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2012-10-01

鹿介、汚名挽回

だいたいの流れ:
元春に捕まったがどうにか逃げ出した山中鹿介は京都に上り、
立原源太兵衛尉とともに信長に出仕して明智光秀の手に属した。
信長の中国攻めを誘発し、出雲を手に入れる魂胆であった。
が、生まれる前の合戦のことを知らなかったことで、光秀からは
「大将の器ではないから、毛利攻めは諦めるか、別に大将を立てた方がいい」と言われてしまう。
負けるな、鹿介! がんばれ、鹿介!
なぜか吉川クラスタなのに鹿介応援してるわけだが、見守ってるぞ!


山中鹿介と大坪合戦のこと

さて尼子孫四郎勝久を大将として、山中鹿介・立原源太兵衛尉・神西三郎左衛門・加藤彦四郎・
亀井新十郎・吉田三郎左衛門・森脇市正・横道源介・同権允・牛尾大炊助・同次郎右衛門・
足立次郎左衛門・同治兵衛尉・進左吉兵衛尉などが、天正元年十二月に但馬に下ってきた。
そのまま因幡に入ろうとしたけれども、そのころは元春が因幡の篠尾に在陣していたので、
尼子勢は因幡に入れずに但馬で足を止めていた。
元春が開陣したときには、山名但馬守を頼って因幡へと入り、
そこから伯耆を切り従えて出雲に入ろうと企んでいた。

この国の山名中務少輔豊国は非常に卑怯な弱将だったので、鹿介に使者を送って
「私は吉川元春に従属して人質を差し出してしまった。
だからどうしようもなく、尼子家に一味することは思うようにいかない。
けれども、断じて勝久に対して弓を引き矢を放つつもりはない。
兵糧などのことなら、必要なら協力しよう」と言い送った。
勝久は非常に喜んで、「ではこの国がすべて手に入ったなら、伯耆にももちろん進軍しよう」と勇んだ。

勝久は因幡に入って十日以内に、敵城を三ヶ所も落とした。
その勢にあちこちから尼子家の牢人たちが駆けつけてきて、あっという間に総勢三千余騎にもなった。
この兵力で伯耆に攻め入ることは簡単に思えたが、
まずは当国の私部の城に大坪神兵衛尉が無二の毛利方として立て籠もっている。
また元春から牛尾大蔵左衛門が差し籠められていた。
大坪さえ討ち取れば、この国には尼子勢の行く手を遮る者はいなくなるはずなので、
先にこの大坪を攻撃しようと、会議が開かれた。
しかし大坪は名うてのつわものだったので、容易には城を落とされないだろうから云々と話し合いは長引いた。

翌けて天正二年、青陽の賀詞を述べるために大坪が芸陽へと向かったと知らせる者があった。
鹿介は「これこそ待ちに待った機会だ。大坪はきっと小勢で動いているに違いない。
道の途中で討ち取ってやろう」と、総勢一千騎ほどで鳥取の雁金山の麓に出て待ちかけた。
大坪はこのことを夢にも知らずに、百人ほどの勢で旅装束を整えて出発したのだが、
これは正月の三日だったので、立春というのは名ばかりで、
谷の白雪は消え残り、峰を吹く風ももってのほかに寒かった。
兵たちは凍えきって手を引き縮め、弓を引いたり矢を放つことも思い通りにいかなかった。
大坪も、「もし道中に敵が出てきたら簡単に討たれてしまうな」と心細く思いながら通り過ぎようとしていた。

そこに鹿介、思いも寄らぬ山の上から旗をさっと上げて高らかに叫んだ。
「今ここをお通りなるのは大坪殿とお見受けしたが、いかに。
芸陽へはるばる下向なさると聞きましたので、その前途をお祝いしようと、
この山中鹿介、ここまで出て参りましたぞ。
旅立ちのときには柳を一枝送るという風習があります。
ここで矢を一筋進め参らせて、馬の餞にいたしましょう」と、鬨をどっとあげた。

大坪はこれを聞いて少しも慌てずに、
「さては鹿介殿、ここまでおいでになられましたか。ありがたいお志です。
仰せのとおり芸州へと罷り越すところですので、景気づけに一戦してあなた方の首をいただき、
毛利家への土産にすることにしましょう」と言い放って、
一ヶ所にひっしと集まると敵がかかってくるのを待ちかけた。
しかし鹿介は大坪の勇気を侮りがたくおもったのか、まったくかかろうとはせずに相手の動きを見守っていた。

