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2012-06-29

城主の様子に気付いた人々は……

これまでのあらすじ:
立花城主の立花何某は最愛の妻を病で亡くし出家遁世したが、ある日出先で見初めた女を強奪した。
この女は塩売り弥太郎の妻で、どうにか連絡を取り合えた夫とその伯父の助力により、
立花を酔いつぶしてから殺して、敵対勢力の宗像の領地へと逃げおおせた。

最初に言っておくけどオチがひどい。


塩売弥太郎、立花を殺すこと(6)

さて、立花の城では上士・下人ともによく呑んで酔いつぶれていたので、
こんなことがあったとは夢にも知らなかった。
その夜も明け、日の出が過ぎ、正午が過ぎても立花が閨から出てこないので、近習の者たちは、
「殿は酔いが過ぎたのか、まだ起きていらっしゃらない。ご機嫌はいかがだろう。
誰か起こしてこい」などと言い合っていたが、
侍女たちも「奥様もまだ出ていらっしゃらない。
私たちも、お二人で寝ていらっしゃるところに参るわけにはいかないわ」などと言って、
年端も行かない子供を遣わして二人を起こそうということになった。

十一、二歳ほどの禿童(かむろ)を行かせ、「ご機嫌はいかがでございますか」などと問いかけさせたが、
禿童が帰ってくると、「殿はどんなに起こしても、起きてくださらないのです。
ただ、御首はどこへおいでなのか、お留守でした」と報告した。
侍女たちは「なんてことを言うのでしょう、忌々しい。御首がお留守とはどういうことです」と問う。
禿童は「いや、御首はあたりに見当たりませんでした」と言うので、
「どういうことだろう」と驚き騒いで見に行くと、夜具や衾まで皆真っ赤に染まり、
枕がそれに浮かんでいるような情景は、目も当てられぬ有様だった。

「これは何としたこと。御台所は?」と探しても、どこにも見つからない。
「何ということ。彦山に住んでいるという豊前房という天狗が、
御台所を掴んで天に連れ去ってしまったのかしら。
大江山の奥にいる酒呑童子などという鬼も女を攫うというから、そうした化け物の仕業かもしれない。
きっと殿の首は鬼に食われてしまったのだわ」などと、侍女たちは口々に言って嘆き騒いだ。

家之子郎党たちもこれを聞きつけて、
「これはおそらく宗像・高橋たちが夜討ちに忍び込んだに違いない。
それならば、すべての門は守り固めているのだから、まだ城中に隠れているはずだ。
討ち取れ、探せ」などと言う者もあり、
また何の思慮もなく立花の寝所に立ち入って、命の火が消えてしまった死骸にすがりつき、
声を限りに泣き叫ぶ者もいた。城中は上を下への大騒ぎになった。
誰かが「この機に乗じて敵に城を取られぬようにせねば」と言い出すと、我先にと城中に立て籠もる。
しかし思い思いに駆け込んでいったために、甲の丸には弓・鉄砲の足軽たちや郎党が立て籠もってしまった。

そこで一族たちが、「甲の丸には一族が籠もるものだ。雑兵たちがいるものではない。
早く二の丸、三の丸の城戸へと行け。入れ替わろう」と言うと、
雑兵たちは、「この城には大将がいらっしゃいません。早く入った者が本丸を守ります。
甲の丸に入りたければ早く駆け込んでくるべきだったのに、そうせずに、
入れ替われなどとおっしゃっても遅すぎます。
これまでの、元旦・節句の儀礼のときのような座敷での上下関係のようなものは、
ここにはありません」と憎々しい調子で返してきた。
家之子郎党たちは、「これは傍若無人な返答だ。そやつらの首を刎ねてしまえ」と怒り出し、
城中は敵味方に分かれて同士討ちに発展しそうな気配だった。

こうしたところに、宗像が三千騎を率いて押し寄せてくると報告が入ったので、城中は一旦はまとまった。
しかし大将がいないので下知もできないうえ、
ましてや今は内部で分裂して喧嘩騒ぎが起きるようなときである。
まともな抵抗もできず、皆自分の思うように勝手に逃げていった。儚いものである。

