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2011-09-28

元春が吉川家を相続したようです

今回は物語性のほとんどない記録みたいな感じ。

少輔次郎元春、吉川家相続のこと

こうして元春は、その年(天文十六年・1547年)に吉川家相続の契約が相整ったが、
しばらく新庄には入城しなかった。
翌天文十七年三月に吉日を選んで小倉山に入城した。この年には嫡子元長が誕生している。
吉川興経も布川から小倉山に訪れて元春の入城を祝し、この家の大切な宝である青江為次の太刀などを進上した。
興経が「お供にはどんな方がいるのです」と尋ねると、元春に追随した家臣たちが一人ひとり名乗り出たので、
皆盃をいただいて、一晩中酒を飲み、興経も舞を披露して、布川へ帰っていった。

吉田から供奉した者は三十六人いたそうだ。
まず、福原上総介広俊の次男、二郎五郎元正・桂能登守元澄の弟左近太夫(元貞)・
平佐出雲守(就有)・兼重与次郎(信高)・粟屋三河守(元俊)・田中河内守(通家)・
山県杢助(康政)・内別作右衛門尉・井上備前守(貞敏)・福原下野守・粟屋伯耆守(就幸)・
山県日向守(康景)・山県筑後守(春勝)・武永四郎兵衛尉・粟屋十郎左衛門(由久)・
黒杭内蔵丞(春通)・河北源左衛門(行茂)・中村源右衛門(勝忠)・
井上与三右(左)衛門(重次)・長和三郎右衛門・佐々木弥左衛門・佐武(竹)善左衛門(直次)・
市川五郎左衛門・小河内因幡守(石見守とも、和久)・朝枝市允・粟屋源右衛門(就信)・
内藤平左衛門(春善)・浅原丹後守・井上新右衛門(斯直)・井上又左衛門(直次)・
福原備後守・坪井孫右衛門(久清)・井尻又右衛門(光友)・南部新右衛門(光信)・
大野四郎右衛門・井上神(甚)兵衛尉らである。

宮庄下野守・宮庄備前守は興経に味方したため、一命は助け置かれたが、
一所懸命の領地は没収され、その土地は二郎五郎元正に与えられて元正が「宮庄」と名乗ることになった。
二宮右京亮は石見の小笠原に逃げた。朝枝加賀・朝枝三郎左衛門は小早川へと越した。

元春は智仁勇の三徳を兼ね備え、先祖を敬い下々を慰撫し、
その徳は昆虫にすら及んで、この家の代々の一族郎党もすべて忠勤に励んだ。
なかでも吉川伊豆守経世・森脇和泉守祐有は子孫繁栄して、この家の両翼を担う家臣となった。


以上、テキトー訳。

いやあ、こうして家臣の名前がビッチリ出てくると
「うはw イイ資料www」とか思っちゃうのはなぜだろう。
だから創作するつもりとかないんだって。
妄想はするけど。

しかし興経、幽閉の身だというのに新当主の祝いに招かれるとか可哀相。
元春って、一応興経の養子になってるんだよな。
その若造に名刀を献上して舞まで披露しなきゃならんとは・・・
その心中を思うだけでちょっと胃が痛いよ。

さて次回、まだどこを読むか決めてない。
なんか面白そうなのをこれから探す。
どうせ明日は夜まで会議だから更新できそうにないし、ゆっくり探します。
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