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2012-05-24

担板漢(たんばんかん)

えー……夜に会議があったり飲んでたりしているので更新が遅れているわけですが。
今回はね。苦手な漢文がいっぱい出てきてね……(;ω;)ウッ
勉強すればいいんだけど、それより先読みたいねん。

さてさて、引き続き吉川家の執事が信長公をdisるよ!
石投げないで! ちょ、魔王様、焼き討ちだけは勘弁したってくだしあ!!!


信長の噂のこと(2)

そうなると、家臣の諫言を一向に聞かないので、邪な行いも少なくなく、
虚言を弄して信長に従順な奸臣ばかりを大事にする。そうした奸臣たちが、
まったく自分に媚びへつらわない者のことを「誰それには逆胃があります、
陰謀を企てています」などと信長に言うと、讒言とは知らないからか、
この実否も糺さずに鵜呑みにして、賢哲の重臣たちを多く処分した。

『六韜』にはこうある。「主君が、世俗の人間が褒める者を賢いと思って重用し、
世俗の人間が非難する者を愚か者だとして用いなければ、
一族や仲間の多い者が昇進し、少ない者は退くしかない。
もしこのようにすれば、衆愚がたちまち本当の賢さを覆い隠してしまって、
忠臣は罪もないのに殺され、奸臣は虚飾の誉れで爵位を得る。
このせいで世の中は甚だしく乱れ、国が滅びるのを免れられない」
これはまさに、今の信長の行いのことであろう。
古代の聖賢の書の片端だけでも見ていれば、暗君・奸臣の実の姿というものを知ることができただろうに、
一文も知らなかったので、残念ながらそうはならなかった。

ある人が信長をこう諫めたそうだ。
「大将が無智無学であれば、昔の聖君・賢臣の絶妙な政道もわからないでしょう。
もっとも、あなた様は聡明でいらっしゃいますから、賞罰は相応に行っていらっしゃいます。
しかし過去の道をご存じなければ、間違って政道に悪を招いてしまうこともございましょう。
愚痴蒙昧な者ですら、孔子・孟子の学を学ぼうとしますから、その道のことにも少しは明るいのです。
信長公が文武の学に精進されれば、虎に角が生えたようなもので、
それこそ世間の諺にも言うように、鬼に金棒となりましょう」と、
言葉を和らげて諫めると、信長は激怒した。

「文学を勧めてくるやつというものは、何かというと、やれ等の書を学べだの、
詩を作れだの、文を書けだのと言う。昔の義経・義貞が論語を読んだと聞いたことがあるか?
私は若年のときに父と死別してからというもの、尾張では国中の敵と戦い、
一度も利を失うことなく、やがて美濃の斉藤を滅ぼし、
その後には近江の佐々木右衛門督・浅井備中守をたいらげた。
そして義昭卿を天下にお据え申して、畿内の三好の一族、越前の朝倉、甲斐の武田、
駿河の今川義元らと戦ったが、そこでも一度として利を失することはなく、ついにはすべて打ち倒してやった。

一度も『論語』を読んだことがないからといって、戦利を得られないわけでもない。
『大学』を読まないからといって、謀略が劣るわけでもない。
こんな乱世には、孔子だの孟子だのは用無しだとまでは言わないが、
楚の項羽も、姓名だけ書ければ事足りると言っているではないか。
聖賢の経伝出家の還俗したように学んでも何にもならん」と言って、
結局諫言を受け入れないまま、一文も知らずにいたものだから、
ひどいことに聖人の道というものは夢にも知らなかった。

ああなんという担板漢(物事の一面だけを見て全体が見えない人のこと)だろう。
昔から、和漢両国の聖君明主が、学を嫌ったことなどあっただろうか。
秦の始皇帝は古代の書を焼き、咸陽で学士たちを生き埋めにしたことで、
「不善」の名を末代まで残すことになったばかりか、
二世の胡亥の代には、趙高によって殺されて、ついに沛公に天下を奪われてしまった。

