FC2ブログ
2012-10-20

広家の結婚の経緯

今日は陰徳記放り投げて、ネットの吉川家文書にかじりついてみたよ。
そろそろ紙媒体で欲しいです。でも購入の優先順位は、ネットで読めないやつから!
てか、やっぱり気になるじゃない。広家たちがあの結婚をどう思ってたのか。
相変わらずというか、いつもより輪をかけて不安な訳だけど、とりあえず挑戦(・`ω´・)

「覚書案」となってるわけだが「案」てのは「控え」とか「写し」って意味だということがわかってきた。
あと「覚書」ってのも、単なるメモじゃなくて、書状だったりするよね……
そんなわけでたぶん、これは広家が結婚を渋っているときに、
誰かに送った書状の控えなんだと思うよ。
違っても責任は持てないがな!


吉川家文書1340 吉川広家覚書案
    ※この文書は天正十五年のものであろう
 (端裏書)「広家様御縁職仰せ出され候ときの御覚書」

一、思いもよらぬ所縁の件を天下(秀吉)から命じられましたが、
  これは考えられない話ですので、隆景に相談して、
  この話は断ってくださるようにと、重ね重ね申し上げて、広家は箱崎に罷り下りました。
  そうしたところに、元直(熊谷)・渡石(渡辺長)を差し下されましたので、
  隆景・安国寺へもこの通り伝えて、
  たとえ広家一人が困り果て、拙家が立ち行かなくなろうとも、
  この縁談はお受けできないと、隆景・安国寺・元直・渡辺にも申して、
  他意なく申しましたので、安国寺は罷り上がりました。

  隆景が申されるには、
  「広家の考えも無理のないことだが、天下の思し召しであり、
  輝元・隆景がお受けしたのだから、広家も了承すべきだ。
  それなのに、広家が了承せずにこの縁談が破談になれば、
  輝元・隆景までもが天下の不興を買ってしまう。
  だからぜひとも聞き分けてほしい」とのことでした。
  もちろん、元直・渡辺も同様に聞いております。
  しかし広家は、何度も「お受けできない」と申しました。

  すると隆景は「これは京芸・備芸の和睦を固めるために仰せ出されたそうだ。
  第一、備前(宇喜多)と広家の分限が不相応だというのは、たしかにそうだ。
  しかし、京芸・備芸の和議としてお預けになられるということなのだから、
  ひとまずは御意に従ってくれないか」と、
  南の関(肥後)において直接元直・渡辺にお話になりました。
  広家が申していることはまったく道理なことなのだから、
  広家が申した通りに輝元へも元直・渡辺を通じてお断りしてくださればいいのに、
  隆景は、官兵(黒田孝高)・森壱岐(毛利吉成)へも、
  「天下の命はお受けするべきだ」と申されたそうです。

一、このような顛末ですが、広家はまだ若輩ですので、拙家の老臣たちにも相談しました。
  老臣たちも、広家と同様に考えています。
  元春・元長に不慮のことがあってこんなことになったとはいえ、
  輝元様・隆景のお力添えによって、ようやく広家が拙家を相続することができました。
  このことは、拙家の者たちは皆、大変ありがたく思っております。
  それというのに、無理な所縁を持ち出されるのですから、
  これで外聞を失われたとしても、我々ではどうにもできません。
  もし拙家の立場が危なくなろうとも、この所縁をお受けするべきではないと、
  今田上野(経高)や他の老臣たちからも言ってきています。
  広家も老臣たちも皆一同にそう考えています。

一、今となっては、南の関にて隆景が申されたことも違ってきていて、
  備前と広家が話し合うことですので、他意なく申しております。
  以前、元俊(福原)・妙寿寺・渡辺へと申したことは、
  隆景へも直接申し伝えております。
  これはとても了承できない話ですので、この旨をしっかりと説明して、
  ご披露くださいますようお願いいたします。

一、広家の役目などの件についても、この春に重ね重ね申し上げました。
  元春が生きていたときには、隆景・元春と並び称されてきたのは、
  一時期だけのことです。現在の広家は、分限も少ないのです。
  輝元の旗本としての役目を分限どおり勤めるのはもちろんながら、
  輝元の御名代に命じられたならば、どこであっても文句を言わずに罷り出で、
  できる限りの馳走をします。
  この春も申したことではありますが、ついでながら重ねて申しました。
  このことをよろしくご披露ください。

  これは南の関で話されたことをよくわかっていただくために、
  春房(桂)に申したことです。
  上へはお目にかけないでください。御返事をくださいますよう。


以上、かなりテキトー訳!

おいおい、広家ちゃん、すっげえ嫌がってんぞ。
広家だけじゃなくて、今田経高はじめ家中の老臣も反対してたのか。へぇ……
で、理由として「宇喜多とは分際が不相応」ってことなわけだけれども、
確かにこのころ、秀家は備中の半国・美作・備前を領する大大名だわな。
秀吉の猶子(義理の子供)でもあるし、輝元と同等かそれ以上の立場なのかな?
その姫さんを娶れば、お付きの家臣も養わなきゃならないから、
たしかにかなり厳しいかもしれない。
だが、ほかに裏の事情というか宇喜多に対する何かアレな感情とかあるかもしれないね!
と疑ってしまいたくなるね!!!

あと、毛利・吉川・小早川がそろって上洛した際に出た話なんだと思ってたけど、
どうやら九州在陣中に内示があったみたいだね。
まあそりゃ、言われてすぐにホイホイ承諾できる話じゃあねえわな。
各所の調整しなきゃ。

そういえば、どうしてこの文書に行き当たったかというと、
益田のことを調べていて、「元祥が広家の祝言では集まった国人衆の取り仕切りをした」という記述に
ニヘニヘしていたわけだが、そこで
「広家は身分違いを理由に辞退しようとしたが、隆景の助言もあって縁談が成った」
みたいな記述もあったのね。
もしかしたらそのへんのことが家譜に書かれてるかもしれないなーと思ってたらビンゴで、
そんでまた、家譜にこの覚書が引用されてたので、吉川家文書を当たってみたらあった……というわけで。
探してみるもんだねー(*´∇`*)

家譜には広家の祝言に際してのお祝いとかもちょろちょろ載ってるようなので、
というか上洛のときのお付き合いとかもこまごまと載ってるみたいなので、
また何か面白そうなところが見つかったらネタにしたいな。

とりあえず、隆景は広家の祝言に際しては、
「今回は広家の祝言が無事調って、本当に大喜びしているよ。
とりわけ関白様からそちらまで黒官を差し下されたのは、
広家も鼻が高いだろう」みたいなことを言ってるよ。
もっとクールな人だと思ってたけど、かなり親族思いの世話焼きなのね、景さま!

ただ、嫌がる甥っ子の外堀を埋めながら結婚を引き受けるしかない状態にさせていくのは、
まじ景さま……って思った。素敵に怖すぎる。
だって、吉川家が拒否してるのを輝元に伝えず、
黒官・森吉成にまで手を回してるし……すげえな、この人。
敵に回したくないタイプだわ。

どうでもいいけどこの手紙、誰宛なんだろうね……春房?
スポンサーサイト



コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

検索フォーム
カレンダー
06 | 2020/07 | 08
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -
訪問者数