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2012-09-01

三村家の断末魔

この章はだいぶ長いと書いたけど、よく見たら3回で十分終わる分量だったテヘペロ☆
いやもう気持ち的には重すぎる内容なんだけどね_ノ乙(.ン、)_

前回のあらすじ:
父親を宇喜多直家に殺された三村兄弟は宇喜多退治のために毛利家に援軍を請うてきたが、
直家もまた巧みに動いて、輝元に三村家討伐の許可を得た。
元春は長年毛利家に尽くした三村一家を見捨てることを良しとしなかったものの、
折りしも自身は出雲出張中であり、隆景・宍戸隆家・安国寺恵瓊の主張もあって、
三村家を討伐することに決定してしまった。


三村一家滅亡のこと(中)

隆景が先陣に進んだので、輝元様は備中の小田というところに陣を据え、
同二十七日に手の城を取り囲んだ。
この城の城主は手右京亮で、元親から三村越中森・日名因幡守が援軍として差し籠められていた。
右京亮は生来の臆病者だったので、同月晦日に二十人ほどで手の城を忍び出ると、
松山の城を目指して落ちていった。

このせいで城中は大騒ぎになったので、翌年の正月元旦の明け方、寄せ手はひたひたと城に乗り込んだ。
城中では手新四郎が、親とは違って無双の大のつわものなので、
まったくひるまずに弓・鉄砲を撃ちかけて、散々に防ぎ戦う。
芸陽勢では一番に宍戸安芸守隆家が城に乗り入った。
一の城戸では、隆家の家之子の深瀬弾正忠が石賀右衛門尉という者と渡り合って、
激しく戦った後に突き伏せて首を掻き切ると、それを差し上げた。
三村越中守は宍戸の家人の中原刑部(浅原杢允)が討ち取り、
日名因幡守は、同じく宍戸の家人の浅原杢允(中原刑部)が討ち取った。
芦田次郎右衛門は木原彦右衛門が首を取った。

城中から兵が五十人ほど死に物狂いで切って出てくると、長井右衛門太夫が一番に渡り合い、
鑓を合わせて激しく戦う。寄せ手の吉田旗本の足軽大将、
転与三右衛門が足軽に下知をして鉄砲で打ち立てたので、敵はたまらず引き退いた。
そのままの勢いで敵勢を城に押し込め、
内藤弥左衛門・転右衛門・糸永市介・市川神右衛門・三木新右衛門・三戸六郎右衛門・
田原平右衛門・児玉七郎右衛門などは、鑓で戦って敵を討ち果たし、それぞれ首を取って差し上げた。
丹下与兵衛のことは、吉田勢の三上平兵衛尉・積山覚阿弥が二人がかりで切り伏せ、討ち取った。

手新四郎はまだ討たれずに本城に籠もって戦っていたところに、
粟屋彦右衛門・木原次郎兵衛尉が一番に切り入っていく。
手新四郎はすぐに大太刀を抜いて切りかかり、粟屋と戦ったが、
今朝から何度も続く戦に疲れきっていたのか、ついに彦右衛門によって討たれてしまった。

新四郎の兄に、友梅という盲目の者がいたが、杖を突いて走り出ると
「手の盲目友梅という者だ。早く首を打て」と叫んだ。
木原次郎兵衛尉が走り寄ってこれを討ち取った。
ここまで友梅に付き従ってきた一人の郎党は、「坂ノ下彦六郎だ」と名乗って腹を掻き切って死んだ。

木原は、「この盲人は手の名字がつくだけある」と思い、死骸を見てみると、
杖ではなくて、先を割った竹の杖に短冊を一枚挟んで持ってきたとわかった。
そばに投げ捨てられていたのを拾ってみると、短冊には歌が書いてある。
「暗きより暗き道にも迷わじな、心の月の曇り無ければ」と書いてあった。
こんなときに、こんなことを思っていたのかと思うと哀れで、人々は皆嘆息しあった。

この朝は、もう年も新しくなって、峰の霞に漏れる日の光は長閑で、
谷から聞こえてくる鶯の声も美しく、風が運んでくる梅の香りに鎧の袖さえも芳しく感じられる。
兵たちの心も華やかになって、ますます勇気が盛んであった。
今朝からの疲れを休めようと、馬を柳の枝につないで湧き水を与え、人々も皆食事を摂った。

隆景様は「ここから成羽へと陣を移し、外郡へ進軍しよう」と決めて、
翌日の元亀二年(天正三年)正月二日、総軍二万余騎で成羽へ移り、
それから上野近江入道が養子の実親と二人で籠もっている木の実の城っを取り囲んだ。
上野入道はもともとたいそう臆病な人間だったので、自分の命が助かると思って実朝に切腹をさせ、
自身は老いた一命を助けてもらって、目を瞬かせて阿波の方へと逃れていった。

実親は上野の養子とはいえ、孫婿とはいえ、死ぬのなら一緒に死ねばいい。
もしくは、一人が死んで一人が生き残る道があるのなら、
自分がこいねがってでも自害して若い実親をこそ助けるべきだというのに、
こんな振る舞いをする上野の心中など、あれこれと評するにも及ばないと、爪弾きにしない者はなかった。
木の実の城が落城すると、荒平の城も明け退いた。

三村家親の婿の石川久孝は幸山の城に籠もり、しばらくはこらえていたけれども、
とてもかなわないと思ったのか、家人の友野石見守という者を通じて、
阿波の国を目指して落ち延びようとした。
しかし友野は自分の命が助かるだろうと、このことを隆景に知らせてきたので、
隆景はすぐに追手数百人を差し向けた。
久孝は仕方なく散々に戦って討ち死にしたので、その首は小田に駐留している輝元様の実検に入れられた。
昔の五大院の右衛門の振る舞いと、今回の友野のやり方はまったく一緒だと、友野を憎まない者はなかった。

元親は頼りにしていたあちこちの城郭がどれもこれもすべて落とされてしまったので、
「もうこうなってはどうしようもない。早々に一戦して自害しよう」と思い定めていたところに、
隆景が猛勢で攻め寄せてきた。
元親は最後の一戦だと思ったので、無二に突いて出て先陣を激しく切りまくり、
それから「私が切腹するので、代わりに士卒の命を助けていただきたい」と言った。
隆景は大いに感心してそれを許したので、元親は潔く自害して命を絶った。


以上、テキトー訳。あと1回。

うええぇぇ後味が悪い~~~!
援軍を差し置いて逃亡・養子の命を差し出して逃亡・主君の逃亡を知らせて寝返り……
備中怖いよぅ(´;ω;`)
備中近辺の戦記とか読むと、こういうのゴロゴロ出てくるのかな。
ちょっと気になる……
きっと、いつかこういう戦いも好きになっていくのかもしれない、などと思ったりも。

まアレだね、吉川衆が関与してない戦いだから、こんな風に描かれてるって可能性もある。
三村兄弟が最初に泣きついてきたのは元春なのだし、
元春を頼ってきた方の肩を持ちたいだけなのかもしれない。
……それでもツライなぁ。

そんなわけで、あと1回でこの章読み終えて次に行こう!
次だ、次!!!
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