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2012-11-21

元長の采配

これまでのあらすじ:
上月城を取り囲む毛利勢と織田は羽柴秀吉の勢プラス援軍。
元長が夜討ちを提案するも却下され、にらみ合いが続いていたが、
天正六年六月二十日、ついに小競り合いから大きな合戦が起こるかに見えた。
元長は杉原盛重を頼んで、合戦になりそうな場合はすぐに知らせてもらうことになっていたので、
おいそれとは動けない元春・隆景に代わって現場の指揮を取る。
羽柴側も、福島正則・加藤清正・黒田官兵衛(そして吉兵衛も!?)と、役者が揃い踏み。

さあ行け吉川勢! ヒャッホーーーー!!!


上月合戦のこと(中)

元春からも軍使が遣わされ下知があった。
元長は全軍に「上方勢は敵の虚をうかがって無二に馬を入れ、蹴り崩そうとしているという。
ならば味方の足軽たちを使って射払い、敵の馬を入れないようにしろ。
一度にばらばらと下ってきたとしても、たとえ膝の上に馬が乗っても絶対に立ち上がらずに、
敵の兵馬の両足を薙ぎ払え」と強く下知した。

こうして矢戦が始まり、中国勢はようやく勝ち色が見えてきたが、
昨日から今朝の明け方まで、雨が篠ついて上月川水かさを増し、濁流となって渡りづらくなっている。
この川を乗り越えるのは大変だと諸軍士が少し躊躇しているところに、
吉川民部大輔経言が馬の手綱を手繰り寄せ、「吉川経言である」と名乗って一番に打ち入った。
これを見て吉川勢も我先にと水に入っていく。
元長も、「経言を討たすな」と兵たちに先立って馬を乗り入れたので、
杉原・南条らも負けじと駆け入って渡っていく。

上方勢はこの勢いにたちまち押し立てられてさっと引いた。
黒田官兵衛尉・同吉兵衛尉・同兵庫助・福島左衛門太夫・蜂須賀彦右衛門・一柳市介・
堀尾茂介・宮部善乗坊・加藤虎助・同佐吉なども、馬を一面に並べて入ってくる。
元長はこれを見て、「足軽は足敷きになって弓・鉄砲を撃ちかけよ。
侍たちも皆馬を降り、敵が膝の上に乗っかってきても立ち上がるな」と下知した。
すると皆いっせいにさっと腰を落とし、弓・鉄砲を射かけ始める。

上方勢は馬上から十四人ほどばらばらと撃ち落されたので、さすがに勇んで進んできた上方勢も、
それ以上懸かってくることができない。また引くこともできなかった。
一つところに馬を据えて足踏みをしているとところを見澄まして、
元長が「やれ懸かれ」と采配を打ち振るって下知すると、
杉原播磨守・同弥八郎・同又次郎、そのほか吉川勢が一丸となって、
二千余騎がドッと突いて懸かると、上方勢は押し立てられてさっと馬の頭を引き返し、
三、四町ほど引いていった。

そのとき元長は軍使を遣わして「深追いするな」と命じたので、
兵たちもまた元通りに備えて、弓・鉄砲を先に立てて進んだ。
上方勢はまた取って返してしきりに馬を入れようとしたが、
中国勢は大将の下知を守って、立ったり座ったり、あるいは左に進んだり右に進んだりする様子は、
畿内あたりの兵とは雲泥の差で、起居動静を自在に変じた。
上方勢はなかなか付け入ることができずに、次第に引いていった。

敵が引けば中国勢が静かに後を追い、太鼓を打って進む。
敵がまた馬を入れようとすれば、揃って弓・鉄砲を敷き並べるので、
上方勢は射すくめられ、押し立てられて、高倉山の麓までの二十余町を引くしかなかった。

秀吉の本陣、また筒井などの人々はこれを見て、
「味方が戦利を失って引いてくるぞ。あれを助けよ」と呼ばわる。
そのとたん、我もわれもと打って出てきたので、かえって後陣が大人数で混雑し、
自由に駆け引きもできなくなった。

しかし続く味方に力を得て、上方勢は高倉山の麓で一気にさっと取って返すと、
馬を一面に並べて足軽を先に立て、ドッと鬨を上げて備える。
中国勢も杉原父子三人と吉川勢が真っ先に進み、いっせいに下り敷いて、弓・鉄砲を先に立て散々に射る。
いざこれから上方・中国の有無存亡をかけた一戦が始まろうかと思われたが、
互いに真正面から激突するのを避けて相手の虚を衝こうと見計らい、
ただ矢戦・足軽競り合いをしながら、大合戦は慎んだ。

