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2012-09-23

苦しくったって~♪ でも涙が出ちゃう、将軍だもん

週末からなんだかムスカなみに目が痛かったり突如降ってきた妄想に埋没したりして
ブログをサボりがちですが、なんとか生きてます。
今夜もお出かけだー面倒いよぅ><

さて陰徳記、今回は将軍義昭と信長のお話だから、特にあらすじは不要だと思うので、そのまま。
長いので2回に分けまする。


将軍義昭卿流浪のこと、付けたり三渕諫言のこと(上)

大納言足利義昭卿は、千年光源院義輝今日が三好によって殺されてからは、
奈良の一条院にいることができなくなり、忍び出て若狭・越前の中間に移った。
しかし怨敵の三好を成敗する謀略を運ぶことすら満足にできずに、自分の身一つさえ隠しかねていた。
そのころ、織田上総介信長が尾張で勢力を伸ばし、ゆくゆくは天下の部門の棟梁ともなりそうな器であると、
世を挙げて噂されていたので、義昭卿は信長を頼りたいと思って、そのことを仰せ下した。
信長はすぐにこれを了承して、分国の兵を集めると、江州の佐々木(六角承禎・義弼父子)を退治(追放)し、
ついに義昭卿を再び京都へと帰し入れた(永禄十一年九月)。

しかし、義昭卿はその忠節をたちまち忘れ果てて、逆に信長を滅ぼそうと企んだので、
結局は流浪の身となってしまった。

そのことを詳しく聞いてみると、そもそも信長はもとから義昭卿に忠勤を貫く意志がなかったそうだ。
信長は、「自分が天下に旗を上げる際に、将軍という旗印があれば、
もし誰か妬む者がいて、自分の武威が広がることを妨げようとしたとしても、
将軍の敵になることを憚って、弓を引き、矢を放つことはできないだろう。
これは、対外的には主君に対して忠戦を貫いているようにしながら、
裏では我が武威を天下に振るうための謀になるぞ」と考えた。
だから天下に切って上るまでは、義昭卿に対して君臣の礼儀を正しくしてきたのだった。

畿内・東海道・北国、あわせて大国三十余ヶ国を切り従えると、
もう信長に肩を並べられる武家はいなくなった。
そうなると、「義昭卿がいる間は自分は管領職でしかない。
義昭卿を討ち果たして、自分が征夷大将軍になろう」と信長は考えた。ひどいことだ。
信長はこうした暴虐が頭に浮かんできたので、あれこれと邪な考えをめぐらして、
義昭卿が腹を立てるように振舞った。
だいたいにして、信長は軍事に関しては勇も智も古今では飛びぬけた大将ではあるが、
武一辺倒で、文道の学にはまったく通じておらず、
仁道などは夢にも知らず、そのうえきわめて田舎者だった。

木曽義仲は平家を追い落とすと都入りしたが、数々の恥ずかしい行跡を多く残している。
そのなかでも、鼓の名手で知られる平知康に会ったときに
「あなたが鼓判官と呼ばれているのは、人に打たれたからか、張られたからか」と問いかけたこと、
また猫間中納言(藤原光隆)を接待したときには、
「猫殿、猫の食い散らかしは噂に聞いているが、もっと掻き込みなされ」などと言ったことなどが、
よく人々の物笑いの種になる。こんなことばかり多い人だった。

信長も、近衛殿に会うと、「あなたはもともと馬や鷹を使役する家だと聞き及んでいるが、
馬に乗ることに関してはよく熟達しているのだろう。
私の厩に、月毛の馬で強情な馬がいる。誰も乗りこなすことができないのだ。
あなたが乗ってみてくれないか」と言って、すぐに馬具足を整えさせて馬を引き出してきた。
「さあ、乗ってくだされ」と進められたので、近衛晴嗣公は面白く思わなかった。
しかし近衛は、「信長はまったく情緒というものを解さない田舎者なので、
拒否したならどんなつらい目にあわされるだろうか」と考えて、すぐに馬に乗ったところ、
肩を並べる者のない馬術の達人だったので、自由自在に乗りこなした。

信長はこれを見て、「なんと近衛、あなたは馬術の達人だ。
私の厩の別当のなかには、なかなかあなたほど上手に乗りこなす者はいない。
今後はたまに訪ねてきて、我が厩の馬たちを調練してくれ」と言った。
またしばらくして、「なあ森の乱丸よ、近衛に何かふさわしい物を与えよ」とも言った。
晴嗣公はすっかり気分を害していたものの、褒美をもらうほどのことでもないと思って、
つっと立って帰ってしまった。
「世がすでに乱れきってしまったから、三台槐門(太政大臣などの高位の職位)でさえ、
天下の武将に対して肥馬の塵を望み、残盃の礼に従わなければならぬとは、
なんとも口惜しいことだ」と涙を流したという。

かたじけなくも天津児屋根命の末裔、大織冠(藤原鎌足)の子孫を、こうまでひどく扱った信長は、
天にも見放され、また人望も集まらなかったので、
天下の執権でいられるのはそう長くないだろうと思わない者はなかった。
近衛殿をさえこうまで傍若無人に扱うのだから、そのほかの摂家、
あるいは清華・羽林などの名家の人々に至るまで、皆自分の手勢の郎党のように扱ったという。

