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2011-09-20

この有様の定まれる身に

前回のあらすじ:
陶入道はいよいよ自害の決意を固め、
付き従ってきた家臣たちも、共に黄泉路を歩むことを選択する。


陶尾張入道全薑最後のこと(下)

入道は石の上に苔を払って座り、乙若の首に掛けた袋から胡餅(パンのようなもの)を取り出して、
自分も食べ、皆にも食べさせた。
「さて、皆は腰に何もつけておらぬか。水呑などは持っておらぬか。水で最後の杯を取り交わそうではないか」
と言っても、酒や水呑を持った者はいなかった。
そのとき伊香賀民部は柏の落ち葉を拾って二、三枚重ね合わせ、針代わりに松の葉で綴じて形を作って杯にした。
谷川の水を汲んできて「酒」と名付け、にっこりと笑って、
「皆さん聞いてください。後漢の逍丙が、旧友に出会うたびに水を汲み
『これは酒だ』と言えば人は酔うことができたといいます。
これはその逆で、一杯飲めば浮世の悪い酔いを醒ます功徳の水だと思ってくだされ。
昔は谷水の流れを汲んでは鼓祖の菊の水(酒)を思い重ねて長寿を願ったものですが、
今のこの水は曹源一滴の水(禅の根本)ともなって、
その手に掬って即心即仏ならしめてほしいと思いますが、悲しいことです」
と涙に暮れて立っていた。
しかしすぐ顔を上げ、さあ、最後の宴をしようということになった。

さしつさされつ、強いつ強いられつ飲んでいると、
山崎勘解由がここで一節謡おうといって、美しい声で謡いはじめた。
「五衰滅色の秋なれや、落つる木の葉の盃、飲む酒は谷水の流るるもまた涙河、
水上は我なるものを、物思う時しもは今こそ限りなれ」
と謡えば、入道は
「勘解由は観世宗摂の弟子であって舞の名手であると世に名高い。
これほどの迫真の舞は、能舞台を思い起こさせる。
時節に合ったことを謡うとは、舞が優れているだけでなく、
胸裏に『勇』という一文字が翻っているからであろうな」と大いに感じ入った。

そして入道は盃を伊香賀民部にまわし、「民部、呑み納めだ」と言った。
民部は「承りました」と頂戴し、水をタプタプと受けて、一杯を飲み干した。
入道は「さあ、最後の宴に一指し舞おう」と言って、
扇がないので腰の刀を抜いてかざし、声を高らかに上げて謡った。
「雑兵の手にかからんよりはと思い定めて腹一文字に掻き切りて、そのままに、
修羅道にをちこちの、土となりぬる青海苔山の、無跡問いて答(た)いたまえ、無跡問いて答いたまえ」
と謡って舞い納めると、皆
「いやいや、ただいまの舞はいつもより格別に趣深い。
魯陽が矛を用いて沈んでいく太陽を招き返した故事に比類する舞でありますな。
沛公(劉邦)を殺そうとした項荘の剣舞もかくやと存じます。
また、項羽勢が皆垓下で死んでしまったとき、漢王の軍に囲まれた項羽が
『我が力は山を抜き、気は世を覆った。しかし今は時に利はなく威勢は廃れた』と歌ったのも、
今の御謡と同じですなあ。
内容の「青野ヶ原」を「青海苔山」と言い換えられたのも、このような折にしてはよく思いつかれたものです。
観世宗摂が新しい館の完成祝いで杜若を謡ったときも、
『信濃なる浅間の獄に立ち煙る』を『立ち曇る』と謡ったのも奇特な才能だと皆こぞって感心いたしましたが、
ただいまの一字千金の御作意とは、天地雲泥の差でございます」と感じ入り、褒め称えた。

そのとき、全薑は刀を抜いたついでに自害しようと、石の上に座し、
辞世の歌を一首詠んだが、聞いた者は忘れてしまった。
さて、入道はすぐに「若楓」という脇差を左の脇にグサリと突き立て、
右側へサッと引いて、「エイヤッ」と声をかけ、
脇差を持ち直して心臓の下にぐっと押し立て、下へズンと押し下した。
カッと垂れ出た腸を手で掴み出そうとしたところに、
伊香賀民部少輔が太刀を振り上げたと思うや、入道の首は前に転がり落ちた。

