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2012-07-02

兄弟の譲り合い ※ただし首

前段は九州立花陣に臨むメンバー紹介(および宍戸氏sage)だったわけで、
ようやく物語が九州の場面になるよー! 楽しみ(*´∇`*)

最初は立花ではなく三ツ嶽を攻めるようだね。


豊前の国三ツ嶽没落のこと(下)

やがて中国勢が豊前の港に着くと、ここで吉川・小早川両将が会議をして、
まずは長野の端城の三ツ嶽を攻め落とし、軍神に奉げようと決まった。
永禄十一年11月5日卯の上刻(午前六時ごろ)から敵の城を取り囲み、まず大三ツ嶽に攻め上った。
城中は寄せ手が大勢なので意気をそがれ防ぎかねているようなところに、
]吉川衆が一番に乗り込んで二十余人討ち取ると、
敵はこらえきれずにそこから逃げ出して小三ツ嶽に逃げ込んでいく。
寄せ手は、息を継がせるまいと、すぐさま小三ツ嶽に攻め上った。

この城には長野三郎左衛門の叔父、長野兵部大輔という力自慢の剛の者が、
総勢一千余騎で立て籠もっていたので、敵が大勢であろうと少しも臆せず、
矢間を開けて散々に弓・鉄砲を放ってきた。
寄せ手がその勢いに押されて少し進みかねていると、
小早川・吉川の両方の兵たちが先を争って詰め掛けたけれども、射立てられて躊躇していた。
吉川衆の井上新右衛門(斯直)・内藤十郎兵衛尉の二人が、
「このような難しい場面は、いつも元春の手勢が破ってきた。そこへ、一番に乗り破ってやるぞ。
皆、しっかり見ておいて後の証人に立てよ」と大音声を上げて真っ先に進み、一番に城に乗り込もうとする。

正面の塀から弓・鉄砲を多数揃えて射掛けてきて、
とりわけ横矢を射やすいように設計された城だったので、内藤・井上は無残に射伏せられてしまった。
なおも続いて進んだ吉川勢が同じ場所で数十人枕を並べて射殺されたので、
今田中務・吉川式部・香川兵部・山県四郎左衛門・二宮杢助・森脇内蔵太夫(春尚)・森脇一郎右衛門は、
無二にかかっていって塀を引き破り、一気に城へと雪崩れ込んでいった。
そのなかでも今田中務が一番に敵兵を組み伏せて首を掻き切った。その日の一番首がこれである。
森脇内蔵太夫も続いて敵を組み伏せ、首を掻き切って高らかに差し上げた。
式部少輔・兵部太輔・四郎右衛門もほぼ同時に首を打った。
二宮杢助は敵と渡り合い切り合いになったが、親指をしたたかに切られながら、それでも首級を上げた。

小早川勢も、吉川衆に先を越されたと大いに怒り、
射られても突かれても少しもひるまずに、城中へとドッと入っていく。
そのほか吉田の旗本勢、福原・桂・志道なども遅れてなるものかと乗り込んでいき、三ツ嶽は程なく陥落した。
渡辺左衛門太夫などをはじめとして、分捕高名も数知れなかった。

長野兵部大輔はこれが最後だと思ったのか、五十人ほどを左右につけて切って回っていたが、
あるいは討たれまたは逃げ出して、やがて一人きりになってしまった。
死に物狂いになって突いて回っていると、三間柄の鑓も二、三本が折れてしまい、
仕方なく三尺余りの大太刀を抜いて、一方を切り破って退却しようとする。
ここに、石見の国の住人、佐波常陸守(介)が「いい敵だ」と見て、「引き返せ」と呼びかけた。
長野は取って返して渡り合い、散々に切り結ぶ。
長野の太刀は三尺以上に見えたが、馬の尾を縒り合わせて巻いた長柄の先を握り
太刀の間合いをさらに広く取ると、畳み掛けるようにして打ってくる。
佐波は二尺三寸の太刀だったので、危機一髪に見えたけれども、佐波は少しもひるまずに、命を限りと戦った。

