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2012-07-07

以心伝心☆吉川衆

だいたいの流れ:
立花城での小競り合いをきっかけに九州出征に臨んだ毛利軍。
大友に寝返った長野の三ツ嶽を落とし、いよいよ立花城を取り囲んだ。
そこへ、大友宗麟から援軍として12万の大軍が送られてくる。
急襲してきた豊後勢を一旦は撃退したものの、敵は陣を固めて中国勢と対陣した。

今回は、その後詰の勢との本格的な合戦。長いので分割。


五月十八日の合戦のこと(1)

戸次入道道雪は、田原入道重忍・柳川左近将監・同近家・臼杵・吉広・佐伯・志賀・清田・武田、
そのほか主力の侍大将を呼び集めて言った。
「昨晩、立花の城から忍びの者が一人やってきて、城中の様子を詳しく聞かせてくれた。
すでに水の手にも詰め寄られていて、二、三日中には攻め落とされてしまいそうだとのことだ。
そのほかもあちこちに仕寄で間近に寄られ、そのうえ井楼を高く組み上げて城中を真下に見下ろし、
鉄砲を撃ちかけられているので、難儀しているという。
九州の兵をすべてかき集めて後詰しておきながら、その甲斐なくこの城を落とされてしまえば、
大友家の武名の傷になる。
それも皆、我らの勇が劣っていたからだと、諸人は指を差して嘲笑するだろう。
これではあまりに口惜しい。いざもう一度敵陣に切りかかって、勝負を決する合戦をしようではないか」
こう言われて皆も、「道雪の仰せはもっともでございます」と同意した。

道雪は、「先日は十分に策も練らず、ただ味方が猛勢だからといって、
小勢の敵を侮ったがゆえに仕損じてしまった。
今度はたとえ抜群の働きをした者であっても、軍法に背いた場合には、
呉起が二つの首を取ってきた男の首を刎ねた例に倣って、必ず首を刎ねる。
合図の太鼓を聞いて懸かり、鐘を聞いたら退却するように」と、前もって法令を出しておいた。
そして、先を争えば備えが乱れて敵を倒せない原因になるだろうと考えて、
先陣は、すべて大友家の氏神の田原八幡を陣中に勧請して神前でくじ引きを行った。
それから二回三回とくじを引き、一組ずつ、全体の合印のほかに順番の印をつけた。
吉日良辰を選び、来る十八日の辰の刻(午前八時ごろ)に一戦すると定めていた。

同十六日、高橋右近鑑種が立花の陣に駆けつけた。
これまでは自分の城(宝満)にいて、敵陣へと何度も夜討ちなどをして、
多くの首を取っては立花に送っていたが、城に人数を十分置いて守らせつつ、
自身はこの陣に赴いてきたのだった。
この鑑種は九州では並び立つ者がいないほどの勇将だったが、
いつも酒を飲んで一日中盃を手から離すことがなく、
何百杯を飲んでもなお満足のいかないような酒豪でもあった。
きわめて意地が悪く、ちょっとしたことで人を罵倒するのが常だったので、
まさに風顚漢(ふうてんかん、馬鹿野郎という意味)で幼稚で
郎党漢(ものをわきまえない人?)とも言われるべき行跡である。

さて同十八日、豊後勢は皆卯の刻から陣中を出た。
次々に詰めかけて段々に備え、足軽を先に立てて太鼓を打って進軍する。
敵陣から少し離れたところに備え、鉄砲の一つも撃ち出さない。
芸陽勢も自分たちの持ち口を固めて、敵が懸かってくるのを待って開戦しようと備えていた。
そこに道雪の本陣から合図のほら貝が三回吹き鳴らされた。
豊後勢は総軍でドッと攻めかかってくる。なかでも三方向に激しく切りかかってきた。
一つは備後の国の住人高野山入道久意・同国住人楢崎弾正忠の陣、一つは安芸の国の住人宍戸隆家の陣、
もう一つは同国住人熊谷伊豆守信直の陣だった。
皆、自分の陣を固めて打ち出し、ここを突破されるまいと、身命をなげうって防戦した。

吉川・小早川両将は旗本の勢を数百ずつに分け、どこか危ない陣があれば協力しようと、
浮武者(見方を援護するための隊)として置かれていた。
はじめに楢崎の陣が、敵が激しく詰め寄って危なく見えたので、
元春様が伊志源次郎・井上平右衛門に鉄砲を六十挺を差し添えて加勢に行かせた。

吉川式部少輔・香川兵部大輔は元春の御前に伺候していたが、二人はキッと目配せして、
なんでもないようなふりをして御前を退出すると、
すぐに菅笠をかぶって本陣の脇をそっと通り過ぎ、楢崎の陣へと駆け出した。
これを見て、山県四郎右衛門・江田宮内少輔・香川雅楽助・山県宗右衛門・境与三右衛門・その弟又平・
荒木又左衛門などが続けて駆けてきた。

こうしたところに小川右衛門尉という者がいて、これは元就様の鉄砲大将だったのだが、
抜け駆けの者たちがこの陣の前を通るときに、小川陣中から声がかかった。
「今私の陣の前を通るのは何者だ。
錆び鑓五本や十本程度であの大軍に立ち向かおうなど、卵で山を押すようなものだ。
そこをどきなされ。小川の鉄砲で撃ち払いますぞ」

