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2012-09-27

恵瓊の仲裁

訳に手間取ったり飲んだくれていたりして日が開いてしまったorz
反省しよう><

さて陰徳記、だいたいの流れ:
元就が亡くなり、やっと捕らえた山中鹿介にも逃げられた。
そんなころ、都では織田信長が将軍足利義昭を奉じて入洛するも、
義昭と信長は険悪になってしまう。
義昭が信長との交戦を想定して宇治の真木嶋に引き退くと、毛利から両者の間を取り持つために使者が出された。


安国寺恵瓊長老上洛のこと

義昭卿が信長と敵対したと聞き及ぶと、和睦のための使者として、
輝元卿からは林杢允、備後の安国寺の恵瓊長老、元春からは井下左衛門尉、
隆景からは兼久内蔵丞を指し上らせた。
そして今回は宇治の真木嶋で、安国寺たちは羽柴藤吉(秀吉)並びに朝山日乗上人について扱いを入れ、
義昭卿の命を助けて紀伊の方へと送っていった。

またそのころ、山中鹿介が柴田修理亮(勝家)に付いて信長に出仕して、
出雲・伯耆を与えてほしいと頼み込んでいるとわかっていたので、
輝元様から信長へと、「鹿介に取り合わないように」と通達した。
信長は、「輝元とは先年から相談しあう仲なのだから、いまさら鹿介に協力したりしない」と返事をした。
けれども、中国の毛利が大阪の門跡(本願寺)に兵糧を入れて、
また花隈・三木の城にも加勢したので、
信長もまた山中鹿介に兵と兵糧を与えて協力し、中国へと差し向けることになってしまった。

さて、安国寺・兼久・井下は京都へと上り、これから中国へと帰ると告げると、信長はすぐに対面した。
「毛利三家に対しては、少しも疎略に思っていない。
この信長は関東へと馬を出し、武田・上杉・北条といった兇徒を成敗しようと思う。
輝元・元春・隆景は九州へと発向なさって、大友・龍造寺などをお攻めなされ。
輝元とこの信長は水魚の約を交わし、天下を泰平にして、苛政を改めて苦しむ人々を救おうではないか。
そうすれば、堯や舜の時代の理想的な政治を取り戻すのも難しいことではない。
どうか絶対に、輝元・元春・隆景も、信長に対して別心を抱かぬようにと、
和尚からもよくよく申し上げてくれ」と信長が言うと、
安国寺は「かしこまりました」と了承して、やがて下向した。

井下・兼久はまっすぐ国へと下っていったが、安国寺は宇喜多直家のもとへと立ち寄った。
備前の岡山から元春・隆景へと次の書状を送っている(吉川家文書一―六一〇)。

「申し上げます。京都のことは一通り終わりました。
 本日十二日、備前の岡山に到着しています。すぐにそちらに参上すべきではありますが、
 長旅になりますので、まず吉田に罷り下ります。
 特に信長から大事な馬を輝元に差し上げるように預かっていますので、急いで向かいます。

 一、上様が帰京できるように調停するため、私は京に参りました。
   翌日、羽柴藤吉郎・日乗が私のもとに差し下され、話し合いましたが、
   信長の上意は、人質をきちんと取らなければならないならないということでした。
   藤吉は、人質の件については申し上げないようにしようと申しておりました。
   そうして一日ほどとどまっておりましたが、羽柴藤吉は
   「信長に何と言い訳をしたものか。上意だからそこまで甘くはない。ともすれば一大事なってしまう。
   ただ義昭卿が行方不明ということにして、会えなかったと信長には申し上げよう。
   だから早々にどこへなりともお忍びになって落ち行かれるとよい」と言って、
   翌日に大阪まで帰っていきました。

   私と日乗は一日残っていましたので、一応意見を申し上げようと思って一通り話をしました。
   簡単な話ではないので、こうして芸州からも調停に来ているのです。
   しかし信長の上意をしいて申し上げるのもいかがかと思います。
   さてこうなりましても、もし義昭卿が西国へご下向なされたりしたら、それこそ一大事です。
   どうかよくご理解いただき、西国にいらっしゃりたいと仰ったとしても、
   しばらくは下向なさいませんようにと念を押しました。

   そしてご退座の音信を進めまして、ご返事をいただいた上で京都へと罷り上りました。
   公方様は上下二十人程度で小船にお乗りになり、紀州の宮崎の浦というところへと到着されました。
   信長も、今すぐ討ち果たすつもりではなかったので、公方様はそこに逗留なさっています。
   先々も、こちらの国にご下向なさらないようにと、重々お断りしてまいりました。
   ご安心くださいますよう。

 一、阿波の三吉に肩入れしないという朱印状を整えていただきました。

 一、但馬のことは、二月に羽柴藤吉が大将となって攻め入ると決定したようです。
   現在も半国は羽柴の勢力下にあります。来春を逃してはならないでしょう。
   このことを第一にお考えください。

