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2012-06-11

紹巴のワルヂエ

やっぱり前の章が短いから、晩中にもう一本アップしとくか。

物語は、信長が光秀に討たれ、光秀は秀吉に追い落とされて土民の手で討ち取られたところまで進行中。
たぶん柴田勝家も追い落として、秀吉が天下を握ったころだと思っていいのかな。
今回は光秀の謀反に絡んで、光秀に同心した者たちが裁かれる過程での、
連歌師紹巴法師のお話。


紹巴法師のこと、ならびに秀吉連歌のこと

さて、秀吉は怨敵の惟任の残党や味方した者たちをすべて探し出して刑に処してしまったので、
皆山林江湖に隠居してしまった。
紹巴法師は、去る(天正十年)五月に、惟任日向守が愛宕山に上り、
信長公を殺して天下を手に入れようと考えたときに、
「時は今 天か下知五月哉」という発句をしている。
これは光秀の発句ではあるが、実は紹巴法師の作意である。
この句は、信長を討って光秀が天下の権勢を握るだろう、との意味がこめられている。
ということは、紹巴法師は光秀の逆意に味方したことになる。
秀吉が急いで刑に処そう言い出すと、流罪に処すことに決定した。

この法師も事前に、「この発句のせいで私が刑罰にかけられるのは間違いないだろう」と思った。
法師が急ぎ愛宕山に上って「その懐紙を拝見したい」と言うと、西の坊がすぐに取り出して見せた。
紹巴は近くの物陰に隠れると、その発句の「天か下知」というところの「知」の字を小刀で削り、
またその上に元通り「知」という字を書いて、なんでもないふりをして、西の坊へと返して帰っていった。

案の定、秀吉は紹巴を呼んで、
「いかにも御坊は光秀に与し、愛宕山へ上り、『天か下知』という発句をしたと聞いている。
この句には光秀が天下を司るだろうとの意味が含まれている。
日向守に言わされたのか、信長を呪詛しているように思えるぞ。
であれば、光秀の謀反に同心した輩だ。急いで刑にかけなければ。
もし申し開きがあるならば急ぎ申し述べよ」と言った。

紹巴法師はかしこまって、
「仰せには大変驚きました。私に何の恨みがあって、信長公を呪詛などしましょう。
何の得があって光秀に同心などいたしましょう。
去る五月二十八日、光秀が愛宕山で連歌を興行すると申されましたので、
このような謀反の企みがあるなどとは露ほども知らず、何の用心もなく罷り上ったのです。
私に代わりに発句をするように申されましたので、『時は今天か下なる五月哉』と詠んだのです。
『知』などと詠んだ覚えはありません。
これはきっと、おかしな輩が讒言を構え、この紹巴を亡き者にしようとしたのでしょう」と言った。

秀吉は「確かに申す通りかも知れんな。ではその懐紙を証拠にしよう」と、
愛宕山へと急ぎ人を走らせ、懐紙を取り寄せて目を通すと、紛れも無く「天か下知」と書いてある。
秀吉は「紹巴よ、どういうことだ。もう申し開きはできんぞ。
これを見てみろ、『天か下知』とある。
こんな証拠があると知りながら、ほんの少しでも難を逃れようとして、
愛宕へ人を走らせろ、懐紙を見よなどと言うとは、光秀に与しただけでなく、
今またわしをも誑かしたのだ。許すことはできぬ」と言った。
最初は流罪にしようとしていたが、今度は自分を誑かしたのがますます憎く感じられて、
「首を刎ねよ」と激怒していた。

そのとき紹巴は少しも騒がず、袖を掻き合わせ、
「この紹巴、いったいどうして、これほどまでに人に憎まれたのでしょうか。
私が『天か下なる』と書いたものを、罠にはめようとしてか、
『なる』という字を削って『知』と書き付けてあります。これをよくご覧ください」と言う。
その場にいた者たちが、皆頭を寄せてこれを見てみると、確かに削った跡の上に『知』と書いてあった。
座中の人々は皆、「じつに紹巴が申すように、怪しい者が手を加えたのでしょう。
紹巴が申す通りです」と言う。
秀吉もこれを聞いて、「実にこれは道理だ。
今に始まったことではないが、世の人は口さがないものだ。
目を信じて耳を疑えというのも、確かにそうだというものだ。
わしは讒言を信じて紹巴を処刑してしまうところだった」と言った。

紹巴の才能が普通の人と同じであったならば、「知」という字を削って「なる」と書いただろうに、
そこでまた「知」と書いておき、こうして弁解しおおせて刑を免れられたとは、
紹巴の才もなかなか深いものである。

その後、秀吉は紹巴を呼び、「おまえは歌道においてわからないことは一つもないのだろう」と言った。
紹巴は「いまだすべての儒書をすら究めていないのに、
どうして歌道でわからないことがないなどということがありましょう」と答えた。
すると秀吉は激怒して、「わしは、歌学は易しく儒学は難しいと聞いている。
それなのに、自分が生業にしている道だからといって、
浅いものを深いと言い、深いものを浅いと言い立てるとは、はなはだ奇怪なことだ。
わしは布衣を着ていた身分から、剣を握って世を治めるまでになった。
だから一文不知の者だと侮ってそのように言うのだろう」と、
そばにいた細川兵部太輔藤孝に向かって、「どう思う」と尋ねた。

