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2012-06-06

天正9年10月25日寅の刻

なんかいろいろと実生活でトラブル起こってて集中できてないけど、
とりあえず山縣長茂覚書の続き。
今回がラストでっす!


山縣長茂覚書(下)

一、(式部少輔殿は)その後行水をなされ、介錯の両腰とお好みの青黄の袷をお着けになり、
  広間へとおいでになった。
  上座に具足唐櫃を置き、皆へお暇乞いの盃を出されたとき、
  式部少輔殿の家中の小坂永左衛門が進み出て、
  「このようなことは前代未聞でございます。筑前殿の検使をこちらへお呼びください、野田殿」
  と言ったが、野田は「私もお二人を呼んだのですが、強くご辞退されまして」と答えた。
  静間(源兵衛)が奏者を務め、それぞれの内衆まで盃を配った。
  福光小三郎は白い越後帷子を着て、数珠を手にかけ、静間の脇に控えていた。
  収めの盃を静間にお与えになるとき、(式部少輔殿は)空笑いを二つ三つなさった。
  それから、具足櫃に腰をおかけになり、脇差を中巻きになさって、
  とても大きな声で「内々にも稽古をしたことがないから、不調法かもしれないな」と仰って、
  十月二十五日寅の刻、生年三十五で切腹を遂げられた。静間が介錯をした。

一、福光は式部少輔殿の前に一畳ほど離れたところにいたが、切腹を見届けると、
  脇差を胸に押し当て、掛け声をかけて乗りかかった。若鶴(甚右衛門)も同様に切腹した。
  この二人の介錯は竹崎市允が行った。

一、森下・中村は、二十四日の晩、それぞれの番所で切腹をしていた。
  式部少輔殿は筑前守殿からの「残りの兵たちを無事に送り届ける」という神文を待たれ、
  それを拝見なさって、こちらからもお暇乞いの書状を用意したので、二十五日に切腹した。

一、(式部少輔殿の)御験(首)は、濯ぎ清めてから首桶に収め、
  お暇乞いの書状を添えて、野田左衛門尉が筑前守殿のご陣所へと持参した。
  秀吉は感涙に咽んだと、野田が言っていた。

一、二十五日の朝、一柳の陣所の尾崎の矢倉へと筑前守殿がお寄りになって、
  下城する者たちを見物なさった。
  袋川の橋の左右に検使を百人ほど置かれ、
  芸州からの加番の衆と森下・中村の子供はそのまま通れたが、
  残った国方の衆はそこで差し止められた。

一、芸州の加番衆は神文の通り、杉原七郎左衛門が先導して、因州の大崎の麓まで送り届けられた。

一、これは籠城より前のことであるが、森下・中村の犯した重罪への怒りが深いと
  筑前守殿が仰せにになっていたことは知らなかったので、ありのままに書いておいた。

一、その後の話を聞いてみると、式部少輔殿の首には侍が二名つけられ、
  京都へと届けられて、江州の安土山で、信長公が諸大名を呼び寄せたうえで、
  名誉の侍の首実験を見物されたという。
  その後は寺に送られ、供養を仰せ付けられたと聞いている。

一、今田孫十郎殿が鳥取に送られたとき、小姓としては三木彦四郎・村井?十郎などをお連れになっていた。
  先方には井下新兵衛・武永四郎兵衛がいたので、孫十郎殿も一緒にと言い渡された。
  そこに今田中務少輔(経高)殿から、誰でもいいからあと二人ほど添えて下国されるようにと
  仰せ付けられているとうかがったので、私を途上の供としてお付けになられた。
  孫十郎殿は鳥取の国方衆へと、一通り準備が整ったら罷り下ろうと仰せになり、
  先方では式部少輔殿が、(孫十郎に)ぜひとも逗留していただきたいと、八橋へ通達していたという。

  京勢の先陣が因幡・但馬の境まで来ているとの風聞があったので、
  かねてから言い聞かされていたように、(鳥取へと)罷り下ることになったので、
  私も断りようがなく、それからは式部少輔殿の御前に絶えず置かれていた。
  そうしたわけで、籠城の調停の内容を詳しく知っている。
  そのころは、私は本当に若輩だったので、
  今では老いてしまって覚えていないことも多くあるけれども、、
  仰せに従って覚書をお目にかける。

    寛永二十一年十一月十一日    山縣源右衛門尉入道長茂
      吉川主馬佑殿


以上、テキトー訳。おしまい。

なんか最後でだいぶ読めないとこが多くて悔しい。
長茂さんは、今田孫十郎が鳥取に入るタイミングでついていったって理解であってるのかな?
……ホントは毛利の家臣団・国衆の構成を体系的に理解してた方がいいんだろうけど、
まあそれについては追い追い……_(:3」∠)_

鳥取のゴネ家もとい、経家はまじカッコイイよな。むかつく。

次は陰徳記に戻ろうかと思うけど、吉川勢出てこないと禁断症状ががが。
もしかしたら続きではなくて、別の章に飛んでしまうかもしれん。
最近いい子ちゃんで、なるべく順番通りに読んでたけど、
そろそろ腹の虫が「好き勝手したい」と言い出した。
なので次回予定は未定! です!!!
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先日はお返事ありがとうございました

こんにちは。先日はメールでのお返事ありがとうございました。
お手数をおかけしてしまってすみません!

私は活字化された史料でも、白文だと手も足も出ないくらいの酷い知識レベルだったので(返り点打てないレベル…)、勉強しないとどうにもならなさそうで基礎のお勉強から…という感じです。
勢いで読めるだけの知識を尊敬しますし、羨ましくも思います。
私も頑張って、早いとこせめて大意くらいはつかめるようになりたいです!
史料眺めているとなんとなく幸せになるだけで意味はわからないとか、相当もどかしい日々です…

近々ツイッターのフォローもさせて頂こうかなと思っております。

お返事どうもありがとうございました!

Re: 先日はお返事ありがとうございました

コメントありがとうございます!
私もネットなどで調べながらうんうん唸って向き合ってるので、知識は無に等しいんですよw
こういう形(ブログ)にでもしないと投げ出していたでしょうね。
ツイッターではブログにもましてアホなことばかりを呟いていますが、
それでもよろしければぜひフォローしたってください!
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