そこへ、佐波の郎党の深井杢允という者が、主を討たれるまいと、長野の後ろに回って抱きついた。
長野は強く動きを封じられてもうかなわないと思ったのか、自分の太刀を持ち直すと自分の腹に突き立て、
背後の深井も一緒に貫いて、二人して倒れた。
佐波常陸守はすぐに首を掻き切って高く差し上げ、
「この城の大将、長野兵部は佐波隆秀が討ち取ったぞ」と叫んだ。

ここに吉川衆の荒実重という者が駆けつけたが、長野はすでに佐波に討ち取られてしまったので、
仕方なく長野の鎧太刀を取ってみると、両の腰の物はともに金鍔でそのほかも金作りであった。
もともと困窮に喘いでいた者なので、「なまじ首を取るよりも、この方が何倍もいい。
今日は軍神のご加護には預かれなかったが、対極のお助けを得ることができた」と、
急に福の神が憑いたような気分になって、小躍りしながら帰っていった。
森脇一郎右衛門尉も長野の一族を一人討ち取った。
小早川衆も貫だ右馬允・河井大炊助などが分捕りした。

ここで、年のころは四十ほど、身長は六尺以上もありそうな大男で、
目つきは流星のように鋭く鬚が左右にカッと分かれて生い茂り、首が短く肩が隆々とした、
雪舟和尚が精根尽くして描いた達磨か、もしくは多聞天の木造かと見えるような男が一人、
首を一つ提げて、元春・隆景の首実験の場へと、なんでもないようなそぶりで通りかかった。
桂上総介元忠が両将のそばにいたが、「今の者は敵だと思います」と言うと、
その男はこれを聞いて、とても逃げられないと思ったのか、三尺余りの太刀を抜くが早いか、
「参るぞ」と切ってかかってくる。

元春が床几から立ち上がり、その男の眉間を二つに切り破る。
まだ倒れていないところに隆景が走りかかり、高股をズンと切って落とすと、
さも恐ろしげだった大男もうつ伏せにガバッと倒れこんだ。
ここに桂上総介・安国寺恵瓊長老二人も走り寄って一太刀ずつ浴びせた。
二人の者たちは「それにしても手早い対処です」と、振り返りざまに褒め称えた。
元春・隆景は逆に桂・安国寺を感賞した。

その後隆景が「先に太刀をつけたのですから、元春が首を打ってください」と言うと、
元春は床几に尻を打ち掛けて笑い、「若いのだから隆景が打ってくれ」と答える。
隆景は「どうしてそのようなことができましょう。さあ、早く首を打ってください」とこれを辞した。
桂・安国寺は「どちらでもいいですから早く打ってください」と言ったけれども、
二人とも譲り合って打とうとしないので、桂と安国寺が首を打った。

散会した後で「この男はどういう素性の者だろう」と人に尋ねてみたが、
生け捕りにした者はなかったので知る者がいなかった。
「長野の従弟に力自慢で九州に名を轟かせた大男の勇士がいるという。これがそうなのかもしれない」と、
はるか後に宗像・高橋たちが言ったとか。よって、この姓名を知ることはできなかった。
これをはじめとして、首級の数は五百七十余りだったという。
宍戸・福原・桂、そのほか吉見正頼の手の者たちなども、分捕り高名した者は数知れず、
味方は戦の幸先がいいと喜んで勝鬨を上げ、そのままここで暮れていく年を越した。


以上、テキトー訳。おしまい。

吉川衆力押しだな……まぁ結果として乗り破れたんだからいいのか、多少の(?)犠牲は。
それにしても長野を討ち取った佐波さんは、喜んでいるばかりじゃなくて、
手柄を立てた郎党の心配とかしないんだろうか。たぶんこれ死んでるよな。
まったくスルーで分捕りの話になっちゃうし。
当時は当たり前とはいっても、読んでてあんまり気持ちのいいものじゃないね、分捕り。

さて注目のシーンは式部・兵部でもなくて元春・隆景だったね。あと桂と安国寺。
かなり脚色されてるんだろうけど、とっさに切りかかられて逆に切り伏せる元春・隆景カッコイイ!
安国寺はお坊さんなのに……って思ったけど、僧が長刀持ってるのがデフォルトの時代ですものね。
元春と隆景は仲良く首譲り合いやがって。
ちこちこかよ! 隆元お兄ちゃんもなつなつしたそうにこちらを見ているぞ!

さて次章はようやく立花城の話になるのかな。
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