漢の高祖もまた、はじめは書を学んでいなかったところ、陸生がときどき御前で詩書を説いていた。
高祖はこれを「なぜ軍事に携わるおまえが、それほどまでに書を云々するのか」と罵った。
陸生は「戦で勝利は得られますが、戦では土地の民を治めることはできません。
かつて、湯武は逆に、取ってから順をもってこれを守ったといいます。
文武を併せて用いるのは天下を長久に保つ術なのです」と諫めた。

高祖もその道理に感服して、その後太子に対してこう言った。
「私は乱世に生まれて、秦が学問を禁じたときは、書を読んでも何の得もないと喜んでいた。
この地位について以来、ときどきふと書のことを考えてみると、
その作者の意図を知っている人を使ってみて、それからこう思ったのだ。
昔はよくない行いが多かったと」
高祖ですらこう言っているのだ。
それなのに信長一人だけが、どうして聖賢の書の教えを廃することができるというのか。


以上、テキトー訳。まだ続く。

まだ学がないと言うか!
まあそれはそれとして、今回感動したこと。
「鬼に金棒」って、このころすでにあった言葉なんだねーーー!!!
慣れ親しんだことわざを見ると、途端に親近感が湧くわー(*´∇`*)
つながりっていうのか、そういうものを感じられて嬉しい。

そしてお勉強になったのが、「担板漢」て言葉。
物事の一面しか見えていなくて、全体的な視点を持てない人のこと。フムフム。
まあこういう人は実際身の回りに多いから、「この担板漢め!」って言ってやりたいな。
まず言われるのが自分だってことはよく知ってるさ。
ていうか響きが面白くて好き。タンバンカン。ちょうリズムいい。

さて明日は深夜帰り確定だから更新できないけど、次回も引き続き信長disを読むよー!
なんかこの章、胃が痛いわ。
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「この担板漢め!」
思わぬ所で古語が学べるのは嬉しい事ですねw
信長の教養を感じさせる話は確かにあまり聞かないけど(私が知らないだけか)この時代に四書五経に精通した武将ってそんなにいたのでしょうか。
愛の人や幽斎や元就みたいに和歌や書に親しんだ人はまだまだ少数だったのではないかと。
そこまで非難される事なのかな。
最近の私の中の信長像は常識的な人物になりつつあったので陰徳記での描かれ方は意外でした。
一時は毛利を追い詰めていたためでしょうか。

前回は質問への回答ありがとうございましたm(__)m
思っていた内容とは違ったけど、元長の責任感の強い一面を垣間見れて嬉しかったです。
わざわざ調べさせてしまったみたいで申し訳なく思います
そういえば最近初めて元長の肖像画を見ました。
本当にあんな格好してたんでしょうか。
ますます想像力が掻き立てられます。

前コメの「担板漢」は決してといきん様へ向けた言葉ではありませんので。
失礼しました。
続きの翻訳に、お仕事にと大変そうですが、頑張ってください。
HEROEAH!HEROEAH!

Re: タイトルなし

わぁい! HEROYEAH! HEROYEAH! 乗っていただきありがとうございます!
信長への評については、私も釈然としないものがありますが、
戦後教育というか、仏教・儒教・道教あたりを平時にみっちり叩き込まれた人だからこその評なのかな、と。
あとは、おそらく本能寺の変の章と同じく、情報源が天野源右衛門だからじゃないかと思います。
源右衛門的には、信長を「天罰が下って当然の人物」としておかないことには、
明智方にいた自分の誇りが傷つきますからね。

そうそう、元長の「若衆は俺の思い通り」発言の手紙は、時期的には、天正9年の3月のもののようです。
後詰の兵力を整えたいけれど、なかなかうまくいかない時期ですね。
「どの陣も人数が少なく、備えも十分じゃない」って嘆いているのに、
「若衆は俺の思い通りになるから大喜びだ」なんて、ポジティブというかブラックジョークというか。
元長は、実に不思議な魅力に溢れた人だと思います。
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