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2012-09-30

信長「ウホッ、いい男」

いやいや、諸事情によりホントさぼってばかり……
ごめんね正矩。愛が尽きたわけじゃないんだよ(´;ω;`)

さて久々の陰徳記、だいたいの流れ:
元春が尼子勝久・山中鹿介らを出雲から追い落とすも、まだ予断を許さない。
そこに京都で将軍義昭と信長が敵対したとの報があり、
輝元・元春・隆景は、安国寺恵瓊らを遣わして義昭と信長の仲裁をさせた。
義昭は流浪の身となり、紀伊へと逃れていった。
またそこで、鹿介・立原源太兵衛らが信長に接触しているということだったので、
恵瓊は「鹿介を受け入れないように」と信長に釘を刺していた。

短い章2本まとめる!


山中・立原、信長へ出すこと

山中鹿介・立原源太兵衛尉が信長に出仕した経緯はというと、
一昨年の元亀二年、鹿介は宍戸・口羽を騙して捕虜の難を逃れ、美作へと逃げ上った。
それから上洛して勝久を待っていたのだが、勝久は新山を持ちこたえられずに逃げてきて都へ上ってきた。
そのころ信長が上洛したとのうわさを聞くと、山中・立原は連れ立って大津へと向かい、
惟任日向守(明智光秀)を頼って信長に会えるように申し入れた。
信長はすぐに対面した。

鹿介はまず諸侍たちに一礼して、その後信長卿の御前に出て盃を与えられ、帰ってきた。
信長は「鹿介はいい男だ」と言った。
二番目に立原源太兵衛尉がスラスラと出て行き信長の盃を飲んで、
帰るときに諸侍たちに向かって一礼して通ったので、
信長は「立原は男ぶりもいいが立ち振る舞いもなかなかだ」とほめた。
その後鹿介には四十里鹿毛という名馬、源太兵衛尉には貞宗の刀を与えた。

山中・立原は、「信長卿が中国へと発向なさるときは、先陣を承って道案内をいたします。
どうかお力添えをくださり、出雲を賜らせてください」と申し出た。
信長は「そのようにしよう」と了承し、
「山陰道は惟任日向守に申し付けてある。これの手に属して忠義を貫け」と言った。

さて山中・立原は惟任に付き従って、まったく落ち度なく働いた。
あるとき惟任は、山中・立原を近くに呼んで酒盛りをし、それから四方山話などをしていたが、
やがて鹿介に向かって「武田と尼子の橋津合戦のことを話してほしい。耳にしたことがあるのだ」と言った。
鹿介は「私がまだ生まれる前のことですので、全然知りません」と答えた。
代わりに、立原が「このように聞き及んでいます」とだいたいのことを話した。

その後は惟任の機嫌が変わって、「鹿介殿、毛利家との戦を思いとどまってくれ。
一国の将ともなろうという程の者が、生まれる前のことだからといって、
このような名誉の合戦を知らないわけがない。
他国のことはもちろん、月支国・震旦のことであっても聞き漁って、
その戦の謀を手本にしているはずだからだ。またその戦の敗因を前車の轍とするものだ。
自国の戦をさえ知らないというのは不覚の至りでしかない。

人々はずっと昔の平家物語や東鑑の兵法を参考にするが、
そんなに遠くない昔の自分の家の合戦を知らない者が多い。
これは武の学を好んでいない証拠だ。
どうして遠くばかりを見て近くに気付かないのか。
いわゆる、迷子が自分自身の一仏を知らず、外に向かって空しく求め続けるのと同じようなものである。

鹿介殿、それほど武の学を心にかけていないのなら、
絶対に吉川・小早川などと対峙して満足な一戦を遂げることはできないだろう。
ただよい大将をほかから選んで、その指示に従うのがいいと思う。
なかなか一国の侍となることは難しいだろう」と言った。
鹿介は顔を真っ赤にして、汗をかくばかりだった。

惟任は本当に山中が一国の大将となることはできないと見抜いていたのか、
または鹿介が将兵の器を兼ね備えた者だと感じたので、
こんなことを言って自分の郎党に抱えておきたいと思ったのかはわからないが、
果たして惟任が言った言葉は一つも違わずに、鹿介はついに一国の大将となることはなかった。
これを思うと、惟任の予言は実に道理だと言うほかない。


吉川元春・同元長、因幡へ発向のこと

但馬の国の山名入道宗詮(祐豊)は、尼子勝久に一味しており、
先年勝久・鹿介らが出雲へと入国したときには、
山名が協力して奈佐日本助の海賊船に乗せて島根郡へと送っていった。
因幡の国の守護、山名中務小輔豊国も、尼子に深く通じていた。
この件で元春は謀をめぐらし、豊国を味方にして因幡から但馬へと攻め入ろうと考え、
天正元年七月、出雲の国の冨田を出発して伯耆の八橋に着き、それから因幡へと入っていった。

山名但馬入道宗詮は、垣屋駿河守・大田垣軍監などを呼び集めて軍議をしたが、
元春・元長を相手に一戦しようという者もなく、意見が割れたまま数日が過ぎてしまった。
同十月、元春父子は七千余騎で因幡の篠尾に陣を据え、やがて但馬に向かってくるとうわさが立った。
山名はとてもかなわないと思ったのか、すぐに降人になったので、
垣屋・大田垣なども人質を差し出して味方に属した。

山名中務少輔は毛利輝元に従ったが、今回は幼少の子供に大田垣勘七という者を差し添えて人質に出した。
また山口・森下・中村・塩冶たちも皆自分の子供を人質に差し出した。
奈佐日本助・佐々木三郎左衛門も抵抗をあきらめて元春の手に属したので、
因幡・但馬は、刃を血で濡らすことなく従属した。
元春・元長は同年十二月の末に因幡を打ち立って、
翌天正二年正月三日(元年十二月中か)に冨田へと帰陣した。


以上、テキトー訳。

まず、前章では鹿介たちは柴田さんについてたはずなのに、柴田さんどこ行ったん……?
ま、まあいいか。よくわからんが明智についたのか。

しかし織田さんちは信長はじめ光秀も優しいなぁ。
盃をいただくときは、座の侍たちに礼をするのは盃をいただいた後なんだね。へぇ。
それを指摘せずに、「鹿介はいい男だな」と褒めてやる信長さんステキ(*´∇`*)
光秀もまさかのお説教というか説得……厳しいこと言うけど、嫌味ではないような……?
というか、信長もこの時点では毛利を攻める気なくて、
なんとか諦めさせるように光秀に言い含めてたって線も考えられるのかも。
鹿ちゃんかわいそうにな。いいキャラなのにな(´;ω;`)

元春・元長の因幡&但馬平定は特に波乱もなく……
鳥取城で一緒になる中村・森下・奈佐・塩冶たちは、このときからの付き合いになるのかな?
もっと前から交流あったんだろうか? ちょっと気になる。
多分、経家もこのとき従軍してたんだろうと思うと、鳥取城(´;ω;`)という気分になるわけですよ。

しかし今日は九月晦日! 明日未明にかけて厳島合戦の日だよ!
しかも嵐! 出航にはおあつらえ向きだねHAHAHA!
嘘です外の風の音が普通に怖いです>< 今回は激しいなぁ……
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