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2012-05-13

元春「追撃なんてとんでもない」元長「ヒャッハー!」

今日は万徳院跡で説明会があったそうで、
ツイッター仲間で参加してきた人が数名いるので、その報告聞くのが楽しみーーー!
はやる心を抑えつつ陰徳記読むぜ。いつもより早めだぜ。

前回のあらすじ:
松山城周辺で睨み合う中国勢と秀吉、これから信長も中国征伐に乗り出してくるというとき、
突如秀吉から和睦の申し入れがある。
高松城主清水宗治の処遇をめぐって交渉は難航するも、
清水は自分のことで両陣が和睦できないと知ると、元春・隆景には知らせずに腹を切ってしまった。


清水兄弟自害のこと、付けたり秀吉、輝元・元春・隆景と和睦のこと(4)

安国寺は急いで馳せ帰り、この様子を元春・隆景へと伝えた。
両将は、「なんと、清水は当家のために身命をなげうったのか。深い忠功であることよ」と感涙を抑えかね、
その場に並びいた兵たちも皆、鎧の袂を絞るのだった。
「こうして清水が切腹してしまったからには致し方ない、それでは和睦に応じよう」
ということになったので、安国寺は秀吉に伝えに行く。

秀吉は、「ことを急ぎたい。早々に互いに熊野の牛王印を翻して起請文を取り交わそう。
安国寺は往来も大変だろう。まずわしが起請しよう」と、小指から血をたらし、暗黒の目前で血判を押した。
「この秀吉の心の奥底はこの通りだ。このうえで疑心があるというのであれば、どうしようもない。
もしそうでなければ、和尚よ、元春・隆景の起請文を持ってきてくれ」と秀吉に言われると、
安国寺は急ぎ馳せ帰り、秀吉の血判状を両将に見せ、また両将の起請文を受け取って秀吉に渡しに行った。
秀吉はこれを見て、その日のうちに播磨路へと引いていったが、
森勘八・森兵吉を使者に立て、無事和睦が成ったしるしにと、
錫一つ、菓子一鉢を添えて「長陣だったので、蓄え置いていたものは尽き果ててしまった。
これはありあわせの物をお送りしたまで」と言って贈ってきた。

秀吉は、自身は馬廻りだけを連れて、忍ぶようにして先に陣を退却した。
昼過ぎに、中国陣のそばにあった、人足などがいた小屋から火が出てすぐに消火したのだが、
この煙を見るや否や、敵陣は一気に崩れだし、皆我先にと引いていった。
太刀や刀、馬具、幟、幕などに至るまで打ち捨て、身一つになって大急ぎで引いていったので、
近隣の土民たちがこれを拾って、にわかに金持ちになったという。

さて元春・隆景が「秀吉から送られた酒を飲もう」と言うと、
皆が大いに「敵が謀略で猛毒を入れて贈ってきたのでしょう。飲まないでください」と諫めた。
両将は「起請文を取り交わして和睦したのだから、そんなことをするはずがない。
敵の大将が会盟を祝して送ってきた酒を飲まないとは、礼儀知らずにもほどがある」と、
酒を三献飲んだ後、勘八・兵吉にも引き出物を持たせて帰したのだった。

上方衆が一里ほど引いたとき、播磨の阿賀の一向宗の坊主、休巴のもとから、信長が切腹した報告が届いた。
そのほか雑賀孫市や、修学のために中国から東福寺に上っていた僧などのところから、
櫛の歯を引くように同じ注進が届く。
こうなると備前の宇喜多七郎兵衛尉・岡越前守をはじめとして、
「信長は惟任に殺されてしまったために、秀吉は逃げ上ったのです。
まだそれほど遠くには行っていないでしょう。追いかけて討ち果たしなされ。
我らがその先陣を務めましょう。
秀吉を道中で討ち取り、そのまま京都に攻め上り、天下に旗をお挙げなさい。
天は今、毛利家に天下を与えられたのです。
これを受け取らないのはかえって禍になりましょうから、
騙して利用しようというつもりではないのです」と、神文血判を添えて申し入れてきた。

そのほか味方の諸侍も皆、「追い討ちにしてください」と勧めたけれども、
元春・隆景は、「大将である者が一旦和睦すると起請文を交わして堅く約束したというのに、
敵の弱り目に乗じて会盟を破るのは、良将のすることではない。天がそれをどうご覧になることか。
また天下を望もうとすれば、先年木津・難波・大坂まで味方に引き入れたときこそ、
京都へも攻め上ることができた。
そのときは一旦は天下に旗を上げることが上げることができたろうが、
父の元就様が常々こう仰っていたのだ。

