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2012-04-15

鬼のいぬ間の南条急襲

河野の鬱歴史はさっさと忘れて次行こうぜ!

えーと……どの辺りの話だったかすっかり忘れている。
そうだ、秀吉の四国征伐に隆景と元長が駆り出されてんだった。
今回は、そのときの国もとの話。


伯州香原山の城のこと

南条伯耆守元続は秀吉公を頼って本国に帰ったが(天正十一年ごろ)、
吉川・小早川両将の四国渡海の隙をうかがって、行松入道の次男、次郎四郎を大将として、
福頼藤兵衛尉(左衛門尉元秀)がわずか百人程度で籠もっている香原山の城を攻めようとして、
一千余騎で攻め寄せた。
福頼は敵の猛勢に臆したのか、一日戦いに費やすと、
同(天正十三年)七月九日の夜になって、城を逃げ出した。
行松がすぐにこの城に入った。

このことは、近辺にいた牛尾大蔵左衛門・吉田肥前守が伝え聞いて、
「香原山の城を敵に取られたのに、一日でも二の足を踏んでいてはならない。
そんなことをすれば、我らの武勇が劣るせいだと人が嘲弄するだろう。
すぐに攻め寄せて取り返してやろう」と息を巻いたが、
二人の手勢は合計しても三百に届かない数だった。
「ならば、毛利七郎兵衛尉元康が、兄の元秋が死去(天正十三年)したあと、出雲の冨田の城に入っている。
この人と示し合わせて行松を退治しよう」と、早馬を飛ばして元康にこのことを伝えた。
元康は「来る十四日に香原山へ出張しよう」と応じたので、
二人の者たちもその日を待って攻勢に出ようとした。

元康は十四日の朝に八百余騎で香原山あたりへ打ち出したが、
牛尾・吉田はまだこの地に到着していなかったので、
元康は「わずかな手勢で戦って敵に利を付けてしまえば、見方がまた戦うときに厄介だろう」
と考えて軍を引き上げてしまった。

牛尾大蔵左衛門は、合図の日と違わないように、同日の夕方に手勢七十ばかりで香原山近辺に打ち出した。
大坪神兵衛尉・境与三右衛門もその辺りにいたので、牛尾と合流して駆けつけた。
さて香原山に入って里の人に「毛利七郎兵衛殿はもうこの地にいらしているか」と尋ねると、
「それはもう、今朝の卯の刻(六時ごろ)にいらっしゃいましたが、お見方が続いてきません。
敵方には南条から続々と加勢が来ているとお聞きになって、すぐにこの地を引き払ってしまわれました」
と返答があった。牛尾はこれを聞いて、
「私は和泉山を出た日から、香原山の城を攻め落とさないうちは二度と帰らないと思い定めてきたのだ。
敵がたとえ百万騎いようとも、一歩も引くものか」と、
百騎にも満たぬ小勢で敵勢千騎を向こうに回して、少しも怯まずに陣を構えた。
牛尾の心栄えこそ不敵である。

吉田肥前守は、尾高の城を出て約束の日に遅れないようにと急いだけれども、
あまりに小勢なので近辺にい合わせた味方に出兵の催促をしていたため、
あちこちで少しずつ時間をとられてしまっていた。
その日は道を進むうちに日が暮れてしまって、あと三里ほどというところで一夜陣を張っていた。

牛尾は手の者たちを付近の人家に入らせて、陣屋を作るための材木などを取らせ、
自身は大坪・境らとともに、わずか十四、五人で小屋の中にいた。
敵は牛尾が少人数でいるのを見て、百人ばかりで我先にと城から打ち出てきた。
牛尾・大坪・境たちは、鉄砲四、五挺を前に立てて待ち受けたが、
人家や山々に入っていた手の者たちは遠くからこれを見つけ、「主を討たせるものか」と、
我も我もと急いで駆け帰ってくる。
敵はこの様子を見ると、ひとたまりも泣く逃げ帰ろうとする。
それを追いかけ、三人討ち取った。
「幸先がいい。軍神の血祭りに上げてやろう」と喜び勇んだ。

翌けて十五日の早朝、吉田肥前守が百五十騎ばかりで着陣すると、
牛尾が七、八十ばかりで陣取っているのを見て、
「なんと、大蔵は至剛の者だなぁ。自分の十倍の敵勢を山頂に引き受け、一夜こらえたのか。
項羽の勇にもなお勝る」と大いに感心したが、
牛尾の陣に首が三つ並んでいるわけを問うと、昨晩の様子を教えてくれた。
吉田は牛尾の勇に感服を通り越して、思わず開いた口がふさがらなくなった。

さて城中では、「昨日の朝には毛利元康がこの表に打ち出してきたが、すぐに引き返していった。
これもきっと、吉田・牛尾が出てきたのを聞きつければ、こちらに取って返してくるだろう。
近辺の敵勢は次第に増えて、味方の危機が訪れるかもしれない。
まず吉田・牛尾を切り崩せ。一陣破れば残党は残らないものだ。
後陣に大勢いようとも、矢の一つも放てずに敗北するだろう」と、五百騎ほどで城を打ち出した。
吉田・牛尾は二百五十ばかりで渡り合い、無二にかかっていく。
敵はかなわないと思ったのか、貝を吹いて逃げていった。