これを聞いて香川の郎党の猿渡壱岐という者が引き返してきて、
「我らは吉川元春の手勢で、これこれこう申す者でございます。
寡兵をもって大勢を挫くのは、吉川の手勢の癖なのです。
その証拠は、大内・尼子両家との戦で、あなたも毎度ご覧になっているはず。
この錆び鑓で華々しく一戦して、敵を突き崩してまいりますので、
そんな陣中に張り付いているより、我らの後についてきて、よそで見物してはいかがか」と叫んだ。

そして伊志・井上は味方の到着を待つと鉄砲をしきりに撃ちかけた。
井上平右衛門が真っ先に進んできている敵の足軽を指して
「式部殿、兵部殿、あれをご覧ください。仕留めてご覧に入れますぞ」と言って、
鉄砲を提げて駆け出して撃ちかけたところ、あやまたず足軽一人を撃ち抜いた。
井上は、「ではあの首を取ってきます」と、二重の空堀を越え、その首を打ち取って帰ってきた。
敵が走り出て井上を突けば、難なく井上を討てたのだろうが、
備えを破られるまいとしたのか、鑓衾を作った先頭からわずか十二、三間ほどのところだったけれども、
井上には目もくれなかった。その日の一番首はこれだった。

その後、吉川式部少輔・香川兵部大輔・同雅楽助・江田宮内少輔・山県四郎右衛門・
伊志源次郎などが陣中から突いて出ると、敵は鑓衾を作って待ちかけていたので、
思う壺とばかりに渡り合い、黒煙を立てて戦いはじめた。
香川の郎党の猿渡壱岐守・沖源右衛門・塚脇彦右衛門は、
主を討たれまいと真っ先に進んで鑓を入れて防戦した。
同じく手の者の香川与七郎は、十九本の矢で敵を二十人射殺したので、
合戦が終わってから、元春様が非常に感心して、御前へと呼び出して太刀一振を与えた。

敵が鑓十本ほどで香川兵部を取り囲むと、沖源右衛門がとっさに鑓を投げ捨てて走りかかり、
鑓を持った敵六、七人に横から抱きつくようにして組みかかった。
敵はそれを受け止めて多数の鑓で突いたが、沖は主を討たせてなるものかと、
その鑓にしがみついて死んでいった。
この隙に、兵部も式部も敵を突き伏せ、勇み進んで戦ったけれども、
敵は大勢なのでそれを押し返して進んでくる。

兵部の先に進んだ塚脇が敵を突き伏せているところに、横からツッと走り寄ってきた者があり、
塚脇の太腿をズンと切り落とした。
塚脇は鑓を遠くへガラリと投げ捨て、切られた片足を岸に寄りかからせて、
向かってくる敵を打ち払いながら、しばらくの間戦っていた。
山県宗右衛門はこれを見て、抜いた太刀を鞘に収め、塚脇が捨てた鑓を拾って散々に突き合い、
仕掛けつ返されつしばらく戦うと、敵がひるんだところを見切って、
手を翻すかのように塀の中へと退却してしばらく息を整えていた。

香川兵部大輔が塀の中から外の方を見ると、
敵二人が塚脇の首を打とうと太刀を抜きかざしてかかってくるのを塚脇が打ち払うのを目にした。
「誰かいるか。あれを助けてこい」と言うと、
郎党の材間四郎三郎が「かしこまりました」と言って塀の中からツッと走り出た。
敵を一人切り伏せると、もう一人の敵はこれを見て逃げていく。
塚脇は材間に向かって、「私はもうこれまでだ。敵に首を取られるのは口惜しい。
あなたの手に懸けてほしい」と首を差し伸べた。
材間はこれを打って、敵の首と一緒に提げて陣の中に帰っていった。


以上、テキトー訳。続く。

そいそいそぉい! イイじゃないスか正矩、いや正矩せんせー。
やっぱ合戦描写ですよ。こう、血沸き肉躍るっていう。
ってわけで楽しいな、この章! 仏教薀蓄とかに紙幅割くより、
合戦描写とか人間ドラマ増やせばいいのに。
てかなんで高橋は関係ない文脈で大酒のみとかdisられてんの?

経家・春継コンビが陣幕抜け出すとこもイイね。目配せしてそ知らぬ体で抜け出すとか。
血気盛んだな。このころ20代半ばか。
元就の旗本に引き止められても意に介さず、ゴーイングマイウェイな吉川衆。
しびれるわぁ(*´∇`*) 「見物してろ」って捨て台詞がまたイイね!

井上平右衛門はスゴイねー。「あれ撃ちますから」って言って本当に当てちゃうんだもんな。
現代ならソレ、失敗フラグだよ、チミ。
あと春継の郎党、かっこいいな。主人を守る最大の防御は攻撃。
きっと香川家で語り継がれてたんだね、惜しくも命を落とした人たちの名前も。
塚脇なんてすごすぎる。片足切り落とされてもまだ防戦。
敵に首打たれるのはいやだからって、仲間の手でとどめを刺してほしいとか、泣かせる。
きちんと塚脇の首を打って持ち帰ってあげる材間も漢だ。

さてさて、次回も引き続き合戦だぜひゃっほい♪ヾ(。・ω・。)ノ゙
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