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2012-09-20

スピンオフ? 盛重・隆重舌戦!

だいたいのあらすじ:
元春から信玄・謙信に遣わされた使者の佐々木が戻ってきて、
旅先で聞いてきた川中島合戦の様子を語ったよ!
すると座中で聞いていたらしい杉原盛重が、信玄・謙信の戦い方にダメ出ししたよ!
さぁてこれを聞いてた天野隆重の反応やいかに。
てかいたのかよ。


佐々木、信玄・謙信の物語のこと(4)

天野紀伊守隆重はこれを聞いて話し出した。
「実に、盛重の仰せにも一理あるように思えます。
しかしながら、天下に数人とも言われる名将のことですから、
間違いに思えるようなことでも何か理由があってしたことなのでしょう。
どうして私などの愚かな考えが及ぶでしょうか。
そのように批判すれば、どんな過失もない名将などいないことになってしまう。

私のくだらない意見を申しますと、昔の義経というのは開闢以来の名将だと聞き及んでおります。
平家が十万余騎で籠もっていた一の谷の城を、ひよどり越えでまっさかさまに落ちかかり、
攻め落としたのは言うまでもありません。
この戦に利を得て、主力の平家一門を数十人も討ち取ったのですから、
八島の戦も普通にしていれば勝てたことでしょう。

それなら危ない戦は慎むべきなのに、渡辺から大風のなか四国の勝浦へと渡ったのです。
これは勇ましいことですが、良将が好んで行うべきことではありません。
そのうえわずか八十騎で数万騎が籠もっている八島に無二にかかっていったのは、どうしてでしょうか。
実は義経は猪武者で、勇はあっても智はまったくなかったのです。
平家が慌てふためいて八島を逃げ出したからこそ、義経はまたしても高名できて、
末代までその名を残したのでしょう。
もし平家に勇将が二人ほどいたなら、八島を逃げ出すことはなかったでしょう。
平家が数千の兵を率いて義経に立ち向かってくれば、やすやすと討たれてしまったはずです。
そうなったら、勝って当たり前の戦に負けて、父の仇をとることができないばかりか、
謀略が拙いと、末世末代に至るまで『愚将』の名をかぶったことでしょう。

これを思えば、自分の武勇を誇ってこの危ない戦いに臨んだのか、
もしくは兄の三河守範頼に先を越されまいという競争心があったから危険な戦をしたのか、
動機はこの二つのうちどちらかでしょう。
戦場では長幼の礼など存在しないと昔から言い伝えられていますが、それにもまた理由があるのでしょう。
他人と先を争って、合戦の勝負の得失を考えられないようでは、将の器ではありません。
それにもかかわらず、まさしく兄と先を争い、合戦に負け、
そのうえこれまで胸に抱いてきた、父の仇を滅ぼすという大望を忘れ去ってしまったとしたら、
まさに取るに足りない人間のすることであり、愚将・邪将のやることです。
これを考慮すると、義経は勇ばかりで智も謀も孝もない愚将ということになります。

また、一の谷を攻め落とし、そのまま息をもつがずに西国へ攻め下れば、
平家は矢の一つも放てなかったはずなのに、何もせずに一年を過ごしてしまったので、
平家も威勢を盛り返して、壇ノ浦で攻防をかけた一戦をすることができたのです。
これも源氏の一番の過ちではないでしょうか。

また、頼朝は仁も勇も智も全備した名将と言い伝えられていますが、
平家は十万騎、源氏は六万ですから、これでは勝利は危ぶまれます。
とくに木曽義仲が平家と一味すれば、範頼・義経は十のうち六、七は戦利もないでしょうに、
なぜ義仲を最初に攻めたのでしょう。
万全な謀略にするならば、義仲を語りすまして味方に加え、それから一の谷を攻めれば、
いよいよ勝利は確実なものになったでしょう。
平家を滅ぼしてから義仲を討てばいいのですから、これは簡単です。

義仲は勇いっぺんの凡庸な将だったがゆえに、
たった三千の味方で六万の軍勢と戦って討ち死にしてしまいました。
もっと謀略に通じていたなら、一の谷に下って平家に一味し、頼朝を滅ぼし、そ
の後平家を攻めれば、すぐに天下の武将になれたでしょう。
それなのに勇ばかりを頼って猛勢に立ち向かい、無駄に戦死したのはまったく愚将でしかありません。
これを考えると、頼朝・義経は良将ではないどころか愚将です。