このときもし荒木摂津守が、中国勢の備えている山の上から一直線に下ってきて、
横合いから突いてかかってきていたら、十のうち七か八は中国勢が押し立てられていただろう。
けれども荒木は何か思うところがあったのか、何もせずに遠くから見ているだけだった。
また宇喜多の陣から高倉山の間には少し高い峰があって尾続きになっていたので、
その峰へと一万を超える備前勢を押し上げて、一直線に秀吉の本陣へ切って懸かっていれば、
どんなに強い秀吉であってもたちまち敗北しただろうが、
直家は信長の味方になりたいと思っていたので、時の勝負をうかがって、こちらも手を出さなかった。

小早川隆景は思慮深く戦いを慎む良将だったので、
「宇喜多の心ははっきりと見えない。それに敵がどんなことを仕掛けてくるだろう」と、
陣を堅く守り、備中・備後の勢は一人も出さなかった。

こうして中国勢が高倉山の麓まで迫り、山上をキッとみあげれば、
さすがに名高い羽柴秀吉も、それぞれの陣を厳しく構え、総勢で山の中腹まで下って控える。
そのほか惟任・筒井・伊賀・稲葉・蜂屋たちが、一勢ずつ打って出て無二に渡り合い、
ただ一捻りにしてやろうと控えたので、中国勢が如何に勇んで進んでいたとはいっても、
たった二万の勢で敵五万余りを打ち破れるとは思えなかった。
しかし中国勢は敵を二十余町も追ってきたので勝ち気になり、
敵が大勢でかかってこようとしても少しも臆さず、長い時間、
足軽を先に立てて弓・鉄砲を盛んに射掛けた。

大谷刑部少輔・神子田半左衛門・尾藤神右衛門などの勇士たちは、
「背後の味方の陣へは、道が狭くて引こうにも引けまい。
さあ、一度体当たりしてそのままの勢いでさっと引き、敵を引き離してから兵を引き上げよう」と、
六、七千ほどの馬の体勢を立て直すと、歩兵を先に立てて攻め懸けてくる。
後ろからは高倉山の陣から、我もわれもと続いてきて、その人数は何万騎とも数えがたく思えた。

これはさすがに中国勢が押し立てられて退却するだろうと思われたが、
元長が「下り敷け」と下知すると、真っ先に進んでいた杉原盛重・同元盛・同景盛、
吉川勢の今田中務少輔・吉川式部少輔・香川兵部大輔・新見左衛門尉・森脇一郎右衛門・
境与三右衛門・二宮右京亮、伯耆の住人である吉田肥前守・牛尾大蔵左衛門など
一騎当千のつわものたちは、皆田の畦に尻を打ちかけて腰を据えると、
前に鉄砲を立てて膝の上に鑓をかけ、敵がかかればまず馬を突き、
主人が落ちたところで取り押さえて首を掻こうと待ち受けた。

香川兵部大輔は、「中国・九州の武士は、鑓を合わせるときには皆馬から降りて立って勝負を決する。
上方勢はこのほど、馬を入れようとばかりして追い崩されたようだ。
きっと今回も、味方に隙間があれば一文字に馬を入れてくるだろう。
だから、もし味方に一人でも立ち上がる者があれば、以来は武士道の付き合いをやめ、
ともに盃を重ねたりしないぞ」と言った。
今田中務少輔・吉川式部少輔・山県四郎右衛門らもこれを聞いて、「もっともだ」と賛同した。


以上、テキトー訳。もいっちょ続く!

うああ。うああああああ。元長かっこいいなぁ。
なんだこの大将。みんながみんな、立つも座るも進むも引くも、すべて元長の下知に従うんだぜ。
美しい規律……(*´∇`*)ウットリ
きっと春継や吉川衆にとって、元長は最高の大将だったんだろうなぁ。
ああ、一年以上かけて陰徳記をちょぼちょぼ読んできたけど、
こんなに静かに血が滾る描写の戦いが他にあったろうか。
すごく地味にキュンキュンくる。
この合戦が陰徳記一番のキモなんじゃないかと思うほどだ。
うぅう、語彙や文章力がほしいよぅ。こんな駄文でかっこよさが伝わる気がしない(´;ω;`)

経言も活躍してるねぇ。一番に川を渡ろうとするやんちゃくれ。愛い(*´∇`*)
そんでもって元長、「経言を討たすなよ」って、まじお兄ちゃん。
杉原さんも春継も今田も経家もみんなかっこいいけど、元長のこのきらめきにはかなわんぜ。

それはそうと正矩、「隆景は思慮深い良将」ってのは、皮肉で書いてるだろwww
戦場できらめいている人たちと対比させたら微妙な気分になるだろが。
普通、吉川衆やら雲伯の勢がこぞって高倉山に向かっていっちゃったら、
敵は上月城の尼子勢もいるんだから、それに備えて陣を守る人がいなきゃいけないじゃない。
隆景まで動いたら誰が守るんだよwww

てなわけで、あと一回でこの章も読み終わる、はずデス。
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