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2012-11-02

香川・冷泉タッグ結成

宣言どおり更新が滞った……しゃーないしゃーない。

そんなわけで陰徳記。だいたいの流れ:
毛利と織田の和睦が敗れた。
大きな動きはないものの、国の端々で起こる小競り合いは続く。
そんな中、今回は淡路で一騒動あったようですぞ。


淡路の国岩屋の城のこと

淡路の役人に菅平右衛門・同新右衛門という者がいた。
父子ともになかなかの勇士で、ともに毛利家への志が深かった。
先年(天正六年二月)から岩屋の城に児玉内蔵太夫(就英)を差し籠めていたところ、
いったい誰が言い出したのか、
「菅父子が逆意を抱いていて、ひそかに児玉を討とうとしている」と告げる者があった。

児玉は大いに驚いて、「この国の者たちに背かれては、私は少勢なのだから、
この城に立てこもったところで、長くは持ちこたえられまい。
まずここを抜け出して大軍を率い、菅父子を討伐しよう」と、ひそかに船に乗って芸州に下ると、
輝元様へとこのことを報告した。
輝元様はすぐに元春・隆景へとこの件について相談をした。

「菅が謀反したからといって、これまで保ってきた城を捨てるのは、
武勇が十分でないと自ら言うようなものだ。
特にあの城は大坂の城への通路として必要不可欠なところでもある。
あの城へ立て籠もり、たとえ菅父子が反逆してこようとも、
彼らを抑え込んで城を堅固に守りきれる者は誰かいないか」と話し合ったけれども、
淡路一国を敵に回して、その上天王寺との間に挟まれているところだけに、
自分が籠もろうと言う者はなかった。

ここで香川左衛門尉広景はよくよく考えをめぐらせた。
「人が恐れて渡りかねている淡路へ漕ぎ渡ってこそ、勇も忠も人より勝っていることになる。
私が今岩屋の城へ立て籠もって、菅と一戦して勇をあらわしたいとは思う。
しかし私の手勢はようやく二百ほどだ。こればかりではどうにもならない」
と思ったので、従子(甥)の冷泉民部太輔元満の居館へと赴き、
「私はこう思うのだが、けれども自分の手勢だけではどうにもできない」と語った。

民部太輔は父の判官隆豊にも劣らぬ最強の勇士だったので、これを聞いて愉快そうに笑うと、
「私も今、あなたの考えたとおりのことを考えていたのだが、
自分の手勢だけでは不安に思っていたのだ。
これは啐啄同時底の機(鳥の卵が孵化するとき、雛が内側から、親鳥が外側から同時に殻をつつくこと、
絶妙な導きの形の意味)だと思う。さあ、一緒に連れ立って淡路へ渡ろう」と、
このことを輝元様に言上した。

すると輝元様は「淡路の国中がことごとく当家に逆意を抱いているというのに、
この二人が身命を顧みず立て籠もってくれるとは、忠勤の最たるものである」と大いに感賞した。
すぐに二人を御前に呼び寄せると、二人は
「このように私どもから申し上げたからには、淡路の敵に思い知らせ、
一国が元通り御手に属すようになるまでは帰ってまいりません」と言い切って退出した。

いよいよ船に乗ろうとしているときに、菅父子のところから使者が遣わされてきた。
「いったい誰が言い出したのか、我ら父子が中国に背いて信長に一味したという話を
児玉殿がお聞きになって、当国の岩屋の城を捨てて帰国なさってしまいました。
そのときわかっていれば、すぐに罷り出て身の潔白を証明したのですが、
お忍びで帰国なさったので、そのことをまったく知りませんでした。
私どもの身代は取るに足らないものではありますが、一度お味方に参ったうえは、
二心を抱くことなど絶対にありません。
芸陽に対して、逆心などひとかけらもありません。その証をお見せします」と、
愛する息女を人質として差し下してきた。

これで、冷泉・香川も安堵して、岩屋の城へと上っていった(天正六年閏三月)。
菅父子はますます忠志を篤くしたので、淡路一国には敵対しようとする者はなかった。
讃岐の香川も広景と同じ一族だったので、その縁も深く兵糧などを送ってくれた。

こうしたところに、佐久間の郎党たち一千人余りが天王寺から船に乗って淡路へと攻め渡り、
夜半に背後の山から切ってかかってきた。
香川左衛門は敵の夜討ちなど想定していなかったが、
なんとなくこの夜は胸騒ぎがすると感じて城中の夜回りをしていた。
そして敵をすばやく見つけると一番に渡り合い、たった二十人ほどで一の木戸まで押し返すと、
鑓で叩き立てて追い立てながら進んだ。

敵は一度は突き崩されたものの、香川らが少勢だと見ると引き返してきて切って入ろうとする。
香川の中間に源右衛門という力持ちの剛の者がおり、弓を取って散々に射掛けた。
江戸三郎左衛門・芥川七郎右衛門も横から鑓で突きかかって比類のない活躍をしたが、
江戸は肩、芥川は膝を突かれてしまった。
このままでは左衛門尉も危ないというところに、
鬨の声に驚いた冷泉が鎧を取って肩に打ちかけたまま、三十人ほどで後ろから駆けつけてくる。
「冷泉民部太輔である」と名乗ってまっしぐらに突いて出ると、
敵はたちまち押し立てられて浜辺へとサッと退いていった。
城からも新手が出てきて敵を十四、五人ほど討ち取ったので、
他の者たちは命からがら船に飛び乗ると、天王寺目指して退却していった。

この戦の後は敵が寄ってくることがなかったので、備中高松城落城の後まで持ちこたえて、
秀吉・輝元が和睦した後に芸陽へと帰っていった。


以上、テキトー訳。

へぇ~、香川と冷泉って所縁あったんだ。知らなんだ。
冷泉さんてのは、大寧寺で臓物べちった人のお子さんで、
化け物とまぐわい、朝鮮で散っていったあの冷泉さんだね。
左衛門尉広景は、武田から毛利に鞍替えした光景の嫡男だね。
春継のお兄さん。いまいち印象薄いけどな……だって春継の方がんっがっぐっぐ。
いやー、広景も元満も、仲良しなうえにいちいちカッコよろしいな。
「あの国が従うまでは帰ってきません」宣言しちゃうとか、
少ない手勢で敵と渡り合って追い払っちゃうとか、ステキ(*´∇`*)

例によって下調べ不足であんまりよくわかってないけど、
淡路が大坂への海路を押さえる上で重要な拠点だっていうのは理解できた。
私は地理がわからんのが結構致命的だな。
地理も少しずつ勉強しようそうしよう。

そんなこって、次章は尼子情勢に戻り、いよいよ上月城の攻防に話が移るよ!
盛り上がってきたね、楽しみ!

とりあえず昨日は広家のお誕生日だったわけで。そっとおめでとう。
永禄四年十一月朔日……この年のはじめ(正月七日)に、長兄の元長が元服を迎えたわけだが、
どう考えてもこのあたりで仕込まれた子ですね本当にありがt(ry
いくつになってもラブラブな元春夫婦おいしすぎる(*´∇`*)ジュルリ
ていうかまぁ、結婚が早いからまだ広家産んでるのも余裕で三十代なんだなw
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