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2012-04-21

くつろぎの吉川馬野山本陣へようこそ

ヒャッホウ! 久しぶりすぎるぜブログ!

えーっと、これまでの流れは、
鳥取城が落ちて秀吉が大軍で向かってきたよ!
少ない兵力ながら元春が馬野山で対陣して、背水の陣で臨んでるよ!
さぞかしプルプル震えてるかと思いきや、なんかのんびり飯食ったり酒飲んだりしてるよ。
そのくせ見回りや、合戦の準備は怠ってないよ、てとこまで読んだ。


秀吉、敵城の批判並びに敗軍のこと(上)

秀吉はその夜、敵が引いていくはずだと考えて物見を出してうかがっていたが、
馬野山の陣は物静かなものだった。
出雲・伯耆の人々も、敵が数万の猛勢を率いて竜や虎のような威を振るいながら山頂に陣を据え、
芸陽勢の陣に真っ逆さまに駆け下ってこようとしているのだから、
いかに元春父子が非常に強いとはいっても、一晩も足をとどめていられないだろうと思っていた。
それで皆馬に鞍を置いてその上に腰を乗せ、いつ退却になるのかと待っていたのだった。

元春様は謀略にも長け、とりわけ剛強の名を掲げる良将だったので、
敵の大軍をまったく気にせずに、「今夜は大雪が降って寒くてかなわん」などと言いながら、
炉に赤々と火を焚かせ、帯や剣を解いてせなかを炙り、高いびきをかいて眠っていた。

杉原弥八郎元盛は横道権允を呼ぶと、
「おまえ、元春の本陣に行って見てこい。
あの大軍とまともに対峙したら、きっと今夜一晩も堪えることができずに敗北してしまうだろう。
陣の様子も心もとないだろうよ」と言った。
また三刀屋弾正左衛門尉久祐は、坂田平蔵という者を、元盛と同じように遣わした。

二人で本陣の様子を見て帰ってくると、元盛・久祐は「どうだった」と問う。
「それが、元春は持病がうずくといって、宵から帯を解いて火を焚かせ、
背中を炙って寝ていらっしゃいました。
そのほかの侍たちも、特別な用心をしているわけでもなく、小鼓を打ったり謡をしたり、
いかにもくつろいだ様子でございました。
それでいて油断しているか思えば、元長・経言のご兄弟が
代わる代わるしっかりと夜回りをしていらっしゃいます」と二人は答えた。

元盛・久祐はこれを聞いて、「なんと、元春父子ほどの大剛強な大将は他にはいないだろう。
敵は味方の城を攻め落とし、勝利に勇んで進軍して、その上我らの十倍の兵力で山頂に陣取っている。
背後では南条の城へ秀吉が加勢を入れ、ずいぶんと手強い供えになっていると聞くから、
前後を敵に挟まれているわけだ。
自分だって意気消沈した小勢で対陣しているというのに、味方が臆病風に吹かれてしまうとあらかじめ察して、
持病が出たようだなどと言って宵から臥せていらっしゃるとは、世に類まれな勇将だなぁ。
大将がこれほど無二の気持ちをお持ちなら、味方の六千の兵は、敵の六万騎に倍するだろう。
秀吉の大軍など恐るるに足りん」と鼻息を荒くした。

元春様もくつろいだ振りはしていたものの、味方の諸軍士の心の動揺を心配したのか、
それぞれの陣に人をやって様子をうかがわせていた。
様子見に出た者たちが帰ってくると、
「どこそこの陣はこのようでした、ここはこうであそこはああでした」などと報告する。
「なかでも杉原弥八郎・同又次郎兄弟は、博打双六などを打っており、
これほど寒いというのに着物の両肩を脱ぎ、両采一賽と打ち出したり、
手をもんで『しょうさい、しょうさい』と声を大きく張り上げたりと、
ほかの事は考えていない様子でした。
三刀屋弾正左衛門久祐は、河井入道とかいう者と碁を打っていました。
指を折って十目二十目と目算などをして、人が来て何か言っても、聞こえていないようです」

元春はこれを聞いて、
「三刀屋久祐は、もともと武勇の誉れのある者だから、それが普通なのだろうな。
杉原兄弟はまだ二十歳を過ぎてから二年、三年といったところだろう。
心が強いのか臆病なのか、どちらだろうと思っていたが、
子は父の業を継ぐからだろうか、父の盛重によく似ている。
なんと強い者たちだ」と感心しきりだった。

