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2012-11-16

元長の遠吠え

昨夜は眼球が謎の痛みに襲われたので寝ちゃったテヘペロ☆
謎というか、目を酷使する仕事なので予想の範囲内なんだけれども。
おかげさまで今日はちょっと回復(^ω^三^ω^)

さて陰徳記!
これまでのあらすじ:
宇喜多に請われて、織田方の尼子勢が立て籠もる上月城を取り巻いた毛利勢。
但馬に向かう予定だった元春父子も、隆景の再三の要請に応じていた。
上月城の後詰として日に日に数を増していく秀吉の陣を前に、
元長は夜討ちを提案するが、隆景や安国寺によって却下されてしまう。

がんばれ、元長! 負けるな、元長! 明けない夜はないさ!?


元長、夜合戦詮議のこと(下)

元長はどうすることもできずに自陣に戻ると、近侍している者たちにこう語った。
「祖父元就がたった一代で武威を次第に強大にできたのは、
大きな敵に対峙してとてもかなわないというときでも、敵の隙をうかがって不意に戦を仕掛けて、
何度も勝負を決してきたからだ。指を折って数えてみると、有田、厳島、
また尼子が吉田を包囲したときにも数度そうしたという。
勝つべきところを見切り、余計なことは考えずに必勝か必死か、その二つだけを胸にして合戦した。
それで何度も勝利を得て、しまいには山陰山陽をすべて手に入れることになった。

今、中国の勢を率いて信長に対峙しているのは、蟷螂が車を遮るというたとえ
(弱者が無謀にも強者に立ち向かうこと)と同じなのだ。
信長はすでに浅井・朝倉、そのほか機内の敵、美濃の斉藤、駿河の今川などを滅ぼし、
そのうえ武田四郎をも長篠で追い詰めて、いるのかいないのかもわからないほどにしてしまい、
大国三十余国を手にしている。
味方は山陰山陽のうち十ヶ国の勢を集めたとはいっても、大友という敵が背後にいるから、
周防・長門の二ヶ国の勢は、大友の押さえとして残してきている。
だからたった八ヶ国の勢に過ぎない。
この勢でもって、大軍の信長に対して、普通に対陣できると楽観視していては、
どうやって勝利を得ることなどできようか。

危うい戦を慎むのは、時と場合によるものだ。
小敵に対してなら、それもいいだろう。
大敵に対して危うい戦を慎めば、ただ臆しているのと同じようなもので、
次第に鉾先は弱弱しくなり、最終的には勢いも衰えて易々と追い詰められるものだ。
大敵に対しては危うい戦を慎むべきものならば、なぜ祖父元就は有田・厳島の合戦をなさったのか。
これは皆元就の誤りなのだろうか。

唐土の項羽などは、自軍の帰路のための船を沈めたり糧食の甕を壊したりして、
兵たちに決死の覚悟を決めさせ、韓信は背水の陣をしいて同じように士気を鼓舞した。
また我が国の源義経は鵯越を疾駆し、航路が荒れても西海を渡って、たった八十余騎で八嶋へと攻め寄せた。

それはそれとして、今回は味方が勝利を得ることもあるかもしれない。
それでも、今羽柴と一合戦して勇のほどを見せ付けなければ、敵は大軍なのだから、
今後何度も対陣することを考えたら、このままでは味方のためにはなるまい。
光武帝は大敵を目の前にすると勇んだという。
今羽柴と一戦して大勝利を得なければ、三木・神吉・大坂の城々は、しまいには落とされてしまうだろう。
信長は関東を切り従えてさらに大軍になるまで、
我らは自分の国ばかりをただ守っていればいいとでもいうのか。
こうして対陣に及んだ上は、存亡をかけた一戦をして敵の意気をそいでしまわなければ、
最終的に味方の勝利は望めないだろう。

今に見ているといい。
信長が次々と武威を増していけば、三木・神吉も城を落とされてしまうか、
降参してしまうかのどちらかになるだろう。
大坂もいずれ負けてしまうはずだ。
そうなれば信長は三十三ヶ国を切り従え、西国・九州もその威に服すことになる。
そうなったら宇喜多などの者たちも強い者についていく。
我らの周りには毛利譜代の侍だけが残る。
こうして勢いも衰えてしまえば、戦っても利は得られない。

