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2011-09-21

弘中最後の大暴れ

本日、台風15号通過につき電車が止まったり遅れたりと大混乱。
交通情報見るのが面倒になったので歩いて帰ってきた。雨もやんでたし。
風はあったけど、まあ一時間くらいワケない。
震災で交通網麻痺してたときは何度も歩いたもんな。
この台風が東北に大被害をもたらさないように祈っています。

さて陰徳記。乱闘には定評のある弘中三河守はどうなったか。


弘中父子最後のこと

弘中三河守隆包、息子の中務少輔は、数百人の兵を率いて竜の馬場の難所に立てこもっていた。
柵の木をしっかりと張り巡らされていて、切って出る方法がないので、
弘中に味方すると思われた難所は、逆に敵の地の利を助ける難所となっていた。
十月三日の朝、弘中父子が味方の顔ぶれを見れば、夜のうちにあるいは討たれ、
またはたぶらかされて生け捕られていたので、今は主従三人しかいなかった。

郎党たちが捨てていった弓矢を拾い、寄せ手に散々撃ち掛けて、三日までは討たれずにいたものの、
嫡子の中務は、いざ最後の戦に臨もうと、郎党を一人脇に立て、薙刀を打ち振るって突撃していった。
寄せ手も夜のうちに柵の中に入って待ち受けていたが、
中務が来ると見るや、我先に討ち取ろうと駆け寄ってきた。
中務は高名な薙刀の名手である。水車のように回って斬りつけた。
しかし場所は一騎打ちができる程度の細道、切り立った岩を伝って
身をひそめてやっと通れるような場所なので、端を通るようなことはできない。
寄せ手は大勢であっても、一対一の勝負しかできず、後ろにいた者は諦めてよそを守っていた。
中務が獅子の洞を出て、「虎の一足」という薙刀の秘義を用いて奮戦する。
たった一人に切り立てられて、寄せ手には死傷者ばかり出たが、中務はかすり傷一つ負わなかった。

吉川衆で小坂越中守という者がだいぶうしろに控えていたが、
先に進む道がないので、岩肌を伝って足場を得ると、遠巻きに矢を射かけた。
それは中務の左肩に当たり、したたかに突き立った。
さしもの中務も痛手を受けてフラフラと足をもつれさせ、倒れようとしたとき、
父の三河守がキッと見て、「その程度のかすり傷で何を弱気になっているのか。情けない姿だ」と
目をむいて怒声を上げた。中務はにっこりと笑って、
「もう、これまででございます。お先に参っておりますね。しばしのお別れです」と言って、
直下三千尺ばかりの竜の馬場の洞口に飛び込もうとした。

ここで、熊谷伊豆守の手の者で末田新右衛門という者が思い切って、走りかかって組み付いた。
中務は敵とともに洞口へ身を投げようとするも、末田は組み付いたまま倒れこんで味方の陣の方へと落ち、
上になったり下になったりして取っ組み合った。
中務は名に聞こえた大力の持ち主だったが、
今日まで三日間何も食べていないばかりか水も飲んでいないうえ、
数度に及ぶ戦いに力尽き、ましてや深手を負っている。
ついには末田に取り押さえられて、討たれてしまった。

これを見て三河守は「待っておれよ、中務、すぐに追いつくからな」と鎧の上帯を切り捨て、
腹を切ろうとしたところを、阿曽沼豊後守広秀の郎党、井上源右衛門が飛びかかって一太刀に斬りつける。
隆包(三河守)は抜いていた刀で応戦したが、最初に一太刀浴びていたので、
ついにその場所で討たれてしまった。
郎党も主君に追随しようと斬りかかってくるのを、吉川衆の井尻又右衛門が討ち取った。

こうして所々で討ち取った首を皆が持ち寄ると、その数は四千七百八十五もあった。
そのほか、捕虜も数知れず。
芸陽勢はわずか三千五百人なので、分捕りができなかった者は一人としていなかった。
あとは、名のある武士は殺されたが、中間(ちゅうげん)や下郎たちは命を助けられた。
一番最初の一戦に負けて船に飛び乗り、そのまま逃げた者たちをはじめ、
総勢三万のうちの半数あまりが逃げ延びた。
あるいは夜にまぎれていかだを組み、棹をさして対岸へ逃れついた者もあり、
または大野辺りへ泳いで渡って助かる者もあった。
山の中で木の実を拾って食いつなぎ、五、六十日経ってから
海人の小船に乗せてもらって故郷に帰った者も多かった。

ここに一つ不思議なことがある。
塔の岡から社壇の前後は初めの一戦の際に互いに名乗りを挙げて身命を捨てて切り結んだ場所だが、
ここでは死人は出なかった。
これは明神が社頭を汚すまいとして執られた方策なのだろうと、人々は神妙な気持ちになった。
義隆卿は奸臣を登用して邪道の政治を行ったので人望がなくなり、陶に身を滅ぼされた。
また陶も、臣の立場でありながら主君を殺した天罰を免れることができず、
数年も経たないうちに元就によって滅ぼされたのだろう。
ああ、義隆を滅ぼしたのは義隆自身であって陶ではない。
陶を滅ぼしたのは陶自身であって元就ではない。
ただ、悪しき原因を作ったために悪しき結果を招いたのは歴然で、道理にかなう。
実に外聞の悪いことである。


以上、テキトー訳。

最後まで乱闘。それでこそ弘中さん。天晴れなり。
しかし、自分で死のうという人間が、殺されそうになると抵抗するのは何でだろうな。
結果は同じなのに。討ち死により切腹のが名誉なんだろうか。

そして毛利の挙げた首級の数。ほぼ5,000。びっくりだね!
首があるってことは、死体も5,000体あるわけで、処理が大変だね!
よく「屍山血河を越えて・・・」なんて表現があるが、この場合は文字通りこの状態なんだろう。
たぶん身包みを剥いだ後に穴を掘って埋めるんだろうが、これは手がかかるわ。
小分けにするにしてもどれくらいの大きさの穴をいくつ掘れば足りるのか想像がつかん。

「ひどい」とか思わなくなったあたり、なんか感覚がマヒしてきた気がする。

次も順序どおり読むけど、また別の将のお話。
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