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2012-05-11

決戦の決意と始まった交渉

前回のあらすじ:
元春たちゎ頑張った……清水がまってる……でも……高松城を救ぇなぃ……
でも……ぁきらめるのょくなぃって……中国勢ゎ……ぉもって……がんばった……でも……
内通者もぃるかもなんて……つらぃょ……ゴメン……もぅすぐ溺れちゃぅ……でも……
清水と……もぅりは……ズッ友だょ……!!

すんません、ついったでコピペ改変が流行ってたもんで調子に乗りました。


清水兄弟自害のこと、付けたり秀吉、輝元・元春・隆景と和睦のこと(2)

元春から「侍も下人も、柵の木を一本持ってくるように」と下知があり、
人々は皆すぐに柵の木を持って集まった。
やがて廂山の陣を柵で囲み、芝土手を築き上げ、陣の備えがいよいよ堅固になる。
こうなると、味方のなかに少しくらい敵に内通している者がいたとしても、
簡単に攻め破られそうには見えなかった。
こうして人々の心が少し落ち着いたので、
「では羽柴七郎左衛門の陣に攻めかかろう。明後日の六月五日だ」と定まった。
とそこへ、翌日四日の早朝に、秀吉から使者が遣わされて、
「安国寺瓊西堂をただ今から急ぎ寄越してほしい」と申し入れがあった。

安国寺は、いったい何事かと急いで敵陣に赴いた。
秀吉は安国寺を陣中へと呼び入れ、席を勧めて話し出した。
「近年、わしは元春・隆景とあちらこちらで対陣してきたが、これはわしの意志ではない。
それというのも、先年に信長と輝元が水魚の交わりを約し、天下を泰平たらしめ、
民の苦しみを救おうということになったが、その約束は金や石よりもなお堅いもので、
血肉を分けた同胞のように思っていた。

それなのに将軍義昭卿が信長の忠勤をたちまち忘れ去ってしまい、かえって恨みを抱くようなことをしたから、
信長も仕方なく宇治の真木の嶋へと追いやったのだ。
そのときの成り行きは貴僧がご存知の通りだから、詳しくは申すまい。
輝元から和尚と林杢允、元春から井下新兵衛などが遣わされ、扱いを入れて、
そのうえで義昭卿を中国に下向させないようにと、重ねて申し定めたのだ。

そして義昭卿が毛利三家を頼って下向されたとき(天正四年二月)、
備後の鞆の浦に留め置いて、信長と矛楯に及んでしまった。
年来の和睦はたちまち破れ、今ではあちらこちらで合戦に及び、無駄に諸卒を疲弊させている。
信長の代官としてこの秀吉が罷り出で、また輝元の先鋒として元春・隆景が出張りして、
こうして毎度のように戦いを繰り返すのは、二頭の虎が牛を取り合っているようなものだ。
最終的には共倒れになってしまうだろう。

それに、京都と安芸がぶつかっているのをいいことに、関東・四国・九州の諸将がその隙に乗じ、
不当に威を振るっている。
信長と輝元が私的な怨恨を突き詰めて、どうして天下を泰平にできるというのか。
早々に和睦をなして、信長は陸奥・出羽の東夷を退治すればいい。
輝元は大友を追罰して、西戎を鎮めなさればよい。
信長も常日頃から、わしに対してこのことをよくよく言い含めていらっしゃるのだ。
今この秀吉が自分の考えばかりで申しているのではない。
元春・隆景へは、和尚からよろしく伝えてほしい。
元春・隆景が和平のことを了承するのなら、輝元にも別儀はあるまい。
この秀吉がこのように申すのは、信長が以前から望んでいたことなのだから、なおさら異議はあるまい。

もし和睦のことを了承してもらえるなら、北は伯耆半国を境としよう。
南はこの国の兄部川を境とすればよかろう。
南条味方に属して忠勤を貫いているので、本領を宛行いたいと思う。
また兄部川を境にするということだが、わしが清水の城を攻めながら、城主の首を見ずに和睦してしまえば、
信長がどんな風に考えるかわからない。
また人々もわしの勇がつたないとあざ笑うはずだ。
その上の信長が、わしがこうして取り囲んだ城を攻め落とさずに和睦をしたのは、
中国に内応しているからだなどと疑心を起こせば、毛利三家の今後のためにもならないと思う。
清水には切腹してもらいたい。このことを和尚からよくよく伝えてくれ」
安国寺はこれを聞くと、「承りました」と急いで馳せ帰り、元春・隆景へと秀吉の言い分を伝えた。

両将はしばらく考え込んでいたが、元春が口を開いた。
「確実な約束もせずに和平を請うのは謀略だと、孫子にも書かれている。
今敵の様子を見ると、数が味方の三倍にもなろうか。
それに信長が近日出張りしてくるとなれば、敵の勝ち目はいくらでもある。
味方は兵が少なく、城もまた弱りきっていて、士卒は逆心を抱いて心が一つになっていない。
勝敗は戦わなくとも目に見えているではないか。
それなのに何の益もない和睦を申し入れてくるのは不審このうえない。これが一つ。