 一、備・播・作の朱印は浦上宗景に出されました。
   これも芸州に対して進むとのこと、ことのほか口納(?)です。

 一、別所長治と宗景の間のことも、しばらくは持つことになりました。
   別所も自身が罷り上がってきましたので、一つの座で同時に両方へと申し渡されました。
   宗景への三ヶ国の朱印のお礼として、夕庵(武井尓云)から過分に申しかけてきました。
   おかしなことです。

 一、日乗とは散々意見を戦わせましたが、昔の周公旦と太公望などのようでしたよ。
   まったく御似合いの者がよく出会ったものです。
   そうはいっても、やりすぎずに今のままでいてくれれば、芸州にとっても重宝です。
   今回の調停も、すべてあの人が協力してくれました。
   ただ実に危なっかしいものです。藤吉などの取次ぎまで、日乗がやっているのです。
   このことからも推察してください。

 一、若君様(義昭の子)はご無事です。信長が宿に置いています。
   来春にはお礼をされるおつもりだとのこと。
   ただし、過分のお礼は、信長へも若君へも申し通してあります。
   二月の予定は、ご推量よりも早く申し付けられることでしょう。
   国のこともそのときに決着をつけましょう。
   このことも条件に載せられているので何と詫び言を言ってきても許されるおつもりはないようです。

 一、山中鹿介(幸盛)は柴田(勝家)に付いて、あれこれと言ってきているようです。
   これもまた受け入れないとの朱印状を出されました。

 一、播磨の広瀬のことは、様々な問題があったので仰せになりませんでしたが、
   条文に載せて披露しましたので、これも放ち状を得てきました。
   ですので、本日十二日に宇喜多直家と会って話をし、
   来春はまず広瀬に取り掛かってくださいと申しておきました。
   直家もそう望んでいますので、あの表へ罷り向かうと、確約いたしました。
   先述のように仰せきかされていますので、たぶんこのとおりかと思います。
   今回は信長の機嫌がひときわよかったです。
   上下の間で少々気を緩める人があれば、すぐに按合を申し付けるようにとのことです。
   今回は宗景の使者も同道していました。
   藤吉郎がかなりきつく申されましたので、その使者も大汗をかいて、
   頭のてっぺんに大きなお灸を据えたようになっていて、なかなか見ものでした。
   こういうわけですので、そのことについての連絡は不要だそうです。
   折につけ忘れずに言いつけて、勝手にさせないようにすると、信長が直々に申されていました。

 一、今回、三好左京太夫(義継)は家来衆の裏切りによって腹を切りました。
   代々そうしたものだとはいうものの、なかなか立派に腹を切ったそうです。

 一、河内の高屋の城は、遊佐(信教)と四国衆(三好康長)が立て籠もりました。
   信長は向城を取り付けました。そこの人々が引き揚げてくれば、信長も帰国するそうです。
   おそらくこれは本当でしょう。

 一、信長の世は、数年ほどは持ちこたえると思います。
   来年には公家などになられるかと踏んでおります。
   しかし後には、高転びして仰向けに転ばれる(失脚する)ように思います。
   藤吉郎はなかなかの者です。お目にかかったときに詳しくお話しましょう。
   明日十三日には、吉田へと罷り下ります。吉田からまた連絡を差し上げます。
   このことをよろしくお伝えください。恐惶謹言。

   (天正元年)十二月十二日     安国寺恵瓊
     山県越前守(就次)殿・井上又右衛門(春忠)殿」


以上、テキトー訳。

実は書状部分の訳に手間取っていたわけで……そのわりにはきちんと調べきれずに、
いつにもましてとてつもなく中途半端で乱暴な訳文になっているよ_ノ乙(.ン、)_
お気をつけあれ!!!

細部の意味はわからなくても、恵瓊が信長の未来を予言したとも言われる書状だっていうのと、
恵瓊の書く文章はけっこう喩えが面白くて好みだな、ってことはわかったw
もうちょっと浦上宗景や別所長治の情勢がわかってると理解しやすかったんだろうな……
これからオベンキョしよう><

余談になってしまうけど、「信長之代五年三年者可被持候」って部分を
「三年や五年じゃないだろw」って揚げ足とる論調をたまに見るけど、
だいたいこれまで読んできたなかで、「五三年」みたいな表現は、
だいたい「数年」て捉えるのが正解な気がする。
あと、このころから秀吉とはだいぶ仲良さげだったんだねぇ。
元春や隆景に会ったときに、どんな風に秀吉のことを話したのか、気になるところだ。

恵瓊の書中にもあったけれど、鹿介たちが不穏な動きをしているらしい。
次章はそんな鹿ちゃんたちのお話だよ!
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