『あい構えて天下に望みをかけてはならぬ。
天下の武将となった者は、子孫が続かないものだ。
ただ国を多く切り従えていれば、私が死んでから百年の後も、
元春・隆景さえいれば毛利家が断絶することはあるまい。
たとえ元春・隆景が老いてしまっても、元長・元清がいればその事跡を受け継いで、
子孫が長く繁栄するだろう』

この父が言い残した遺言には背けない。
父の命を守って天下を望まなければ、秀吉であろうともそれほど怨讐を含むはずがない。
惟任にしても親しい間柄ではないのだから、どちらが天下の武将になったとしても、
喜ばしくも悲しくもないだろう」と言った。

元長は、敵がこの時期に和平を申し出てきたことに不審を抱いて、
敵の様子をうかがい見るため、廂山に登っていたが、その間に和睦が成立してしまった。
「急いで帰ってきてください」としきりに使者がやってきたが、
「何が和平だ。いま少し事の成り行きを見守らせてください」と、廂山からまったく下りてこなかった。
そのうちに敵が陣を引き払い、そのうえ信長が討たれたという知らせが届くと、
元長は、「これだから、秀吉が何の利もなく和睦を申し入れてきたのが不審だと思っていたのだ。
なるほどこういうことか。元春・隆景は起請文を交わして堅く和睦したとはいえ、私は違う。
追いかけて討ち取ってやろう」と言い出した。
しかし隆景・元春が引き止めたので、怒りを抑えて思いとどまった。

さて敵軍が三里ほど退却したとき、両将はいわさきの陣を引き払い、直接猿懸の城へと向かって、
輝元様へと「和睦がこの通り整いました」と報告した。
それから連れ立って猿懸の城を出た。そもそも今回秀吉が和睦を急に申し入れてきたのは、
惟任日向守が信長を討ち、そのまま元春・隆景へとこのことを知らせ、
「上下から挟み撃ちにして秀吉を討ち果たそう」と言い送ろうとした飛脚が、
和睦の日の早朝、秀吉の陣に着いたからだった。

秀吉は尾張の土民の子だったのに、
後には日本どころか三韓さえ切り従えるほどの大果報の人であったからなのか、
日向守の飛脚は中国勢の陣には来ずに、秀吉の本陣へと来たのだから不思議なことだ。
秀吉が「なにごとだ」と尋ねると、この出来事を話し出したので、
その後秀吉は「酒を飲ませよう」といって飛脚を呼び出して捕らえると、小屋の中で切って捨てた。
そのまま安国寺を呼び、和睦のことを申し入れたのだという。


以上、テキトー訳。この章はこれでおしまい。

元長wwwまたしてもwwwwwそゆとこ大好き。

さてさて、秀吉追撃を主張するのは元春なんだろうと思って読み進めてたからびっくりだよ。
陰徳記だと元春も「約束破るの、ダメ、ゼッタイ」派なんだな。
その代わり約束してない元長が追撃主張……さすが秀吉に「目がコワイ」って言われるだけあるわ。
私の中でのイメージも元長=目がコワイで固定されそうwww
そういえば初陣のときの章で、元就じいさんにも「眼光鋭い」って褒められてたっけなぁ。
陰徳記の底本になった覚書の著者か、聞き込みした古老あたりが
「元長様の目は恐ろしくてのぅ(褒め言葉)」とか述懐してたんかな。
なんかこのキャラクタライズは徹底してるし、いやにリアリティ感じるわ。
広家=美少年の記述にもリアリティ感じますが何か?

あと秀吉の引き際もなんかドタバタしてて面白いね。
最近は「そんなのなかった」って言われてるらしい「中国大返し」だけど、
もしこの描写が当時見ていた人の証言そのままだとしたら、
秀吉は明智を討つために急いで帰ったんじゃなくて、
明智と毛利に挟み撃ちにされないように、急いで「逃げ」帰った、と見たくなるね。
道々の農家などに粥を炊かせた褒美として金品を与えたんじゃなくて、
逃げ帰った兵が急ぐあまり装備を投げ捨てていったから、それを拾い集めた近隣の住民が裕福になった……
どうしよう、ものすごくしっくりきてしまったwww

今回、安国寺は行ったり来たりでお疲れ様でしたな。
さて次の章は……吉見? 石見の吉見さんちの話らしい。隆元の娘が嫁いだとこ。なぜここで。
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