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2012-10-10

経言の躍進、香川の歌道、今田の弓精

だいたいの流れ:
一度出雲を追い出され、再起を図って鳥取城を落とした尼子勝久・山中鹿介だったが、
山名豊国に騙されて鳥取城を追い出され、私部・若桜の城へとつぼんだ。
兵力に不安があるということで、山名豊国が毛利に援軍を請うと、
元春・元長・隆景たちが出張りしてきた。


私部城降参のこと

さて天正三年九月二日、吉川・小早川の両将が鳥取の麓に着いたので、
山名豊国は二千余騎でこれを出迎え、すぐに千代川に舟橋をかけて諸軍勢を渡すと、
同三日からひしひしと私部の城を取り囲んだ。
仕寄を付け寄せて井楼を組み上げながら攻め近づく。
また、もしかしたら敵が仕寄へと攻撃を仕掛けてくるかもしれないと、
その護衛のために兵を分けて差し向けておいた。

吉川侍従広家様は、そのころは又次郎経言という名で十五歳だったが、
いつもそこへ忍んで行っては、もし敵が出てきたら一太刀打ち違えようと待ち構えていた。
乳人として付けられていた小坂越中守は、
「昔の人も『小勇を好むなかれ』と言っていたと聞いております。
敵と太刀を合わせて分捕り高名をするのは兵の仕事です。
絶対に良将が積極的にすべきことではありません」と強く諫めた。
しかし経言は「それは、当家では元春・元長などはそういうものだろう。
しかし私は元春の三男に生まれてまだ手勢も百人と持っていない。
こんな不肖の身で、大将の真似をしてどうするというのだ。私は、今は兵がやるべきことをやる。
そのうち手勢を三百も五百も持つようになって、一備えの大将にでもなれば、
こんな小勇を好んでやろうとはすまい」と言って、まったく聞き入れなかった。
「敵は夜陰にまぎれて打って出てくるだろう」と、夜毎そこで見張っていた。

城中でも、「どうにかしてあの仕寄を切り崩してやろう。
あの作業者たちめ、夜ににはしっかり寝入ってほしいものだ」とヤキモキしていたが、
忍びを出して様子を探らせると、「寄せ手は少し油断しているように見える」というので、
「では暗闇にまぎれて切って出てやろう」ということになった。
牛尾大炊助を大将として三百余人が仕寄へ切ってかかろうとしていると、
その気配が外にまで伝わったのか、仕寄のあたりも普通ではないほどに騒がしくなった。

又次郎経言は中元に持たせていた鑓をツッと取ると、手勢五十余人で静まり返って敵が出てくるのを待った。
仕寄番の者たちも、騒ぎを聞きつけて、敵が出てくるなら迎え撃とうと集まってきた。
牛尾たちが門を開いて打って出、切ってかかってくる。寄せ手もこれに無手と渡り合った。
経言は「吉川又次郎経言、ここにあり。一鑓」と名乗りかけると、勇ましく進んでかかっていった。
城中の兵たちはたちまち突き立てられてサッと引き、城戸の中へ入っていった。
寄せ手も、「このあたりはよく地形がわからない。それにとても暗い」と、後を追うことはなかった。

経言の振る舞いを聞くと、陣屋を並べていた杉原盛重・南条入道宗勝は、
「なんと末頼もしいことだろうか。まだ志学の歳でさえこうだというのに。
成長したら、行く末は日本国中に名を轟かすようになるだろうな。
鳳凰が産んだ子は鳳凰になるというのはこのことだ」と、大いに感心した。
他の人々も皆ほめたたえた。

その後、寄せ手は昼夜の別もなく私部の城に攻め近づき、
すでに尾首の空堀一重を挟んで弓・鉄砲を撃ちあうようになっていた。
城中は防ぎかねて非常に難儀しているように見えた。
これは九月の半ばのことなので、空の様子も秋の寒さを引き立てるように乱れて、
山は錦を敷き詰めたようだった。梢の色も、昨日はまだ薄く見えたのに、
峰の松がたった一本青々としている姿も、世の人が皆酔いしれたという昔の情景を再現したようで、
見とれるほどだった。
城中の兵も、寄せ手も、皆この光景に心が慰められ、目が洗われる気分になる。

なかでも森脇市正は、武勇に優れていただけでなく、風月を愛でる才に富んだ者だったので、
紅葉が広がって見える景色に堪り兼ねて、楯の前に姿を現すと、
「やあやあ、御陣に申したいことがある」と呼ばわった。
寄せ手が「おお、あれは城中から降参を請いに出てきたのだろう。しっかり聞いておけ」と走り出てみれば、
市正は、「長きにわたるご在陣に、お心も疲れているでしょう。
露や霜が色とりどりに染めあげたこの山のもみじ葉を、これまでは鑑賞する人もいないのでは、
あまりにもったいない。
この折にどうか両将に和歌を詠んでいただき、このもみじを心行くまで堪能するのが、
せっかく色づいたもみじの面目躍如だと思います。
昔の人は車を停めて、気ままに木々を眺め楽しんだものです。
寄せ手も、もし心があるのならしばらく弓・鉄砲を止めて、二月の花にも勝るこの景色を鑑賞しましょう。
私も不出来な歌心ではありますが、お笑い種にでも歌を詠み、眠気を覚ましてみせましょう」と言う。

寄せ手はこれを聞いて、
「仰せのように、血のように紅深きもみじの枝に当たっては、せっかくの錦が失われてしまうと、
弓・鉄砲を射掛ける際にも気にかかっていました。
しかしもみじの中に入って紅の玉となるのもまた趣き深いと思って、これまで鉄砲を打ちかけてきたのです。
もみじを鑑賞する心がまったくなかったのではありません。
それを、あなたが歌を詠まれると仰るので、弓・鉄砲を止めております。
どうぞどうぞ、ご披露なさってください」と、鳴りを静めて市正の言葉を待った。

