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2012-08-23

輝元VS尼子再興軍、開戦

夏休み明けの仕事+長い会議+ひっかけてきた酒で、昨日はついついノビていたけれども、
今日はまじめに陰徳記!

これまでのあらすじ:
輝元が初の総大将となった出雲の尼子討伐、叔父たちは当主の甥っ子に花を持たせようとやる気マンマン、
対する尼子勢は、兵数が不利なので、抗戦する布陣をして兵を鼓舞しつつも、
できれば合戦は避けたいところ……しかしガチンコ合戦の用意だけが着々と整っていくのでしたw


出雲の国比部合戦のこと(3)

翌十四日、水谷口には吉川・小早川の総勢三千五百余騎が進んだ。
しかし北前は元春が担当している地域なので、合戦は吉川衆から始めることになった。
ニ陣には杉原石見守盛重、その次には宍戸・熊谷・天野・益田など、出雲・伯耆・石見の兵たちが、
合戦も半ばになったときにそれぞれ押し上がって四方八方から敵にかかるようにと、
それぞれあの山、この谷と定められて配置された。
東口には吉田譜代の衆の福原・桂・志道・児玉・赤川・粟屋・口羽など四千騎が進む。
その次には小笠原・平賀・楢崎・木梨などが、それぞれ分かれて我先にと進んだ。

総大将の右馬頭輝元様は、旗本衆や後備を並べて三千七百騎で陣を固めて控えていた。
こうしたとき、三沢三郎左衛門と三刀屋弾正左衛門が、合戦の前途を祝おうと、大樽二十荷を献上した。
輝元様は、これを諸軍勢に配分しても、深い谷に水一滴を落とすようなものだと考えたのか、
大きな桶を四五十ほど大庭に並べ、そのほかの大樽も百や二百ほど合わせて桶に移し入れた。
そして諸軍勢に、「器を持ってきて一杯ずつすくって飲め」と言った。
軍兵たちは、「昔の良将は、自分に贈られた酒を川に流し、兵士たちとともに同じ流れを飲んで、
皆でこれを味わったという。輝元公のお心と一緒だ。なんとすばらしい大将だろう」と感じ入った。

まだ敵の様子を見計らいながら合戦を始めないでいると、輝元様は、
「元春に隆景、まだ東山に日が昇っていないから、敵軍のほとんどは朝飯を済ませていないだろう。
朝飯を食べ終わって備えを固めたならば、簡単に切り崩すのは難しくなるだろう。
ただ片時も急いで切りかかり、一戦を始めるのがいいだろう」と言った。
すると元春・隆景は、「ごもっともです」と同意した。

杉原播磨守はこれを聞いて、「蛇は一寸をもって大小を知り、
人は一言をもって賢愚を察すといいます。輝元様はなんと良将の器をお持ちなのか。
今年で十七歳になられたとはいえ、七十歳以上になられた祖父の陸奥守殿(元就)にも劣らぬ
立派な大将に成長されましたな」と感激した。
播磨守は黒い小袖に革袴を着ていたのだが、その袴を解き捨てると鎧も着ずに、
まったく防具なしのままかかっていった。

元長様はまだ二十歳そこそこだったが、とりわけ優れた勇将だったので、先陣に進んで軍の指揮をしていた。
元春・隆景は少々後ろに控えていたが、大声を張り上げて、
「敵はきっとひとまずは激しく仕掛けてくるだろう。
たとえ先陣が切り崩されたとしても、何度でも押し立てながら無二にかかって切り崩すぞ」と下知していた。

そして太鼓を打って進軍しているいると、輝元様は本陣で床几にに腰をかけていたが、
どうしたことか後ろの山から、人の力では三十人ほどでかかってもちっとも動きそうにない大岩が、
つぶてとなって落ちてきた。
大地が鳴動して、皆は身の毛がよだち魂も消えてしまいそうだというのに、輝元様は少しも騒がず、
「私の後ろから落石があるとは、天も私に力を合わせてくださって、
敵陣を打ち破れとお示しになったのだろう。
また、合戦を早く始めろとのお告げでもあるだろう。進めや者ども」と力強く下知をなした。
蘇老泉の言葉に、「将の道とは、まずは心を治めることである。
突然山が崩れだしても、兵の前で顔色を変えてはならない」とあるが、
このときの輝元様のようなことをいうのだろう。
大将がこれほど剛強なので、諸軍士もさらに勇んで攻めかかっていった。

敵も、山上から芸陽勢が出発したのを見ていて、静かに備えを固めていた。
西口の一番の先陣には森脇東市正・真木与一・中井・米原などの二千余騎が、
弓・鉄砲を前に立てて備えている。
少し右手側の奥に、山中・立原・隠岐・加藤・寺本などが一千五百余騎で控えている。
また五百余騎を力石・黒正・高尾などに添えて後方の高みに控えさせ、
敵が細い道を伝って攻め上ってきたならそこに馳せ向かって防戦するか、
そうでなければ味方が戦い疲れたときに入れ替える新手として定められていた。

