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2012-05-18

光秀の逆意

前回のあらすじ:
光秀が信長を殺すに至った経緯の章。
細川家の足軽だった光秀が、貧しいながらも妻と協力して暮らしを立てていたとき、
光秀の働きぶりに目をつけた信長に引き抜かれてぐんぐん出世した。
しかしある日、信長が光秀の所領をお気に入りの小姓に与える約束をしているのを聞いてしまう。
いずれ罪をでっち上げられて殺されるかもしれない。
その疑念が光秀を衝き動かした。


光秀、信長を弑すること(2)

光秀がつくづくと考えてみると、
「主君の信長公は、忠のある武士を鼓舞するために大国を与えて出世させてくれたとはいっても、
もともと侍を慈しむことをご存知ではない。
ただ罰だけは法よりも厳しく、ほんの少しの落ち度も一生お忘れにならない。
しまいには皆刑罰に処せられてしまう。

指を折って数えてみても、佐久間右衛門尉信盛・その子甚九郎(信栄)・林土佐守(秀貞)・
伊賀伊賀守、そのほか失脚した者は数知れない。
松永弾正小弼・松永右衛門尉・荒木摂津守、この三人は、
信長が讒臣の虚言を信じて誅罰しようとしているのを察して、とても逃げられないと思い、
事が迫って捕まってからではいくら悔いても意味がないと考えたのだろう。
先を制する者が勝つという人の世の道理に任せ、自分の国で敵の色を立てたが、
運が天にかなわなかったのだろう。
あるいは命を刃によって失い、または流浪の身となって旅泊の霜に苦しむことになった。

中でも松永は、三好家が天下の権勢を司っていたときから、
才能は人より優れ、勇も世に肩を並べる者がなかった。
天下の諸将は皆これに媚を売ったものだ。だから数々の重宝珍器を山のように持っていた。
信長は欲に溺れて武士の道をお忘れになり、
松永が自害に及ぼうとしたときに、森乱丸を遣わして、
『平蜘蛛の釜、九十九髪の肩衝などの茶器、新身藤四郎の脇差、そのほか古今の名物二十あまり、
これをすべて差し出せば一命を助けてやろう』と仰った。

松永は天守から、『信長の仰せには恐れ入りました。
これらの重宝を差し出せば一命を助けようとの仰せ、返す返すもありがたいことです。
諺に言うように、宝は身の差し合わせなので、一つ一つ進上いたしましょう。
さて余人の手には渡せませんので、乱丸殿に直にお渡ししましょう』と言った。
乱丸は喜びを抑えきれずにすぐに天守の下に馳せ出た。
松永が『乱丸殿、しばらくお待ちくだされ。すぐにすべてお持ちします』と言うと、
乱丸はもう役目を終えたような気になって、気を緩めて待っていた。
松永は数々の重宝をすべて粉微塵に打ち砕き、
『これを乱丸殿にお渡しいたす。信長の御前までよろしく』と言って投げ出して、声も高らかに言ったのだ。

『信長はすでに武士の本分を忘れ、欲に狂って、頭が焼けても顔に汚水をかけられても気付かないほどだ。
この松永ほどの者に、茶器を差し出せば命を助けようなどと言うとは浅ましいにもほどがある。
賊は取るに足らない者だが智は君子に過ぎたり、というから、
欲深い邪将であっても、もし智があれば、私と一旦和睦して、
その後騙して捕虜にすれば、これまで蓄えてきた重宝はすべて信長のものになったのに、
欲深いだけで智略がないから、宝を出せば命を助けようなどと言うのだ。
この松永を騙せもせず、おのれの恥辱をさらしただけだ。
これは天に向かって唾を吐くのに等しい。

私は九十七にもなって、どうして命など惜しもうか。
人生は百年に満たないとはいっても、私はもう百歳近い。
これ以上生きたいという望みなどない。
こんな乱世に生き延びるよりは、義兵を挙げて名を後の世まで残し、
清浄な極楽浄土で生まれ変わろうと思う。

剛の者が自害する様をよく見ておけ。
信長はこれから数年のうちに神仏に見放され、人望に背いて身をいたずらに滅ぼし、
後代に名を残すだけとなったとき、おまえたちも死を共にするだろう。
そのときはこの松永のように潔く自害し、せめて勇のほどを人に知ってもらえ』と松永は笑った。
そのまま腹を十文字に切り破って死んだ。

これは私がよく見聞きしたすべてだ。
こうして皆信長の邪政を憎み、反逆を試みたけれども、
まだそのときではなかったのか、本人が身を滅ぼしてしまった。
私もまた乱丸の讒言によって、無駄死にするかもしれない。
時節をうかがって謀反を起こし、一戦のもとに身の興亡を試みよう」と光秀は考えた。