そして夜が明けると、同(天正九年十月)二十八日、秀吉が南条の城へ兵糧を入れてやろうと、
峰づたいに雲霞のごとく兵を出した。
元春様は、井上平右衛門・山県宗右衛門に鉄砲数百挺を差し添え、
今田玄蕃を検使として松ヶ崎の辺りへと打ち出させる。
「鉄砲を撃ちかけて敵を誘引してみろ。
もし全員が挑発に乗ってくるようなら、こちらの陣からも打ち出して一戦しよう」と元春が言うと、
二人は「わかりました」と答えて出発した。

山県は敵の様子を見て軽く仕掛け、また井上は敵の懐深く切り込み、
敵が大勢でかかってきても少しも引かずに、今田玄蕃と一緒に控えていた。
これは神無月の中旬を十日も過ぎたときだったので、北国前は特に寒さが厳しく、ひどく吹雪いていた。
数間の距離でも周りがはっきりと見えなくなる。
ときどき風が穏やかになったときに見てみると、敵勢は段々に構えて、二、三千ほどが打ち出てきていた。
中でも真っ先に進んでいた武者二人が、馬上で指麾(ザイ)を振るって後陣の勢を招いている。
これは味方が一人残らず討ち取られたかと思っていると、
また風が激しく吹雪き、ひどく雪が降ってきたので、ほとんど物が見えなくなった。

「もはや敵が後ろに回っているだろう。とても逃げ切れない」と、
死を覚悟して、皆一ヶ所に集まり、鉄砲を立て並べ待っていると、
五、六反ほど前の松山の尾崎で鉄砲の音がした。
誰だろうかと見ると、千代延与介が真っ先に進んできていた武者大将らしき者を一人、
馬上から真っ逆さまに撃ち落とし、声高に名乗りを上げた。
味方はこれに機を得て進む。
上方勢の数はさらに増していたが、その武者がなかなかの人物だったのか、
馬から落ちると同時に、後ろから続いていた敵勢はそこに駆け集まって、
傷を手当しようと、自分たちの陣に戻っていった。
今田・井上たちは「十死に一生を得たばかりか、上方勢との初の合戦で塩をつけてやったぞ」と喜び勇んだ。

これを知らずに、馬野山の本陣には
「敵が大勢で打ち向かってきて、味方が難局に直面しています」と報告が入る。
元春は「敵が出てこないものかと待ちかけていたところだ。
これは願ってもない幸い、まずは元長を向かわせろ。
私は秀吉の本陣の様子を見て、機をうかがってから出る」と言った。
元長・元棟(後、元氏)・経言兄弟が打ち出すと、
熊谷伊豆守信直・その嫡孫の豊前守元直・杉原弥八郎元盛・その弟の又次郎景盛らも、
二千余騎で松ヶ崎あたりへと向かった。


以上、テキトー訳。続く。

え、ちょっと待って。元棟、いつからそこにいたのwwwww
元長・経言の名前しか出てこなかったから、次男はてっきり留守番組かと思いきや、
馬野山には来てたのねw それならそうと早く言ってよ、正矩www

えー、「吉川本陣」て料理屋さんがあるそうだね、元春館跡の近くに。
九曜紋のごとくに並べた色とりどりの蕎麦が有名だそうだ……食べに行きたい……ギリィ
というか、元春館へのアクセスを調べたらさ、
「最寄のバス停から徒歩40分」て書いてあったとこがあったよ。
バス停からかよ! 車移動できるやつ以外来るなって話なのかしらそうなのかしら。
車なぁ……法的には運転できるが、人道的に運転しちゃいけない。
なぜならペーパーだから! どっちがブレーキでしたっけ???

そんな思いがあるからか、
きっとな、馬野山の吉川本陣は、鮭と濁り酒と小鼓と謡でくつろがせてくれるんだぜ……
まで想像したというか妄想した。
で、丸顔のおっちゃんが炉辺で背中炙って寝ててくれたら言うことないよねアヘェ
でも妄想じゃ元春館や万徳院や吉川本陣、馬野山には飛んでいけないんだぜ。

うん、飛んでいきたい。できることなら明日あたり、佐倉に。
博物館で見たい展示があるんだよー!
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