危うい戦であっても、余念を捨ててかかるべきときがあるのだ。
また、勝ちをひたすら信じて、戦いを慎むべきときもある。
今夜の合戦をいたずらに延期するのは、当家の満ちている武威を欠くようなものだ。
だからこそ、昔の偉人も『兵は凶器であり、戦が長引けば変を生ず。
智伯は趙を囲み、年を越しても帰らなかったが、あるとき急に襄子に捕らわれてしまった』と述べている。
今戦を決さずに、ゆったりと城を守っているだけでは、信長が猛勢で出張りしてきてしまう。
そうすれば直家はすぐに信長に一味してしまうだろう。
そのときは、備前・美作を敵に回すことになり、背後を断たれてしまうだろうから、
退却しようにもできなくなる。
前には信長の猛勢が陣を張り、勝久もまた塁を高く堀を深くして立て籠もっているから、
戦おうにも戦いようがない。

祖父元就も、『数万の衆を率いれば、敵味方の陣の機を読んで、戦えば勝ち、攻めれば取り、
天下に威勢を争うには元春以上の者はいない。
仁を施し民を愛し、国家を保つことにかけては、隆景の右に出る者はいない』と仰っていた。
『軍容が国に入らず、国容は軍に入らないのは、物事がまったく違うからである』とも言うではないか。
合戦の道のことは元春に任せるべきことだけれども、
今回は隆景の領域への加勢として、我ら父子が出てきている。
だから押して戦を決することもできず、すべき戦ができないのだ。

だいたい、あの安国寺の振る舞いは差し出がましい。
頭を振って軍評定の是非を論じるなど、とんでもない。隆景があの佞僧を重用したのは失敗だった。
あの僧は狡賢く、口端がきくから、智略などの使者には役に立つだろう。
それでさえ、佞智に溢れた坊主なのだから、敵が『所領を与えよう、宝を与えよう』などと誘えば、
欲をかいて敵に味方しようとするはずだ。
隆景が召抱えていらっしゃる他の者たちよりずいぶん劣っている。
このような戦うべきところで戦わないのは、勇も智も拙いがゆえだ。なんと口惜しいことだろう」

元長は大いに憤った。
その眼光は千入の紅をたたえたかのように見えたので、
周囲の者たちは、「なんと強い対象だろう。
この勢いで無二に切り入っていけば、秀吉の堅陣はもちろんのこと、
雲に聳える漢陽宮を項羽・高祖のような良将が堅く守っていたとしても、
たちまちのうちに函谷の関を攻め破ってしまうに違いない」と感じた。

このことを後に思い出してみると、隆景が
「城さえ攻め落とせば後詰の敵は退散するだろう。危うい戦を決するのは許可できない」と言ったのも、
割符を合わせたかのようにぴたりと当たっている。
また、元長が「よしんば今回は大局の合戦に勝てたとしても今一戦しておかなければ、
相手は大軍なのだから、しまいには中国の武威が衰えて、
宇喜多たちは強そうなほうに靡いて敵に与してしまう」と言ったのも、一点の違いもなかった。
いずれも、類まれにも未来のことを言い当てていた。


以上、テキトー訳。おしまい!

元長の負け惜しみ……長えな。さすが元春の子、いやさ元就の孫。
悔しい気持ちはよ~くわかる。
なんつーか、現代のサラリーマンも日々感じている類のストレスと似てる気がする。
たとえば会議で企画書出すように言われて、他の大事な仕事そっちのけで企画を上げて、
それなのにケチョンケチョンに言われて「ぐぬぅ」ってなるとか。
そういうことって、あるよね!
どんまい、元長! ファイトだ、元長!
酒でも飲もうぜ!

しかし目を真っ赤にして憤る元長かぁ。見てみたかった……

今回の話で「なんかなぁ」と思ったのは、
「勝ち」というかこの合戦の終着点てのがバラバラなんだよね。
人によって思い描いている終着点が違う。
ええ、会議でよくある状況です本当にありg(ry
あれだな、人間なんて何百年前から大して進歩しねえなwww

元就が生きていたときは、最終ビジョンを元就が決めていたからよかったけど、
最終的な着地点を決定できる人間が、元就死後の毛利家にはいなかった印象を受ける。
関ヶ原も根本原因は同じなんじゃないかと思うんだよね。
輝ちゃんの悪口じゃないよ!
こんだけアクの強い親戚が揃ってたらしょうがないよ!

てなわけで上月編、もうちょいツヅクノデス。
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