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2012-05-29

信長を殺す者は信長なり

正矩のご高説が長々と続いてますよ。飽きた!

信長の噂のこと(4)

それなのに信長は、儒道をひどく嫌っていたので、
それなら仏教を尊ぶかと思えば、仏敵・法敵となってしまった。
神道に傾倒するかといえば、敵国とあらば何の罪もなく神祠を破壊した。
実にデーバダッタの悪逆よりもひどく、桀村の驕りよりもひどい。

将が聖賢の道を学ぶのは、治世撫民のためのみならず、智計謀略の基本だとはいっても、
高覧博学なだけで、書を講釈し詩を口ずさむ才能さえあればいいというわけではない。
古代の王の堯・虞の舜・夏の禹・殷の湯・周の文といった聖代の政治は、
かくあるべしというものを体現していた。
これに十分の一でも近づこうと思うなら、たとえ一旦は政道に曲がりがあったとしても、
さまざまなものを学んで以前の非を悔い改めていけば、その後は大きな間違いは起こさないものだ。
「蘭に近づく者は芳しい」というものなのだから、
聖賢の行いを書で読み、教えに従って耳に入れるようにすれば、
やがてその賢者より賢くなれるはずではないか。

賢者より賢くなれば、行う政治にも邪なものはないはずだ。
政治に曲がりがなければ、自国の士卒は皆その徳に懐き、恩にこたえて死をいとわなくなるだろう。
自国の士卒がこうなったなら、他国の武士もその徳を慕って集まってくるはずだ。
遠国が帰服すれば、勢も多くなり兵たちはますます勇むだろう。
そうすれば、百回戦っても利を失うことはなく、毎回戦のたびに勝てる。
天下の将にこの志があれば、天下が乱れることなどないのだ。
一国の将がこの通りにしていれば、他国を何ヶ国も切り従えることができる。

また、夏の桀や殷の紂のような無道、秦の始皇帝のような奢侈、
漢の武帝が仙術に熱中して治国を放棄してしまった有様、
梁の武帝が仏道だけにのめりこんで最終的には国を滅ぼしたこと、
髄の煬帝が石を三品に封じて鶴を軒に乗せた例、
唐の玄宗が色を好んで楊貴妃に溺れたために、禄山によって蜀に追いやられたことなども知ることができる。
そうすれば自分の行いや政治もこうした前例に似ていると、自然と内省するようになって、
おのずと政治には邪がなく、行いには間違いがなくなっていくものだ。

堯・舜から夏・殷・周のときは、一番上に立つ者が聖だったがゆえに、
民もまた心が真っ直ぐで、自分のものでなければ、立った一本の毛であっても、
人のものを取ったりはしなかった。
今は将が暗愚で邪なので、民もまた私欲ばかりが先立って、他人のものを侵し奪おうとするのである。

つまり頂点の一人の心というものは、千人、万人の心であるので、
信長が仁義礼智信の五常を知らず、主君を蔑むようなことをしたばかりか、
弓を引いて遠流左遷の身とさせ、家臣たちの忠を賞することもなく、
そのうえ罪のない者まで刑に処してきたのだから、
また家臣も忠を尽くすことはなく、かえって恨みを抱いくようになった。
そのせいで信長は惟任に易々と殺されてしまったのだ。
もし信長が、漢の高祖が雍歯を什方侯に封じて諸侯に列した例に倣っていれば、
居並ぶ臣は皆忠誠を尽くし、逆心を抱くことなどまったくなかっただろう。

信長は、光秀を恨むべきではなく、ただ身から出た錆なのだと、まず自分の非を悔いなければならない。
年来の暴虐がたちまち光秀の胸裏に入って、反逆を企ませたのだ。
信長を殺した者は信長であって、光秀ではない。
信長が仁徳を施していれば、どうして光秀が逆心を抱くことなどあっただろうか。

もし信長が大公・張良の道を学んで、孫呉の書を知っていれば、
先に自分の身が滅びないように策を運んでいただろう。
中国へ差し下した諸将の中から二名ほど京都に留め置き、身辺を安全にした上で敵を滅ぼそうとしていれば、
光秀が何を思おうとも、信長を討つことはできなかったはずだ。
それなのに、自分の武威に驕って、今さら誰が自分を討てるのかなどと侮り、
わずかな近習の侍しか京都に残し置かず、とりわけその夜は少年少女を集めて夜通し酒宴をしていたのだから、
光秀の兵が大庭に入ったことにも気付かなかった。

信長は敵を滅ぼすことばかりに執心するより、
まず自分の臣下が恨みを抱かないように、愛をもうけ徳を施すべきだった。
臣下が恨みを抱くかもしれないとは一顧だにせず、怒るべきときに怒らず、
すべて気分に任せて振舞っていたからこうして滅びてしまったのだ。
義昭卿も信長の忠節をたちまち忘れてしまって、追罰しようとしたために、
かえって自分自身が流浪することになった。
信長はまた臣として主君を悩ませたために、光秀によって滅ぼされてしまった。
光秀もまた信長の厚恩を忘れて反逆を起こしたために、秀吉に討たれてしまった。
因果は、歴然とした道理として、こうして眼前に現れている。

秀吉はこうした前例の戒めを考えに入れていたなら、
多くの人々を納得させる徳政を敷いていただろうに、
この人もまた無智無学であって、仁義などは夢にも知らなかった。
前にも言ったように、将には学がなければならないとはいっても、
書を講釈して世を渡っている儒者などと同等であれと言っているのではない。
仁義礼智信の五つをさえきちんとわかっていればよく、虚しく文字の並びを詠じていても何の益もない。


以上、テキトー訳。あとちょっと!

なんでも自業自得で済まそうとするんじゃねえよバーヤバーヤ!
あとちょっとがんばるー!
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