民部はそのまま太刀を放り投げ、全薑の死骸にすがり付いた。
「ああ、殿がオムツをされていたころから乳人(めのと)に参り、
一日も、片時も離れずにお仕えして参りました。
次第に成長されていくのを見ては、自分が歳をとるのも忘れて、世にも嬉しく思ったものです。
昔のことも昨日今日のように覚えておりますとも。
近年、年齢を重ねられてからは、西国無双の強将と称えられ、人々に恐れられていたのに、
こんな小さな敵に負かされたのは、ただ前世の業とは言いながら、
どんなにか口惜しくございましたでしょう。
私こそ先に旅立つべきなのに、こうしてあなた様を手にかけなければならぬとは、なんとも恨めしい」
と、民部は声をあげて泣き崩れた。皆、さもありなんと同情した。

そのとき、垣並・山崎が「どうした民部、心弱く見えるぞ」と制すると、
民部は立ち上がり、入道の着ていた小袖に首を包んで、重なっている岩の下に隠し置いた。
ともにいた者たちは石を重ね木の葉を上にかけた。

垣並と山崎の両人は、阿僧祇劫(成仏するまでの時間)まで朋友の契りを破るまいぞと、
互いに手に手を取って来世にも及ぶ盟友の誓いを固め、
さて刺し違えようと太刀を心臓に突き立て、互いに貫き合って死んだ。
他に供奉していた四人の者たちも、皆刺し違えて死んでいった。
民部はこれを見て、「なんとも勇猛な死に様よ。入道殿がお強いから、
家子郎党もまたつわもの揃いだ」と感心した。

民部は乙若に向かって、「おまえはまだ幼いので、敵も殺すことはあるまい。山口へも無事に帰りつけるだろう。
人はきっと、民部はなぜ入道殿と一所に自害しなかったのかと不審に思うだろうが、私にも考えがある。
私が皆と同じ所で死ねば、民部がここで自害しているということは、
入道もきっと同じ所で死んでいるだろうと敵が当たりをつけ、全薑の首を見つけ出してしまうだろう。
そうなれば、入道の死が疑いなくなってしまう。
入道は高名で、人々に恐れられているお方だ。
入道が亡くなったことは、一日でも長く人々に知らせないほうがよい。
これはまた大内家のためでもある。
死せる諸葛生ける仲達を走らすとも言う。
くれぐれも、もし敵に捕らえられて尋問されることがあっても、このことを漏らすなよ。
防州に無事帰り着いたならば、我が方の信用の置ける人に、
民部がこのように言っていたと、よろしく申し伝えよ」と、細々と言いつけて、
自分は浜辺へ二、三町ばかり走り出た。
そこで立ったまま腹を掻き破り、自分で首を押し切って、倒れて死んだ。

民部の行動は勇猛さもあり、儀もあり、忠もあり、また謀もありと、感嘆しないものはなかった。
その後、陶入道の首は、元就様父子が四人で実検して、
廿日市の黄龍山洞雲寺に納められ、石塔などを建立して手厚く供養された。


以上、テキトー訳。

うわあぁぁぁぁぁぁあああああ!民部ぅぅぅぅぅうううううう!!!
アンタなんて人だ!
まさか軍記物ほぼ原文で読んでて涙が出るとは思わなかったよ!
自分の子同然に育てた自慢の大将の介錯って、ツラすぎるだろーが!
こんな状況だからこそ少しでも傍近くで死にたかっただろうに、
わざわざ離れたところで割腹とか、もうね。
ああ、この人は陶さんが大事で大事で仕方なかったんだなぁと思った。
だから最初の方で、思う存分戦いましょうと言ってたのか。
陶さん本人の武将としての矜持を保たせてやりたかったんだな。
大将の責任よりも陶さんの気持ちが大事だったんだな。
泣かせてくれるよ・・・・・・
もう「莞爾と笑ひて」ってのがトラウマになりそうな気がする。
こんなときににっこり笑うなよ。

そして乙若・・・てめえは許さねえ。
なんで口止めされてるのに自分から進んでゲロるのか。
まったく「云ふ甲斐無き物哉」だ。
結果的にはちゃんと供養されてよかったのかもしれないが、
民部の最期までのいじましさを見てしまうとなぁ。たまらんよなぁ。
あと辞世の句は忘れないでください。大事なトコだろ。
ウィキペからだが「何を惜しみ何を恨まんもとよりもこの有様の定まれる身に」

まあ陶さんは立派だった。ちゃんと十文字に腹掻っ捌いた。
35歳なんだよね。まだ若いよ・・・
垣並・山崎コンビも仲のよろしいことで大変うるわしいです。

次は案外放置が短かった弘中さんちの話だ。
鬱回終了となるか?
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