲に耽り、愚意に迷い、臼杵の諫言を受け入れなかった。
やがて部丹生弾正忠を使者として、伊予の国の能島掃部助・久留島出雲守のもとへ申し入れを行った。
両島は「交易船の宝物を奪い取ることを停止せよとの由、承りました。
まったく思いもしなかったことです。我らは昔から海上を知行として妻子をはぐくみ、
家人を養ってきましたので、仰せは理解できますが、このことだけは了承することはできません」と返答した。

大友はこの返事を聞いて、また使者を遣わした。
「確かにその通りです。では交易船に攻撃を仕掛ければ、今後は九州の地で商売ができないと思ってください」
と伝えると、能島・久留島はこれを聞いて話し合う。
「交易船が我が国に来るのは、数年に一度のことだろう。それに大して商売は日々のものだ。
九州での商売ができなくなれば、我らは飢えてしまう。仕方がないから大友の言い分を呑もう」
両島がこのことを返事すると、義統は大いに喜び、すぐに交易船に印を与えた。
その後は何に煩わされることもなく、交易船は臼杵・府内へと珍器重宝を船に積んでやってきた。

さて義統には金銀珠玉が数多く献上されたが、これだけではつまらないと思ったのか、
生きた虎や豹なども献上された。
義統は、「日本において生きた虎を目にできるとは」と大いに喜んだ。
奉行頭人にも金襴緞子などの宝物が飽きるほど贈られた。
人は皆、「賢長・雲南弥が天魔の変化だなどと言っていた新介の言い分は違う。
実は徳の神の化身だったのだろう」と、後の災いも知らずに、手を打ち合わせ、喜び笑い大騒ぎをした。
愚かなことである。


以上、テキトー訳。

義統が宗麟が歳をとってからの子っていうのは、たぶん誤解なんだろうな。
宗麟=1530年生まれ、義統=1558年生まれ……で合ってるよね?
宗麟の父義鑑が1502年生まれらしいから、それと混同されてるんだろうなぁ。
他家のことはけっこう適当らしいから、これはしょうがないかも。
大友さんちは滅亡してないといっても改易されてるしな。情報不足なんだろうな。
でも歳をとってからの子で期待をかけられてた義統って設定はなかなかイイw
本人がダメダメな印象が強いだけに、これはイイ!

臼杵新介のお説教が、なかなか胸にくるものがある。
本分を忘れないようにしなさいね、っていうのは、誰にでも言えること。
私もこの前上司に同じ調子で苦言を吐かれたもんで^^;
黒字が出たりして潤ってるとついつい緩むんだけど、やっぱりそれはイカンよね。
初心に戻って気を引き締めなければ。ちょうど新しい年度がすぐそこだからね!
がんばってボーナスたくさんもらえるようになって、それでいろんな本買うんだ!

そんなわけで4月からちょっと新しい業務をやらなければならんので、
勉強とかいろいろあって、更新が滞ることもあるかもしれません。
業務フローがどうなるかはやってみないとわからない部分もあるから、
もしかしたら今までのようにそ知らぬ顔で更新してるかもしれないけどw
気長に待っていただけると幸いです。
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すいません。
前回のノリヤン津海戦ですが、露梁海戦の事です。
漢字で書けばよかった。
分かりずらかったですよねごめんなさい。
義統さんて本人の能力がアレってのもあるんでしょうが、何割かは家を潰したせいで叩かれてんのもあるんでしょうか。
自分は宗鱗嫌いなので、どうしても義統につけがきてるって思ってしまいます。
人妻略奪、正室との確執、宗教政策その他・・・。
こんな親父の子に生まれて、人生で幸せを感じた事があったんだろうか。
武田勝頼や長曽我部盛親、本人に責任があると分かっていても、悲運の二代目につい同情してしまいます。

Re: タイトルなし

露梁海戦ですか。ウィキペディアですが読んでみました。
タイミング的にも、ご指摘の通りだと思います。ありがとうございました。
大友家は胸の痛くなる逸話が多くて困りますね。特に家族関係がガタガタで。
戦国の世では、毛利家みたいな方が珍しいのかもしれないけれど、
ちこなつ家族から戦国に足を踏み入れた私としては、大友家の状況はgkbrです。
勝頼も盛親も義統も、家が滅びる逆らいようのない時流の中で、必死に足掻いた人たちだったんでしょうね。
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