こうして後陣の大軍が到着するのを待って敵城を乗り破ろうと、
その間は「どんな弱敵であっても侮るな」とまずそれぞれ自分の陣を固めていた。
行松は「これはとてもかないそうにない。長居をしては身に危険が及ぶ」とでも思ったのか、
同日の夜半に城を忍び出て羽衣石の城へ逃げ帰っていった。
寄せ手は忍の斥候を放っていたのでこれに気づいて、敵が逃げてゆくと聞くやいなや、
我先にと城中に駆け入っていった。しかし敵の逃げ足が速く、
逃げ遅れた兵を百余人討ち取っただけにとどまった。

ここに、坂手新允という者がいた。
もとは杉原元盛の手の者だったが、そこでも同僚の中原弥介と毎度のように先を争っていた。
近年は南条を頼って妻子を育んでいたが、どうか中原と渡り合って勝負を決めたいと思い、
他の人間が退却しても坂手はまったく退こうとしなかった。
ある村のススキの陰に隠れて、中原が来ないかと待ちかけた。

弥介はそのころ風邪をこじらせていて四国には渡っておらず、自分の宿で療養していたが、
香原山に敵が出たと聞くと、吉田の館に馳せ向かい、一緒に進軍した。
弥介が味方に下知をして逃げていく敵を討ち取っていたところ、
坂手は「今、声高に味方に下知をしているのは中原に違いない。願いが天に通じたのだ」と喜んで、
声も高らかに叫んだ。

「ただいまこの辺りで大声を上げて物をのたまったのは中原弥介殿と聞きなした!
かくいう私は坂手新允である。
一方を打ち破り落ち延びるのは何よりも簡単なことではあるが、
おそらく中原殿がこの城へお向かいあるべしと思ったので、
待ち受けて一太刀浴びせ、近年杉原家で何度も先を争ってきた勝負をここでつけたいと考え、
今までここに控えていたのだ。いざ一勝負参ろうぞ!」

坂手がススキを押し分けて飛び出てくると、身の丈は六尺に及ぶ大男、
三尺以上に見える大太刀を軽々と提げている。
普段は目に見えぬ鬼が姿を現したのか、または近くの大山に住む天狗が化けているのか、
まさか人間ではないだろうと、さしもの中原も身の毛がよだつほどだった。

中原は鑓を引っさげて、「なんと坂手殿、久しいな。
私もあなたと巡り会いたいと思っていたところだ」と、突いてかかる。
中原の中間は主を討たせまいと間に入って切ってかかるが、坂手はこれをキッと睨んで、
一打で両膝を薙ぎ払った。
坂手が太刀を引き寄せようとしたところに、大王寺弥次郎という者が、
朋輩を討たれて悔しく思ったのだろう、息を継がせるまもなく鑓で突きかかる。
坂手は敵の突く鑓のしお首を打ち払い、弥次郎の眉間をしたたかに切りつけた。

中原はそこにツッと走りかかって、坂手の草摺り目掛けてズンと貫く。
ハンカイを髣髴とさせるほどのさしもの坂手も、犬のようにドウと座り込む。
太刀を振り上げて鑓の柄を切ろうとするも、中原が重ねて突いてくるので、もうかなわないと思ったのだろう。
坂手は持っている太刀を中原に投げつけて伏せてしまった。
中原は押さえ込んでその首を掻き切った。
なんと大剛の者だろうと、人々はこぞって褒め称えた。

中原は首を三つ討ち取った。
弥次郎も手傷は負ったが浅いものだったので命には別条がなく、落人二人を討ち取った。
牛尾・吉田の手勢も首を七十余り討ち取り、やがて香原山へ人数を入れ、
南条が攻めてくるかと待ちかけたが、元続はかなわないと思ったのか、その後は兵を出すこともなかった。


以上、テキトー訳。

いいですなぁ、いいですなぁ! 血沸き肉躍るよ合戦シーン!!!
元康の名前が出てきて期待したけど……うん、陰徳記はどうあっても元康を活躍させる気はないようだw
心底憎み合ってたわけではないんだろうが、やっぱり元康と広家がナカワルだったからだろうね。
対して牛尾・吉田は、尼子から毛利に帰服した連中で、吉川の管轄だ……ったよね、確か。
江戸期も吉川家臣として存在してる。

境与三右衛門なんてそれこそ吉川一門衆だし。
キャー与三右衛門サーン!!! もうすっごい好き! 与三右衛門は私のヒーロー!
すっごい好き!!! 大事なことなので2回い(ry
名前が出てくるだけで、何してくれるのかと期待させてくれる人もそうそういないよ。
与三右衛門はそういう人だよ。
陰徳記の鳥取城落城あたりを読むとそう思うよ。
誰か与三右衛門を主人公にマンガでも小説でも書いてくれないかしら。
めちゃくちゃオイシイ人物だと思うの。
ハァ……滾ったのでドッと気だるさが襲ってきたwww

いや、今回の坂手・中原の対決はよかったねぇ。
カッコイイよね。軍記物読んでるー!って感じがする。
現代の少年漫画でも通じるかっこよさ。
こういうノッてる描写は大好きだ。正矩愛してる(告白)。

この次の章はすでに読んでいるコチラです。
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