東口は、先陣の牛尾弾正忠・横道源介・同権允・遠藤・馬田などの一千余騎が、
布部の山道を遮るようにして控えている。
ニ陣には横道兵庫助・岸・秋上・羽倉・平野・松田・熊野などが一千七百余騎がおり、
先陣が激しい合戦をして敵が備えを乱したところに無二にかかって生死を一時のうちに極めようと、
皆下ってきて控えていた。
兵たちは尼子家では何度も勇をあらわし、ずいぶんと武名の通った勇士猛卒たちばかりである。
場所は布部の大難所、備えは堅固に設けられている。
いかに元春・隆景が勇将・智将だとはいっても、簡単にこの陣を攻め破れるとは思えなかった。

輝元様の近習に、田門(たと)右衛門尉・粟屋又左衛門という無双の勇士たちがいた。
二人は輝元様の前に行くと、「今回はご主君が初めて総大将として打ち出ていらっしゃるのですから、
吉川・小早川衆、そのほかの国人たちによって先を越されてしまえば、
あなたさまの旗本衆の名に傷がつきます。
是非とも私たち二人が一番に駆け入って、討ち死にしたいと思います」と申し出て、
最後の盃を与えられてから出発した。その言葉を少しも違えずに、二人連れ立って真っ先に進んでいった。

さて、吉田勢は鬨をあげて太鼓を打ち、足並みを乱さずに布部の坂口から押し上がった。
尼子勢でも、横道兄弟が今日の一番鑓をと心にかけて、人より進んで待ちかけていたが、
敵が近づいてくると、「二百余挺の鉄砲を先に立てろ」と下知して、
百挺ずつが二手に分かれて、入れ替わりに撃ちかけた。
しかし芸陽勢は少しも怯まずに、怪我人や死人を乗り越えながら攻め上ってくるので、
二百余挺の鉄砲隊は、たちまち乱れ散って退却した。

尼子勢一千余騎のなかで、横道兄弟が一番鑓をと心にかけ、足軽を押しのけて進んでいくと、
敵二人が群れを離れて進んでくる。
そのうちの一人に向かって権允が「誰だ」と問うと、「輝元の近習、田門右衛門尉だ」と答えた。
源介がもう一人に問うと、「粟屋又左衛門」と名乗った。
敵も二人、味方も二人、余人を交えずに鑓を合わせていたが、
横道権允が田門の内兜へ鑓を突き入れ、田門が仰向いたところに、二の鑓で草摺の外を突いた。
さしもの阿修羅のように見えた田門も、両膝をついて倒れてしまった。
権允が首を打とうと太刀を抜いて走りかかると、田門は倒れたまま三尺ほどの太刀を抜いて、
権允の草摺を切り落とす。
けれども体にはかすりもしなかったので、権允はツッと近寄って田門の腕を切り落とし、
そうしてから首を打った。

粟屋も源介と渡り合っていたが、一鑓突かれてかなわないと思ったのか、
鑓を投げ捨て走りかかり無手と組む。
互いに劣らぬ力自慢の者たちなので、上になったり下になったりしながら取っ組み合っていたが、
粟屋は怪我をしていたので、ついに源介によって討たれてしまった。
横道の郎党、長沢十兵衛尉も太刀で敵と渡り合って、一人を討ち取った。
尼子勢は勝ちに乗って「進めや者ども」と、鑓・長刀の切っ先をそろえ、
山上から一直線にかかってきたので、芸陽勢は一気に突き崩されて、思わず山下へと引いてしまった。


以上、テキトー訳。まだツヅクノデス!

おおおおお輝元ちゃんがホント大将みたいだよー!
いや大将なんだけどさ、正真正銘の。
かっこいいなぁ輝元ちゃん(*´∇`*)
きっとお父さんも草葉の陰で嬉し涙流してるよー!
隆元:(*ノ∇;*)リッパニナッテ……

でもアレだね、大岩が落ちてきても動じないってのは、器が大きいというより、
のんびり屋さんというか、ちょっとニブいだけって気もしないでも……
いやいや、ホンワカした輝元ちゃんを夢見たいのですよ!!!
というか輝元が慌てるところが想像できない。景さまに折檻されそうなシチュエーションでなら慌てそうだけど。
秀吉に臣下の礼をとるために初上洛したときも、道中で浜遊びしちゃうような人だし。
夜中に秀長の屋敷に押しかけちゃうような肝の持ち主だしw

ていうか杉原さんは登場回数多いな。春継あたりが特別仲良しだったんだろうか。
あと、鹿介の思惑とは裏腹に、ガチ合戦に雪崩れ込んだようにしか見えないんだが。
しかし、今回の状況的には毛利勢は不利っぽいな。どうなる、続き!?
とりわけ優れた武将の元長の活躍の場はあるかな???
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