光秀は、大江山の峰々に、京都に上るための近道を一つ整備した。
これはしかるべき時節をうかがって一気に攻め上り、敵の不意を打とうという謀である。
また、谷を伝う道も一筋用意した。
もし京都で戦利を失ったら、敵はもとの道筋へと追いかけてくるだろうから、
そのときは違う道を通って、谷を伝って家城に入ろうと考えてのものだった。
そのほか本道があり合計で三筋あったが、谷の道は人に知られては意味がないと考え、
常日頃は閉鎖して人を通さなかった。

あるとき、惟任日向守が居眠りをしていると、
思わず寝言で「本能寺の堀の深さはどれほどあるか」と言ってしまった。
誰も聞きとがめたりしなかったのだが、森乱丸はこれを人づてに聞いて、
「病人は夢の中で快癒を遂げ、囚人は夢の中で赦免されるものだという。
きっと光秀は陰謀があって、本能寺を乗り破ろうと強く思っているがゆえに、
夢の中でも忘れられず、そのように言ったのだろう」と言ったが、
そばにいた者たちは「乱丸は光秀に何か遺恨があるからそんなことを言うのだろう」と思って、
まったく信用しなかった。

またある夜信長は、鼠が馬の腹を食い破る様子を夢に見た。
眼を覚まして、乱丸に向かって「今夜は不思議な夢を見た。吉兆だろうか、凶兆だろうか」と尋ねると、
乱丸は「これはめでたい瑞夢でしょう」と合わせた。
しかしその後傍の者たちに向かって、
「これは由々しいことだ。信長は午の年(天文三年)生まれだ。
光秀は子の年(享禄元年)生まれだから、信長より六最年長だ。
しかもあやつは内心逆意を抱いているように見える。
信長が惟任のせいで腹を切ることになりそうだ。
あと十日も早くこの夢をご覧になっていれば、惟任を殺してやったのに、
もう西国に下向するため丹波へと下ってしまったからどうにもできない。
わが主君の御世はこれで終わってしまうのかもしれない」と、涙をぽろぽろと流した。

物をわかっていない若者たちは、
「今、この日の本はさておき、唐土・天竺から蒙古が攻めてきたとしても、信長が滅ぶわけがない。
夢などは泡影のようなもので不確かだというのに、その夢を信用して、
主君に関してたいそうなことを言い出し、涙まで流すとは。
乱丸には天狗でも憑いているのか」と、眼を細めて笑った。
はたしてこのことは真実となったので、後になって、
人々は皆、「乱丸は神通力でもあったのだろうか」と感心したのだった。

さて今回光秀が急に謀反を企てたのは、日ごろから憎く思うことが積もり積もっていたのだが、
身の浮沈が一挙にかかっているので慎重に打ち過ごしていたからだった。
去る四月(五月)、家康が上洛したとき、光秀は幸いにも坂本が所領だったので、
そこで饗応するようにと、右府信長公が命じた。
光秀はすぐにそこへ向かい、陸産・水産の嘉肴を求め、金銀珠玉をちりばめて饗膳を用意したのだが、
馬にものを食べさせる器さえも、あるいは漆塗りにして蒔絵などをほどこし、
または木の地にロウショウで木賊(とくさ)などを書き、
そのほかのことでも、ここが勝負とばかりに贅を凝らして接待に当たろうとした。

その言語に絶する有様を伝え聞いた信長はすぐに人を遣わし、
光秀が家康をもてなす準備を見聞させて、詳しく報告させた。
そのとき信長は、「光秀め、憎いことをする。
行く末は家康こそが天下の武将になるだろうと思って、
これほど贅を尽くしたのだろう」と察して、大激怒した。
家康の旅宿の接待は、急に別の者に差し替えられてしまったので、
惟任が入念に準備してきたものが無駄になってしまったばかりか、面目も失ってしまった。
惟任は大いに腹を立て、数万貫の銭を費やして調えたものをすべて打ち砕くと、湖の底に沈めてしまった。

光秀はこのことで、「いよいよ身に危険が迫ってきた。
今度毛利家を滅ぼし終えたら、私を処刑するつもりに違いない。
表向きは西国に発向すると言って、京都に攻め入り、信長を討とう。
もし私の運命が天にかなわなければ、死骸を華洛の土になそう」と、思い定めたという。


以上、テキトー訳。まだ続く。

ありゃ、松永さん、爆死じゃなくて普通に腹切ってるねぇ。
爆死説以外はないと思ってたからなんかちょっと意外。
普通に切腹説もあったのね。爆死の方が面白いけどね!

でも100歳近くにもなって、大事な宝物を差し出すときに「粉々に打ち砕く」とか、
ずいぶんファンキーなじいちゃんだなw
まあな。完全な状態で渡したるなんて一言も言ってないしな。嘘はついてないwww

乱丸に対する評価がイマイチよくわからないな。
奸臣のようだったり、洞察力の優れた若者像だったり……
光秀に対してはずいぶん同情的な態度なのはわかったけど。

まあ次回もボンヤリと続きを読むです。
うーん、それにつけてもこの章のもとネタ知りたい……
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