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2011-09-23

褒められると思ったら怒られたでござるの巻き

そういえば生け捕られた大和伊豆守はどうなったのか、というと。

大和伊豆守誅せらること

元就様は無事に怨敵を打ち滅ぼし、しばらく厳島に在陣して、このたびの合戦における論功行賞を行った。
香川左衛門尉光景が呼ばれたときのこと。

「大和伊豆守を生け捕り、並びにこの郎党たちやその他所々において
敵二十人あまりを討ち取ったのは、大変感心なことである。
特にあの伊豆守は文武両道の器量の大きな武将である。
だからこそ、この元就は伊豆守を味方につけて召し使いたいとおまえたちに言っていたのだが、
あの乱戦のさなかにハッと思い出し、一も二もなく殺すようなことはしないで捕虜としたのは、
何にも増した忠勤である。

しかし、だ。

このたびは七ヶ国の太守、大内義長との戦争であって、元就の盛衰も、家の大事もここに極まった。
光景は国人とはいっても、先年、武田刑部少輔信実が退散したときから当方の味方となり、
何度も忠戦を果たしてきた。だから我もさらに信頼し、
もし陶の軍数万騎に城を囲まれたとしたら、城を枕に戦死を遂げることはあろうとも、
敵が大勢だからといって城を捨てて退却することなどないだろうと頼もしく思って、
家老の桂・児玉と同じように一城を預けたのだ。
敵がもし陸地を攻めてくるとすれば、まず最初に桜尾・草津の二城に攻め込んでくるだろう。
海上からならば、厳島・三保ノ島が最初に敵に囲まれる。
どれも安芸の重要な防衛地点だ。
その要衝を放っておいて、この島へ渡ってくるとは何事だ。
かねてから我が定め置いたことに背くとは、まったくもって不当である」と、
元就様はもってのほかに怒ったので、香川は平伏するしかなかった。

「仰せの向きは確かにもっともでございます。申し開きの次第もございません。
しかし私の愚案を申し述べさせていただきます。
事前にこのたびの合戦の勝敗を予想してみたのですが、何しろ敵は防長豊筑の兵が三万以上です。
味方は安芸半国にも及びませんので、わずか三千ばかりで、敵に比べれば十分の一。
毛利家の存亡を賭けた十死一生の合戦ということになります。
この島で比類なき防戦をしたとしても、十中八九勝てないでしょう。
そのような場合は、ご一族のうち誰か一人くらいは留守居にするものです。
こう申すのも恐れ多いものですが、皆ことごとく討ち死にすると思っておりました。
それならば、ご一門が皆討たれるというのに、何のために城を守るというのでしょうか。
秦の時代の?轢鑚(ひき潰す、切るという意味だから惨憺たる滅亡のこと?)ともなりましょう。
意味もなく城を守っているよりは、物の数にも入りませんが、一人でも多くこの島に渡り、
ヘロヘロの矢の一筋なりとも敵に向かって放ち、
錆びた槍の一本なりとも敵に突き捨てて忠死を遂げようと思い定めたのです。

また、もし今のように勝利できたのであれば、端の城などは一旦敵に落とされ、
たとえ妻子や家の者たちが生け捕られたり皆殺しにされたりしたとしても、嘆くことではありません。
すぐに取って返して、城は戦で取り返せばいいのです。
もちろん、妻子が殺されてしまうのは不憫ではございますが、
恩愛の別れを惜しみ、主君の最期を見届けられずに、城にこもって誰かから伝え聞くなどということになれば、
不忠の極みどころではありません。それは逆臣というものでしょう。

おそれながら、ただ生死、存亡をご一族と共にすることこそが、
これまでの御厚恩にほんの少しなりとも報いる方法です。忠心を顕すにはここしかないと思い、
考えなしに渡って参りました。
このことは事前に児玉内蔵丞に相談しており、海上でも一緒におりました。
たった今お叱りを受けてのとっさの方便ではありません。内蔵丞にもお尋ねください」

香川が言うことを、元就様はすべて聞いていた。
「このたびは陶が防長豊筑の兵を多数引き連れて攻め渡ってきた。
国人たちは皆かつての契約を違えて、あるいは病と称し、
または何くれともったいぶって我の催促に応じなかった。
それなのにおまえは、妻子をも打ち捨て、身命をも惜しまずに、ここまでついてきてくれたばかりか、
大変な働きで多数の敵を討ち取り、さらには大和伊豆守を生け捕ったこと、
その節義、功名は類まれなるものである。おまえの言うことは確かに道理であるな」と、
元就様は感じ入って香川を称えた。
香川は許しを得られてたちまち喜びに眉を開き、頬を緩ませて御前を退出した。

「大和伊豆守を理由なく殺すようなことはするな。
しばらくは囚人として香川に預け置くので、よくよく大切に遇してくれ」との命が下された。
しかし、「大和が強かったのは既に過去のことです。
生かしておいては千里の野に虎を放つようなものです」という諫言が、
熊谷・天野をはじめとして多く寄せられた。
元就様は一ヶ月ほど経つと「では大和を殺せ」と言うようになった。
香川左衛門尉はこれを承り、すぐに家の子の香川佐渡守・猿渡壱岐という者に言いつけて、
仁保ノ島の城の坂で大和を討ち果たした。
大和伊豆守はさすがの勇士なので、太刀を抜いて散々に戦ったが、敵は二人である。
一太刀浴びせられるともう抵抗のしようがなく、ついに討たれてしまった。

伊豆守が差していた刀は号を「鷹匠切り」といった。
これは普光院足利義教卿が大内家に下されたものである。
刀工、来国俊の業物で三尺一寸あり、代々大内家の家宝として伝えられる千鳥・荒波と並んで
鷹匠切りは天下の名物であった。
しかし大内左京太夫義長が男色関係でのめりこんでいた杉民部にこれを与え、
諸事情があって伊豆守が貰い受けたのである。
このような稀代の宝物を勝手に自分の物にするわけにはいかないと、二人はこれを元就様に献上した。
元就様は「こんな比類のない名物、おまえたちだって何としてでも欲しいものだろう。
これほどの宝を持つ家は非常に珍しい。おまえたち、持って帰って家の宝にするがいい」と返してくれた。

義教将軍が鷹を持った者を袈裟懸けに斬った際、
斬ってからしばらくして地に倒れたのに鷹が驚いて、それから飛べなくなったという。
そんなわけで「鷹匠切り」と名付けられたという。


以上、テキトー訳。

なんか素直に驚いたのが、「ヘロヘロ」って擬態語がもうこの頃からあったのか!ということ。
そういえば前に「フラフラ」も出てきた気がする。
「キッ(吃)」とか「ズン(寸)」なんてのもあった。
話の本筋には関係ないが、やっぱり原文に当たるって、発見が多くて楽しいなぁ。

お手柄香川さん、実は持ち場を離れていたらしい。そりゃ叱られるわ。
申し開きがまた泣かせるじゃない。
譜代でもないのによくこんな忠節を尽くすもんだ(美化されてるんだろうけど)。
熊谷も香川と一緒に毛利傘下に入ったけど、この人も毛利で大活躍だしな。
熊谷信直さん。元春の舅、広家のじいちゃん。
無骨なレスラーみたいな人を妄想して悦に入ってるw

大和伊豆守はご愁傷様でした・・・
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