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2012-06-21

戦人の連歌

さてさて、毛利と織田の対立によって起こった国境周辺のゴタゴタも読んだし、
なんとなくシメみたいな感じで、今回は連歌興行の話のようだ。
連歌って……イメージ湧かない_ノ乙(.ン、)_


出雲の国杵築三万句のこと

さて、去る天正十年、羽柴筑前守秀吉が備中の国の高松の城を取り囲んだので、
元春・隆景は中国八ヶ国の軍士を率いて後詰に向かったが、
秀吉が猛勢なうえ信長まで近々出張してくるとの噂もあり、敵勢の数は日に日に増えていった。
毛利三家の浮沈はこのときに極まったと、上士も下士も固唾を呑み手に汗を握っていたが、
そのとき出雲杵築大明神にさまざまな奇跡が起こって、
巫に神がかりがあり「信長が滅亡し、秀吉が敗軍する」との予言が託された。
それがみごとに的中したので、すぐにその神社に捧幣して、種々の珍宝を数多く寄進した。
ことさら前年の高松の対陣のとき、立願が多くあったなかで、
その神祠で連歌興行をしてほしいとの願いが第一だったので、
今年天正十一年閏正月十六日から、早速連歌を行うことになった。
その第一の千句の発句、脇、第三まで、記録に残っているものを記す。

  賦花の何連歌(第一)

 梅が香は万の言の葉種かな   輝元
 木々を洩さす雨かすむ山    義広(千家)
 雪は今朝響に残滝落て     久孝


  賦山何(第一)

 見ぬ方も手に取梅の匂かな   元春
 簾を捲ば春の朝風       慶澄
 鶯の外面を近み啼出て     光親


  賦何人(第三)

 朧月も匂はしるし園の梅    丑歳
 空も長閑に明る鳥の音     就次
 年や唯寝ぬる夜の間に越ぬ覧  元伝


  賦何船(第四)

 華々にわくとも梅の匂かな   元孝
 菫交りの露の下草       長信
 朝日さす野辺は長閑に雨晴て  広佐


  賦初何(第五)

 梅が香を舎さす草の露もなし  広堯
 胡蝶ぬる野の着きの夕景    宗清
 求食する方に雉子の集りて   広経


  三字中略(第六)

 梅が香を四方に掩える嵐かな  正允
 柳に重き雪の垣中       祐吉
 冴帰る砌のかたへ鳥の寝て   連珎


  賦何衣(第七)

 梅は猶道ある御世の色香かな  元長
 誘引出つつ若菜摘む袖     秋孝
 朝な朝な沢辺の凍隙見えて   広徳


  賦何路(第八)

 梅は且色しる山の南かな    隆景
 深谷の氷江には流れて     孝清
 河上の里よりまたき返す田に  常清


  賦手何(第九)

 春の日の染出す色や雪の梅   久孝
 緑たち添庭の松が枝      元信
 池水は霞の下に明初て     貞吉


  賦何鳥(第十)

 天地の開けし春や梅の花    義広
 幾久かたのあら玉の年     春俊
 朧げの影より秋の月待て    安栖


  追加賦玉何

 色も香も八重垣深し梅花    文養
 霞になびく風の白木綿     秋具
 朝朗空に残れる雪散て     為吉


以上、テキトー訳(訳してないけど)。

高松は落とされてしまったけど、毛利としては、負けてはいなかった……ってことなのかな。
ナニワトモアレ、歌の部分はほぼそのまんま載せてるっていう。
連歌のシステムがイマイチわからんちん。
輝元・元春・隆景・元長って名前が並んでるだけで嬉しいからまあいっか。
しいて言えば元春・元長の句が好きだ(安定の吉川贔屓)。

そんでもってこの次の章は「経言・秀包、大坂へ上りたまうこと」でござんす。
経言(広家)と小早川元総(秀包)が大阪へと人質に行ったときのお話。
ずいぶん前に読んだとこだなぁ。

とりあえず陰徳記、次回からは九州立花陣読むよ!
って言いたいところだけど、立花陣のきっかけになった話から読んでいくよー!
今まで読んでたところより十年以上も前の話になるんだねぇ。
……拾い読みばっかりで、どーもすみませんwww
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私も連歌の形式はイマイチわかりませんが、同じ梅をテーマにしているのにこれだけ雰囲気が違う歌ができるものなのですね。
どれも風情があって(・∀・)イイ
この歌の雰囲気を誰か絵にしてくれないかな・・・
簾を上げて庭の梅に見惚れる元春とか、山河を眺めながら遠方を思いうかべる隆景とか(´Д`*)ハアハア
個人的には絵になる風景を引き立たせるのは美女ではなく渋ーい壮年男性だとおもうのですが(それも紺か黒の狩衣で!)、描いてくれる人あんまりいないんですよね。

度々質問にご回答くださり、ありがとうございました。
自分も広家が本家から叩かれたというのはずっと納得いかなかったのですが、後世の人の思い込みって恐ろしい・・・。
やっぱり後の家格問題が原因なんでしょうか。

Re: タイトルなし

ちえのわ様

私も狩衣好きですー! が、明るい色の方が個人的には好みですねー(*´∇`*)
夏のスケスケ束帯もオツなものでウヘヘヘヘ(壊れ気味)

吉川冷遇に関しては、どうしてそういう説になったのかよくわかりませんが、
「陰徳太平記」でも関ヶ原関連までの話がないので、家格云々で騒いでいたときも、
特に関ヶ原での動きについては非難されるものではなかったのだと思います。
明治以降にそういう扱いになったのではと疑っていますが、現在はそこまで調べられませんw
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