こうして信長が義昭卿に対して数々の不義・無礼を尽くしていると、
義昭卿も最初のうちは、父とも頼んだ信長のことなので、
どんな無礼があっても子として父に背くまいと心に決めてやり過ごしていたものの、
これが度重なると非常に怒りだした。

義昭卿は「信長の私に対しての不義・無礼、言語道断のやり方だ。
今これを罰しなければ、三好の事件の二の舞になるだろう」と考えて、
あちこちの国の大名たちに信長討伐の話を持ちかけた。
しかし大名たちは、信長と仲違いしては勝ち目がないと思ったのか、
義昭卿に味方しようとする者は一人もなかった。
義昭卿は数少ない近習たちにもこのことを話したが、これ以上何をすることもできなかった。
昔、後白河法皇が平相国清盛を滅ぼそうとして新大納言成親・俊寛僧都などに話を持ちかけ、
平家を討とうとした例と同じである。

こうしているうちに、信長がこれを聞きつけて、
「さては義昭卿は我が術中に落ちたな。これこそ願うところの幸いだ」と、
尾張から大軍を引き連れて上洛した。
そのまま御所を十重二十重に取り囲み、情け容赦なく攻め破ろうとしたのだが、
御所中の男女たちは「これはどうしたものか」と呆然としたままで、
誰一人として敵に向かっていって死のうと進み出る者はいなかった。
しかし、さすがに横紙破り(無道、傍若無人なこと)の信長も、
世間の人々に何と言われるのかを気にしたのか、まず和睦をして義昭卿の命を助けた。
そのうえ元通りに「公方様」と仰ぎ、「天下の政道の不善を攻めなされ」と諫言までして、
すぐに尾張へと引き揚げていった。

これは、忠臣の節目を守っているように見えることは見えるけれども、まるで似て非なるものだった。
信長は、「義昭卿が私を討とうと企んだとしても、どうせたいしたことはできまい」と内心は侮りながら、
対外的には「信長は正真正銘の怨敵になった義昭卿すらも、
君臣の礼を違えずに敬って、恨みつらみを恩で報いた」と、
世の人に知らしめようと言う陰謀だった。

ただでさえ無礼だった信長は、この後はさらに義昭卿を軽視して、
義昭卿が腹を立てるように仕向けたものだから、
義昭卿は、「こうなっては生きていても仕方がない。ただ信長に一矢報いてから討ち死にしたい」と言って、
あれこれと謀略をめぐらした。
しかし兵を五百人と持っている武士は一人も味方につかなかったので、役に立つとは到底思えなかった。

先年、義輝卿が自害した後は、諸国を流浪して飢える寸前まで追い詰められ、
その身一つをさえ置く場所がなかったというのに、信長を頼ってからは、
怨敵までも滅ぼして再び天下の武将と仰がれるようになったのだから、
どんなに信長が驕り高ぶって不義を尽くしたとしても、この大功を忘れるべきではなかったのだ。
今こんなことになってしまったのは、まったく残念でならない。
恩に対してあだで報いれば、この日ノ本の諸将は皆そっぽを向いてしまう。
たとえ義昭卿に対して忠節を貫き、信長を討ち果たしたとしても、
また信長と同じように忠功を忘れて無碍にされるのかと考えてしまう。
だから誰も義昭卿の下知に従わないのは、実に道理だった。

義昭卿は近習の人々を呼び集めて、「どんな手を使ってでも、速やかに信長を追罰せよ」と言った。
すると皆一同に、「まず二条の御所は構えが堅固ではありませんので、
大軍を敵に回してはなかなか一戦も満足にできません。
ここにいたまま本意を遂げられるのは難しいと存じます。
ですから、真木嶋玄蕃(昭光)の家城、宇治の真木の嶋へお移りになって、
大河を前にして信長の大軍を引き受ければ、戦利もあると思われます」と答えた。
義昭卿もこの意見に同意した。


以上、テキトー訳。続く。

義昭ちゃんの身の上が悲しすぎる(´;ω;`)
信長め! 信長め!!! イジメ、ダメ絶対!
でも教養がないってのは嘘だろうと思う。
ジャイアンな信長、嫌いじゃないわ。ノビ太には悪いけど。
あとあんまり関係ないけど木曽義仲……けっこう好きなタイプかもしれない。

もしここで信長を討とうとかせずに堪えてたら、
義昭ちゃんは悲劇のヒロインまっしぐらだなこりゃ。
父とも頼んだ信長に、手ひどくあしらわれつつも堪え抜いて人望を集めていく
尊い血を受け継いだ将軍義昭……とかだったら、
美談というか物悲しく美しい物語になったろうに。
しょうがないよな。義昭ちゃんだもんな。

こんな義昭ちゃんにもちゃんと諫言してくれる人もいたようで、
次回はハイパーお説教タイムに突入だよ!
幽斎さんもちょこっと登場する感じだよ!
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