そこに大坪が「いざかからん」と言った。
大坪の郎党たちは「この小勢であの山上に控えている大軍の中にかかっていっても、利などありません。
どうか敵がかかってくるのをお待ちください」と諫めた。
大坪は「確かにそれはそうだ。これは、三歳の幼児でも知っていることだな。
しかし、勝利を気にしている場合であればそういうこともあるだろうが、今回はそうではない。
もう私の命運が尽きたのだとわかった。
どうせ死んでしまう命なら、小勢で大軍に向かっていって死んだほうが、死んだ後でも勇名は残るだろう。
またあれほどの大勢で山上に陣取っている敵が、
我らごときの小勢を見ながらかかってくることができずに、鬨の声だけ上げて控えているのは、
私の武勇にすっかり気圧されているからだと思う。
無二にかかっていけば、敵は十中八九崩れるぞ。私に任せておけ」と、真っ先にかかっていく。
続いて百余人の郎党たちが、鹿介の勢の真ん中へと切ってかかっていた。

鹿介はこれを見て、「大坪はもう運が尽きたのだろう。
あの小勢で、高い場所に備えている我らの大軍にかかってくるほど、大坪は愚かではなかったはずだ。
自滅しようとしている敵を討ち取り、高名を果たせ」としきりに下知した。
しかし鹿介の兵たちは後ろから崩れていく。
鹿介が「なぜ引くのだ。帰ってこい、戻ってこい」と命じても、
耳にも聞き入れずにひたすらに退却しようとする。
鹿介は心は猛々しく勇んでも、力及ばずに後ろの林に逃げ入ることになってしまった。
大坪はカラカラと笑って、「人と出くわして林に逃げ入るとは、鹿という名にふさわしい」とふざけ、
芸州を目指して下っていった。

こうして大坪は芸陽で熊谷伊豆守信直に会い、この戦のことを語って聞かせた。
信直は、「あなたの勇は今に始まったことではない。鹿介にしても勇も智も兼ね備えた者だから、
これほど他愛なく負けるとは思っていなかったが、敵を小勢と見て侮ったのが敗因だろう。
鹿介の勢は千騎、あなたの勢は百騎なのだから、あちらが十倍だ。

千騎を五手に分けて、二百騎ずつでかかれば、大坪が百騎で渡り合おうとも、
味方は二百騎なのだから負けるはずがない。
それに自分の二百騎の先陣と敵の百騎がもみ合っているとき、
二百ずつの備えを不二つ左右から横合いにかからせればいいのだ。
いかに張良・ハンカイであろうと、小勢のうえ敵に左右から打ちかかってこられたら勝てるわけがないし、
そこで皆滅び去っただろうに。

敵がもしこの六百の勢を突き崩したとしても、敵だって百騎の半分以上は消耗しているだろう。
たとえ過半数の兵が死んでいないとしても、備えは乱れて兵たちは疲れきっているはずだ。
その機に乗じて鹿介が四百の勢をまた二手に分け、打ってかかってきたなら、
きっとたちどころに敵を挫けただろうな。
また三百ずつ三隊に分けても勝てたはずだ。
こんな謀を間違えるような鹿介ではないと思っていたが、
小さな敵だと侮ったがゆえに仕損じたのだろう」と言った。
大坪は、「信直に会って、ずいぶん武の学を得ることができた」と感謝し、別れていった。


以上、テキトー訳。

そんなわけで記事タイトルはわざとです。
「汚名返上」もしくは「名誉挽回」が言葉としては正しいわけだけど、
この内容的には「汚名挽回」だろ……と_ノ乙(.ン、)_
汚名挽回も「挽回」に「よい状態を取り戻す」意味があるからあながち間違いではないという説もあるが。

鹿介は、戦略はうまいのかな。で、用兵があんまり上手ではない、もしくは堪え性がない。
私も戦略や用兵には暗いけど、なんとなく陰徳記だとそういう印象を受ける。
だいたいドタバタだもんな。だが読んでる分にはこういうキャラのほうが楽しい(*´∇`*)
ホントいい男だよな、鹿介……

そして安定の信直さんですよ!
あんたなぜ鹿介の立場で大坪と戦うシミュレーションしてるの!? 味方だよその人!
なんか……うん、わかるけど、なんかーーーー!!!
すごく好きーーーー!!!
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