藤孝はこう答えた。
「そうですね、紹巴が申すように、儒書を学び究めなければ、歌道の奥旨には至ることができません。
すべての儒書や経論などが歌道には引かれていますので、
儒書を広く知っていなければ、歌道の片端にさえも至り得ないのです。
それに我が国は神の国です。大和歌は神のお言葉です。
神の御心にかなうには、和歌以上のものはありません。
神国に生を受けたというのに、神慮にかなわなければ、どうして武運長久でいられるでしょう。
目に見えぬ鬼神をも従え、猛々しい武士の心をも和らげるのは、和歌の徳です。
武器を用いずに太平を保つには、和歌の力ほど役に立つものはありません。
戦の勝敗は、上下の和にあります。

呉子はこう言っています。
『不和には四つある。国を和らげければ、軍を出すことができない。
軍を和らげなければ、陣を出すことができない。陣を和らげなければ、戦に進むことはできない。
戦で和らげなければ、勝ちを決することができない。
これによって、道を知っている主は、将にその地の民を用いる。まず和らげて大事をなす』とあります。
ですから、『和』の一字が勝利を制し、国を収める枢要になります。

和歌の「和」は和らげるという意味です。
先ほど申したように、鬼神さえもが和歌の徳に懐くのです。人間など言わずもがなでしょう。
仏神の加護を受け、君臣合体の和をなし、勝敗の利を確保し、国家の泰平を保ち、
万民を撫育する道には、和歌の道ほど適したものはございません。
ですから、天下泰平の功を生業となさっいるあなた様が和歌の道に携わらないままであれば、
天照大神の神慮にも背き、万民撫育の御心さえも疎かになって、下民が徳に懐くこともないでしょう。
上は神慮にかなわず、下は人望に背かれては、武運永久、国家安全の功を立てなさるのは難しいはずです」

これを聞いて秀吉は、「そうか、敷島(和歌)の道に歩を進めなければ、
天下草創の功は難しいのだな」と言って、
紹巴法師を師として、歌の道を学ぶことにしたので、紹巴はすぐに至宝抄を選んで進上した。

こうして連歌興行が開かれたが、ある句に「白鷺や氷の隙に求食らん」とあったので、
秀吉が「下なる鰌(どじょう)天井張夕見まいな」と付けると、
満座の者たちは「あっ」と言ってしきりに感心し、その声はしばらく鳴り止まなかった。

その後また秀吉が「集まりつつもカマキリ鳴なり」という句を出すと、
紹巴は「カマキリは鳴きません。少し手直しされてはいかがですか」と言った。
秀吉は、「虫なのに鳴かないものなどあるか。
蛍も口があるのだから、なく鳴く言われても、納得はできない」と言って、機嫌を損ねてしまった。
細川藤孝は、「蛍こそよく鳴くものでしょう。
古い歌に、『武蔵野はしのつくばかり 降る雨に蛍ならでは鳴く虫はなし』と詠まれています」と言った。
秀吉は「わしもそうしたことをもって『鳴く』としたのだ。
さしもの紹巴も、この秀吉の学には劣っているな」と、したり顔になった。

また、「名はいちじるしき武士の道」という句に、秀吉が「明智・柴田を退治して」と付けると、
これもまた皆で称美した。
この人は、勇智こそ古今無双の名将だとはいっても、
もともとは尾張の中村の土民の子で、「猿」と呼ばれていた人だったので、
何事においても愚かで下品なことが多かった。

こうして秀吉はしばらく和歌をひねってばかりいたが、つくづくと考えて、
「歌や連歌は紙に墨で記して末代までも残るものだ。
下品なことばかり言っていては、後々の名折れになる。
乱舞の遊興の会をしよう。能は一座一興で、その形を留め置くこともない」と、
それからは寝てもさめても乱舞にのめりこんだ。
そのころ越前の幸若太夫に「三木」「本能寺」などという舞を作らせて舞わせ、
四座の猿楽には「明智退治」「吉野詣」などという謡を作らせて謡わせた。
これらはすべて秀吉自身のことだという。


以上、テキトー訳。

ちょ、紹巴さん、これヤバい話なんじゃないすか???
……こういう話って、誰がいつどこで誰から聞いた話なのかものすごく気になるよね。
秀吉が存命のうちに、こんな話が出たらものすごく問題だろうし。
香川春継とかも紹巴に弟子入りしてたようだから、師弟間でぶっちゃけられた話なのかねぇ。
弟子もこんなことぶっちゃけられても困ると思うんだけど、
このころのノリなら、やんややんやの大喝采なのかな? よくわからん。

まあ実際あったことかどうかもわからないし、深く考えない。
もしかしたらどこかに似たような元ネタがあって、それベースで正矩が創作してるのかもしれん。
新庄局醜女説のように。
なんとなく、紹巴は知恵も回って弁も立つ、なかなか肝の太い人だな、というのは伝わってきたw

あと幽斎様かっこいいな!
逸話スレの話もあんまりじっくりとは読んでないけど、秀吉に阿ってるイメージが強かった。
しっかり言うべきことは言ってるよね、この話では。
和歌と儒学のところで、紹巴が先に秀吉の機嫌損ねてるのに、秀吉に合わせることはせずに、
紹巴の論を補強して秀吉を納得させるとか。
蛍のところでは、秀吉の機嫌を取るためにというよりは、ちゃんと論拠出してるし、
学問に対する芯みたいなのが感じられる気がする。かっこいい。

さてお次は、秀吉との対陣でゴタついた毛利領内のお話。
とりあえず隠岐で何かあったらしい。
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