市正は「山は早 かつ色見する 時雨かな」と詠んだ。
寄せ手はこれを聞いて、「誰かこれに脇をつけよ」と言ったけれども、
日ごろから歌道に熟達した者は多いものの、これといって思いつくこともなく、時間ばかりが過ぎていく。
誰がいい彼がいいと言い合いながらも、
「市正の発句は優美で優れているうえに、味方の勝ちの意味を含ませている。
この脇をし損ねたら、どうにも口惜しい。また戦の吉凶にも影響するだろう」と、
自分から脇を付けようと言い出す者はなかった。

無駄に時間ばかりが過ぎていったので、元春様は香川兵部太輔を呼び寄せて、
「おまえは日ごろから、このような道も少しは学んでいると聞いているぞ。
早く脇をつけよ。芸陽の武士は武勇だけで野蛮人のようだと言われるのは口惜しい。さあ早く」と言った。
香川は「かしこまりました」と言って、「秋の嵐に 落ちる朝露」と付けた。
市正がまた第三句を付け、交互に表八句を付けた。
その後、互いに挨拶を交わして、城中・陣中へと入っていった。
城中の兵たちは、「市正の発句は味わい深く、また優美で優れていた。
とくに城中が勝利するとの意味まで含めていた。
しかし敵はまた『安芸の威風によってこの城が没落する』と言ってきた。
発句で負けたのはいいが、戦の吉凶はどうなるだろう」と、忌々しく思っていた。

さて横道権允が楯の前に出て言葉戦いをしていると、
今田中務が、普通の人なら四、五人でかかってどうにか張れるほどの大弓に、
三尺以上に見える大きな矢を取ってつがえた。
「なあ横道殿、この一矢を受け止めて、私の弓の腕前をお確かめになるといい。
矢の的を指定してもらえれば、仰せのとおりに、どんな小さな場所でも射抜いて見せましょう」
と今田が言うと、権允は
「まったく思いも寄らぬことですな。
こんなところで敵の矢を受けようなどという大うつけではありませんぞ」と答える。

今田は、「これは期待はずれです。それは横道殿が臆病だからでしょう。
昔の佐藤三郎兵衛尉嗣信は、能登殿の矢の的になったではありませんか。
それを、古来から『うつけ』などと呼んだことがありましょうか。
その矢を受けたからこそ、末代までも最強の名を得たのではありませんか」と言う。
権允は、「昔の嗣信と今の私を並べ立てるとは、さすがの今田殿とも思えません。
佐藤は主の命に代わって矢面に立ちふさがり、教経の矢を受けました。
これは、軍事に携わる者なら誰もが望むところです。
そういう場面なら、この権允も、幾筋でも矢を受けましょう。
しかし今、何の理由もないのに、ただあなたの弓の手前を確かめるためだけに、
二つとない命を的にかけるのは、愚かの至りともいうものです。そんなことは思いも寄りません」と、
急いで楯の中へと入っていった。

今田は大いに腹を立て、大弓に尖った矢をつがえると、肩いっぱいに弦を引いて、弦音高く切って放った。
その矢は過たず横道が隠れた楯の木をズンと射通し、鏃が三寸ほど突き抜けた。
そのとき横道は楯の横に姿を現し、
「おお、なんと素晴らしい弓の腕前でしょう。私が受けなくてよかった。
危なくも命を拾ったなぁ」と言ったので、敵も味方も、「それはもっともだ」と、一度にドッとふきだした。
その後、仕寄を付けて息をも継がせずに攻め立てたので、城中は非常に弱りきってしまった。

そこに、亀井新十郎が、「命を助けていただければ、この城を明け渡します」
としきりに詫びを入れてきたので、すぐに城を受け取って(天正三年十月上旬)、亀井の命は助かった。
「森脇市正・横道源介・同権允・牛尾大炊助などは一騎当千のつわものである。
味方に降れば、本国出雲に所領を与えよう」と裁定すると、
彼らも尼子の武運はこれまでだと思ったのか、また本国を離れるのが名残惜しいと思ったのか、
降人に出て杉原播磨守を頼ったが、その後皆吉川元長に出仕したということだ。


以上、テキトー訳。

キャー経言ちゃんかっこいいーーーヾ(*´∇`*)ノシ
明治ごろの少年向けの読み物に載ってた話だね!

だがな。
うまいこと言った香川さんと、でっかい弓引いた今田さんと、
おどけた横道権允さんに全部もってかれたよw
どうしてくれんのwww
数少ない見せ場なのにぃ(*;∇;*)
でも面白かったからいいか。

つうかね、戦の最中にもみじ狩りですよ。何してんの森脇市正。
ていうか元長好きそうだよね、こういうの。
陣中から坊さんに「もみじがきれいです。一目お見せしたい」とか書き送っちゃう元長ちゃんマジ元長ちゃん。
いやしかし、春継の「秋の嵐に~」はホントうまいね!
吉川家の幽斎って名乗ってもいいんじゃね? だめかな?

あと今田さん、「中務」ってことは、上野介経高さんの子供かな?とも思うけど、
経高自身が一時期「中務」だったりするらしいので、どっちなのかわからん。これはどっちだ。
たぶん添え書きがないので、校註の人もわからなかったのかもしれない。

そんなわけでやっと吉川勢登場で大変満足しましたとさ。
ちょっと気分は不安定なんだけどねw
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