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2012-04-08

平安末期~承久の乱あたりの河野家

いやはや、今日は打ち込んだテキストがマシンのフリーズでまっさらに消えてしまって焦った。
お釈迦様の誕生日だからか? 天部のいたずらか?

前回のあらすじというものはないけれども、伊予河野氏の先祖をたどって
一大ファンタジーワールドが繰り広げられてる真最中ですよ。
今回は平安末期の院政期あたりの話だね。


伊予の国、河野先祖のこと(3)

『平家物語』には、養和元年二月に西国より平家へ報告があったとある。
伊予国人の河野介通清が去年の冬から謀反を起こし、
当国の道後・道前の境である高縄の城に立て籠もっているので、
備中の国の住人、奴可入道西斉が、備後の鞆の浦から兵船十艘で押し渡り、
高縄の城へ攻め寄って通清を討ち取り、国中ならびに阿波・讃岐・土佐を平定し、
正月・二月の間はそこに居住していた。

そこに通清の子息である河野四郎通信が高縄城を忍び出ていて、
安芸の国沼田郷から兵船三十艘ほどを釣り船のように装って漕ぎ出してきており、
西斉をうかがっていたが西斉はそれを知らなかった。
さる三月二十一日に宿海にて、室高砂の遊女を集めて舟遊びしているところへ通信が攻め寄せてきて、
西斉を捕虜にして高縄の城へと引き上げ、磔に架けたとも、あるいは鋸で首を切ったとも言われている。
新居・高市をはじめとして、四国の住人たちは皆河野に付き従ったとのことだ。

しかしこの物語と河野家の相伝とは少し違っている。
河野家に伝わっているのは、平家が大勢で伊予の国に来襲し、通清が三度の合戦で勝利したので、
平家はまた一万騎を率いて、七ヶ国の兵を引き連れてきたときに、温泉郡で合戦した。
通清は分が悪くなって高縄の城に籠もったところ、
備後の奴可入道西斉たちが示し合わせてその城に攻めかかった。

城中から内通者が出て敵を引き入れたので、通清は討たれてしまい、
同じく子息の通考・通員も討ち死にして、中河の者たち十六人も討ち死にした。
城中の者たちはことごとく討たれてしまったので、どうにか生き残った者たちは足が動く限り逃げた。
こうして中河の一族は皆滅びてしまったが、相模の国の藤沢道場に生弥陀仏いう時宗の僧侶が一人いて、
それを呼び寄せて還俗させ、家を相続させた。その子孫は栄えた。
また通清の子は童名を若松丸といって、北条四郎時政の婿である。

『平家物語』九巻には、元暦元年、門脇中納言が福原へ来たとある。
子息二人は伊予の国の住人河野四郎通信を攻め滅ぼそうと、二手に分かれて四国に渡ってきたという。
越前三位通盛は阿波の国の北郡花園の御所に着き、能登守教経は讃岐の国の矢嶋の御所に着いた。
河野四郎はこれを聞きつけて、安芸の国の住人沼田次郎源氏が味方してくれると、
一緒になって沼田尻へと渡った。
能登守はそれを追いかけ、備後の笠嶋に着いた次の日に沼田尻へ攻め寄せ、一日と一夜戦った。

沼田次郎は矢種が尽きてしまったので降参をし、
河野四郎はというと、城主さえこの通りなのだから、主従七騎だけで細綴白の浦まで船で落ち延びた。
能登守の郎党に、平八・為員二騎が矢で射られ死んでしまい、三人は馬を射られて動きようがなくなった。
通信が自分の命と同じように思っている郎党だからと、
能登守の郎党の讃岐七郎がこれを討とうと付け狙ったが、
通信がその者たちを肩に引き掛けて小舟に乗り、伊予の国に渡っていったという。

河野家旧記には、安芸の国の沼田城を能登守に攻め落とされたとある。
沼田次郎は通信の小舅だったので協力したのだが、兵数が少なくて城を落としてしまった。
通信は力を落として「沼田次郎の言うようにここは退こう」といって、
怪我をした大武者を肩にかけて一里ほど退却すると舟に乗り、易々と海を渡ったそうだ。
沼田はそれから伊予に住んで、十八ヶ村の一員になったとも。

また出雲房宗賢という者は、通清が若年のときに江集の西坂本で拾った捨て子だという。
通信は親を奴可入道に殺されたのを恨みに思って、どうにかして入道を討とうと策を練ったが、
流浪の身の上ではどうしようもないと思っていた。
宗賢も同様に恨みを晴らそうと考えていた。

奴可入道は恩賞として備後の国を与えられ、その栄華に溺れた。
鞆の浦に出て室高砂の遊女たちを呼び集め、山海の珍味嘉肴を尽くして酒宴を開いた。
これを通信が聞きつけると、三尺ほどもある大きなアワビを手に入れ、
宗賢と二人で主演の場所に行って、
「私たちは伊予の今治の海人でございます。貴君がこちらで遊山なさっていると聞きつけ、
それにふさわしい肴が手に入りましたので持って参りました」と言った。
西寂が喜んで二人を幕の内へ呼び入れて盃を与えようとすると、宗賢が飛び掛って西寂を生け捕った。
そのまま提出舟に乗せて筒の門口に縛りつけ、二人で舟を押し出してこう言った。
「私は通信、ここにいるのは河野四郎通信である。父の仇を成敗してやる」

通信は舟を漕ぎ出し、伊予の国の風早郡北条浜に着くと、
高縄城の通清の墓の前に西寂を三度引き回してから首を刎ねた。
西寂もなかなかの者で、その墓に尿を引っ掛けた。
それがあってから、河野家では墓を築かなくなったという。