宗像はすぐに兵を置いて立花の城を守らせた。
大友はこれを聞いて、大勢の兵を送ってまた城を奪い取り、
その後立花弥十郎・臼杵新次允・田北刑部少輔・同民部大輔・鶴原掃部助、
そのほか主力の兵を八百余騎、雑兵を三千七百余り差し籠めた。

ある説には、豊前の長野が庄屋の女房を盗んで夫に討たれたとも、
また秋月が臼井の門名という者の女を盗んで討たれたとも伝わっている。
どの説が本当なのかわからないが、世を挙げて言い伝えられている説にのっとれば、立花のことだろう。

円悟和尚は『碧巌録』の第一則の、武帝が達磨大師との問答を評して、
「志公は天監十三年(514年)に亡くなり、達磨は普通元年(520年)にやってきた。
その間七年も隔てているというのに、どうしてこの二人が同時に会うことなどできるのか。
これは間違いだろう、と言う人もいるが、しかしそのように載せている書物もあるのだから、
今論ずる問題ではない。大事なのは、この物語の本質である」と言っている。

また陳舜愈は「廬山記」で、「慧遠法師は陶元亮(陶淵明)と陸修静を送っていく道すがら、
ついつい話し込んで、隠棲するつもりだったので二度と渡るまいと心に決めていた虎渓を
うっかり渡ってしまった。三人はそこで大いに笑った。
この『虎渓三笑』は絵の題材として好まれている。
宋景濂は三笑の事跡を調べて、陶・陸・遠法師の三人は、生きていた時代が重ならないので、
三笑の話は事実ではないと指摘した。
しかし、気の合う友と話して夢中になってしまうのはよくあることだ。
だから人々はこの話を信じる」と言っている。

だから、先に取り上げた立花・長野・秋月に関しては、あえて姓名を究明せず、
ただ好色さが身を滅ぼし城を奪われることを世の人に示すにとどめる。
以後の人が前車の轍を踏まなければよい。


以上、テキトー訳。おしまい!

Σ(゚Д゚) 立花のことじゃないかもしれないの!? なにそのオチ!
ひどい、正矩ひどい!!! このオチじゃ毛利大友大戦争のきっかけにならないじゃん!
「これを教訓に好色を慎むんだよ」とかドヤッてる場合じゃないよ正矩www

そして何かおかしい。うん、侍女たちは夫婦の寝室に行くなんてとんでもないんだよな。
これにもちょっと驚いたけど、あられもない姿かもしれないからだろうか?
そこでどうして子供を行かす? ちょっと現代感覚だと意味わかんない。
そんでもって11歳か12歳くらいっつったら、第二次性徴が始まるころなんじゃないのかなぁ。
あんたらそんな子に……殺生やでぇ。
そして10歳過ぎると子供でもだいぶしっかりしてくるし、死も理解できるはずだから、
「御首がお留守」なんてすっとぼけたこと言わない気がするんだよ。激しく違和感。
でも血に染まった寝室と立花の死が判明した後の描写がいやに生々しいので面白かったw
死骸にすがって泣いてくれる人がいたんだね。よかったね。

まあ立花城のゴタゴタで毛利と大友の戦争に発展するんだね(強引)。
次章から戦争に突入だぜ! 待ってました!!!
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ちょっw
香川先生、真偽不明なの?
ちなみに塩売弥太郎でくぐったら、別バージョンが出てきました。
http://members3.jcom.home.ne.jp/wajirojk/pdf/data1.pdf#search
この話は地元の伝承のアレンジかなと思うのですが、陰徳記の方が九州Girlぽい奥さんですね(大胆だって意味で)。
次からいよいよ毛利軍の北九州侵攻ですか。
多々良浜の戦いでは隆景がまたカッコ悪く書かれてるのかしら(´・ω・`)

Re: タイトルなし

ちえのわ様

おおー! 情報ありがとうございます!
こちらの話では女房は自害してしまうのですか……切ない。
中心人物さえも違う話が何バージョンかあるようですね。
秀吉の蛍の歌の話もいろんなバージョンがあって驚いてます。
九州侵攻、どうなるんですかねぇ。とりあえず景さまではなくまず宍戸がsageられてましたけれどもw
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