けれども私などの愚かで取るに足りない意見で、古今に稀な良将をそしるのは、
実に管で天を測るようなもので、あまりにも的外れです。もうよしましょう。
きっと頼朝には、義仲・宗盛をまとめて敵に回しても勝てる算段があったのでしょう。
そのときのことを詳しく知らないまま、自分の意見が正しいと考えて是非や得失を論じるのは、
的外れもいいところです。
また義経も、嵐のなか四国に渡り、少人数で八島に攻め寄せ、敵の不意を衝こうとしたのかもしれません。
それで自分の危険を忘れていたとしても、まったく不思議ではありません。
これもそのときの形勢を知らずに、どうして時代も違う今、得失を論じることができましょうか。

床に伏せて耳を澄まさなければ、地の底を穿つ足音を聞きつけることもできません。
その時代に生まれ、その場に行くことはできないのですから、
そのときの謀の是非などわからないではありませんか。

私が申しましたようにただの凡庸な将ならば、
どうして頼朝・義経はその時代から古今無双の名将だと称揚されていたのでしょうか。
愚将とは言われずに、古来稀な名将と呼ばれているこの事実だけでも、
頼朝・義経は謀も智も勇も兼ね備えているとわかるではありませんか。
こうした評判があるのに、根拠がないはずがない。

猿や鶴はもともと、これらのことを理解できません。
私も足りない頭や見識で、どうしてさしもの名将を批評することができましょう。
私が頼朝・義経を批判したように、あなた(杉原盛重)も現代の良将の信玄・謙信を批評しましたが、
それは意味のないことです。
なにか深慮でもあったのでしょう。
また信玄が忍びの物見を出さなかったことも、
そのときその場にいないあなたがあれこれと批判しても意味がないのです」

こう隆重が語ると、盛重は、
「その場にいたわけではないのなら批判をすべきではない、というのは、実にそのとおりです。
しかしながら、信玄・謙信のような良将を論評することそれ自体がよくないとおっしゃるのであれば、
納得できません。
信玄・謙信はどういう人なのか、また自分はどういう者なのか、これは簡単です。
この二人は生まれながらにして一国の将なのですから、その名はこの日本国中に知れ渡っています。
私はようやく一郷一村の主ですので、勇も智も信玄・謙信に劣っていなくても、
人に名を知られていません。
それなら批評するにも何の憚りもないはずです」と食い下がった。

熊谷伊豆守はこれを聞いて、
「お二人の智弁を残らず戦わせれば、天地を両者の唇として、
未来永劫まで是非・得失を論じたとしても、勝負がつくことはないでしょう。
さあ、古い詩に『梅はすべからく雪に三分の白を遜(ゆず)るべし、
雪もまた梅に一段の香りを輸(しゅ)すべし』とあります。
互いに白を譲り、香りを任せることになさい」と言った。
すると盛重・隆重たちは大いに笑って退出していった。


以上、テキトー訳。おしまい!

うわー、義経・頼朝・義仲がすっげえdisられてんぞー^^;
と思ったら、「でもそんな批評しても意味ないよ」って話だったのね、天野さんw
ひねくれた話し方だwww
しかしこれも天野隆重というキャラクターを借りた正矩自身の意見なんだろうな。

いやしかし。しかし身に積まされるね、この話は。
「あれこれ批評しても、そのときその場にいたわけじゃないんだから、
それだけですでに的外れなんだよ」ってことか。
インターネッツの片隅あたりで武将の優劣批評を戦わせてる人たちに聞かせてやりたいねぇwww
私もその一人ですが何か。
まあ誰が優秀で誰が劣ってるとか言ったことはないけど。
たいがい「好き」か「嫌い」か「興味ない」という主観でしか見てないけど。

また漢詩を持ち出して場を収める熊谷パパもいい味出してんじゃないの! 惚れる!
花とか雪が登場する漢詩を美青年が呟くのもいいけど、
信直さんのような筋骨隆々イメージのおっさんが持ち出すと、
なんかソワッとするんですが私だけでしょうか。信直さんかわええわぁ(*´∇`*)

さて、次章では将軍義昭ちゃんが登場予定ですぞ!
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