また清水の城が危機に陥っていて、これを救うためにこそここまで出張りしてきたのだから、
あの者を助けられるのであれば、国を分かち取ることは秀吉の望み通りにしてもいい。
清水に切腹させるとなれば、和睦はゆめゆめかなうまい。
孫子にも、『士卒を見るに、赤子のように思っていれば、深い谷に赴くときも士卒はそれに従い、
士卒を見るに愛児のように思っていれば、死にゆくとも士卒はこれに従う』とある。
どうして清水を見捨てて和平など結ぶことができようか」

隆景も、「私もそのように思います。清水を失ったら何のために和睦するのかわからない。
安国寺よ、このことを秀吉へ返答せよ」と言った。
瓊西堂はすぐに敵陣へと行って、このことを伝えた。

秀吉はこれを聞くと、「元春・隆景は、清水さえ助かれば和睦をしようというのか。
清水を切腹させたら和平はできないと言うのは、義将の鑑といえよう。
しかしこの秀吉も、攻めかかった城を落とさずして和睦を結ぶのは、これからの我が軍略に傷をつける。
また清水が自害したとしても、あながち中国の瑕瑾にはなるまい。
去年因幡の鳥取の城を攻め落としたとはいっても、馬野山で元春と対陣し、
我が陣を払って引き揚げることになったのだから、十分な勝ちにはならない。
先年、播磨の上月で尼子勝久を捨てて引き揚げているのだから、秀吉の面目は失われたも同然だ。
今こそ清水の切腹のことをわしの思い通りにして、上月のときの会稽の恥を雪ぎたいのだ。
わかってほしい。しみずには切腹させて和睦してほしい」
と、腰を低く礼を厚くして再三申し入れたが、
元春・隆景は、清水を捨てて和睦しようとは絶対にしなかった。
交渉は暗礁に乗り上げたかに見えた。


以上、テキトー訳。まだ続くー!

さていよいよだねぇ。
まあ交渉自体はもっと早くから進められてたんだろうとは思うけど、
こういうドキドキハラハラな展開も悪くない。
ここから恵瓊はどうやって両陣を和睦に持っていくのか。楽しみ~♪
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前回はコメの回答頂きありがとうございます。
大変なご負担をお掛けしてしまったようで本当にすいません。
実は私も以前輝元に対して無能で酷薄なイメージしか持っていませんでした。
数年前のwikiでは、五郎太石事件を初めとする粛清や人妻強奪事件、吉川家への冷遇を列挙し、「凡庸とされる人物だが、多くの粛清を行なった」という記述があったので、ずっとそれを真に受けておりました。
しかしといきん様のサイトにお邪魔するようになって、天真爛漫な反面当主としての責任感も強い人物だったのではと思うようになり、このような質問を致しました。
輝元の場合、優秀な親族に恵まれた事、のちに秀元系に代わった事など、本人の能力が相対的に低くなる要因が重なり低評価になっただけではないでしょうか。
人妻強奪事件にしても、元ネタが明治出版の『古老物語』ですし、江戸時代の逸話でよく書かれないのも秀元系が池田家と深い姻戚関係にあるのも原因ではないかとひそかに思います。
当時の家中の事情や輝元の果たしてきた役割が明らかになれば再評価につながると思うのですが。
せめてwikiの「器量と覇気に欠け、優柔不断で、3代目にありがちなお坊ちゃまであったと言われている。」という記述は早く変更してもらいたいものです。

改めて、質問に御回答頂きありがとうございました。
輝元が家中で家臣の調停をキチンとはたしていたというお話が聞けて嬉しいです。
今後もこのサイトを楽しみに見せて頂きます。
頑張ってください。

Re: タイトルなし

まとまりきらない回答で、さぞ読みづらかったことと思います。
力量及ばず申し訳ない。

輝元は、書状を読む限りでは、私もおっとりしたお坊ちゃんな印象を受けましたし、
人妻強奪事件も、当時の書簡に出てきていたいたはずです。
側室の件については、強奪に関しては側近が変に気をまわして突っ走ったのが発端だったようですし、
ほかには側室を置かず、3人の子をなしていますから、
好色で手当たり次第ワガママ放題だったわけではないんでしょうね。

また天正11年ごろの安国寺恵瓊の書状を見ると、輝元が号令をかければ、
元春・隆景でさえも反対しづらい空気が家中にあったことを感じさせますから、
輝元はそれほどまでに大きな当主権力を濫用せず、
あくまで合議制を大事に保っていたと考えることもできるかな、と思いました。
ものは見よう・言いようですねw

ウィキペディアは媒体の特性上、しょうがないんでしょうね。
判明している事実や学説の推移のみ淡々と掲載されていればいいんですが、
どうしても執筆者の主観評価が入ってしまうものなんでしょう。
見るたびイライラする記事は多いですが、誤記に気をつけ、スルースキルを磨きつつ、
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