その後、頼朝が天下を治めるようになり、鎌倉の由比の浜で大宴会があった。
「諸侍が座位を争うことになるだろうから、先に席次を定めておこう」ということで、
頼朝は小折敷を取り寄せて座配を定めた。
まず一文字を書いて自分の前に置く。北条の前に二文字、河野の前に三文字を置いた。

また河野家の幕の紋のことについて、その先祖の三並は、
異国を成敗するために日本から十人の大将を渡海させたとき、第三番目の大将だった。
そのときの幕の紋は一スハマであった。伊予の皇子が下向してきたときからの慣例である。
異国でよく似た紋があったので、紛らわしいと、河野の舟には折敷を角違いにはさんで舳先に立てたところ、
その影が白々と海水に映ったのを見れば三文字が見えた。
不思議なことだと思っていると、その舟から日本軍が勝利を収めることができたという。
帰国してから、三文字を幕の紋にしたそうだ。折敷もただの四角のものを付けていた。

その後、承久の兵乱のとき、通信は天下の安否を三島の明神に参詣して尋ねた。
神はこう答えたという。
「聖運が傾き、その後関東が滅ぼして聖代となるだろう。
まず関東に従えば四国の探題の職に据えられるだろう」
通信はこれを聞いて、「普天のもと、卒土の内は王土にあらずということはない。
私は皇恩を蒙ってきたのに、どうして朝敵に味方することがあろうか」と帰ろうとする。
明神は「時の変化を見抜けないのは勇士ではない」と諫めたけれども、
通信はまったく聞く耳を持たずに、明神が握っていた通信の直垂の袖を振り払って帰ってしまった。
明神は大いに怒り、「これから七代は私の前に現れるな」と神勅があった。
これから長らく、三嶋大明神が河野に対面することはなくなってしまった。
通信は宮方についたので、奥州平泉へ流された。

その弟の五郎通経は、源義経の烏帽子子だったために、「経」の字を与えられていた。
武芸に秀でていたので「甲冑五郎」とも呼ばれた。
義経の兵書を相伝し、また河野家の兵法の深淵を極めたそうだ。
その子孫は栄えたが、先年、細川武蔵守頼之が上位に背いて四国に下向してきたときに河野と合戦に及び、
このときは惣領に恨みがあって細川に味方した。
細川右京太夫勝元に「甲冑加賀」と呼ばれたのは、この通経の末裔である。

通信には子息が多数いて、嫡子の得能冠者通俊は得能のはじめであり、十八家中の十八番目である。
その子の通秀とまたその子の通純は、文永年中に六波羅探題の吏部を討伐して、
阿波の国の冨田庄を与えられた。
次男の通村と三男の信綱、四男に通方と、総勢四人の子がいた。
そのなかで通村の子の通綱が備後守に任じられ、元弘年中の後醍醐天皇の時代に、通信の旧領を与えられた。
それで惣領家となって河野を名乗ったが、その孫が宮方についてしまったので、他国で断絶した。
また通信の四男、九郎左衛門通久は、承久の乱のときに上洛しており、
宇治川の先陣を務めて、阿波の国の冨田庄を与えられた。
その子の通時・次男通継・その子の通有は、後宇多院の時代、弘安年中に蒙古の襲来があったとき、
軍忠を貫いたので、肥後・肥前で数箇所の所領を与えられた。
海上と陸地で都合七十余度の合戦に粉骨砕身し、たいそう感心されたという。


以上、テキトー訳。マダツヅクノデスw

つーかマジで神様と仲いいな、河野氏www
お告げに食って掛かってみたり、引き止められた袖を振り払って帰っちゃったり。
なんだ、痴話喧嘩見てるよな気分にさせられるね。
そういえば通清のお母さんは神様と密通して通清が生まれたんだっけ。
そのときも神様に思いっきり反論してたしな。
喧嘩するほど仲がいいとか言うけれども、このころの人にとって、
神様っていうのはすごく身近な存在だったんだね。

さてさて、『平家物語』とか承久の乱とか、日本史で習った記憶のある単語がちらほら出てきてるね。
このころのことは不勉強なのでまったくわからないけれども、
親兄弟が敵味方に分かれて、家の存続をどうにか図った動乱の時代だとざっくり理解してる。
今年の大河は『平清盛』だっけ。さんざっぱら悪役として描かれてきた清盛ってどうなの、
とも思わんでもないけれど、どうせ見ないのでどうでもいいというのが本音。
初回だけ人に付き合って見たけど、清盛の父親が厭戦気分滲み出させてたところで
「もういいや」って気分になった。あと海賊に一人で立ち向かおうとするシーンとかな。
どこの少年漫画の主人公ですか、と。
映像とか音楽とかはいいんだけれど、根底の思想的なものが肌に合わないのよね。イライラする^^
犬HKは金持ってるんだから、もっとがっつり大規模合戦シーンとか嬉々として描いてくれないかな。
大軍VS寡兵の合戦も好きだけど、大軍VS大軍も好きなんだよね。個人的な好みだけどさ。
血沸き肉躍る合戦シーンが見たいよーーー!

しかし河野家の家伝は血なまぐさいというかおどろおどろしいというか。
親の仇をただ殺すんじゃなくて、生け捕って父の墓の前で引き回すとかえぐいわ。
生け捕られてる方も墓にションベン引っ掛けるとか、やるじゃないの。
万人受けはしないだろうけど、劇画タッチで漫画化してほしい作品だよねーと思ったりしたw
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